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身近な生き物:血みどろの逃亡者

2020-06-17 06:29:19 | 日記
雪に描かれた模様

 私が生まれた昭和30年、西暦で言えば1955年当時は多くの家庭で鶏を飼って
いました。
今ならペットとして愛玩されるでしょうがあの頃は食料です。
 終戦直後の食糧難は緩和されつつありましたが、養鶏は狭い土地で小資本で導入
できると推奨されていました。
だから一般家庭にも板塀に金網を張った手作りの小屋がありました。
 数羽もいれば毎朝家族の食べる卵が賄えます。
老いて卵を産めなくなれば絞めて肉として頂きます。
 身近な場所に生き物の生と死がありました。

 小学生の頃オヤジが捌くのを手伝いました。
首を落として逆さ吊りにして血を抜き、羽をむしって火で焙り腹を裂いて内臓を取り
出しました。
 大きさが不揃いでまだ殻に入っていない卵黄が幾つも連なって、ごろっとこぼれ
出てきました。
おふくろが味噌で味付けしてくれましたが、煮物に入った黄身は何よりのご馳走でした。
もちろん肉もおいしくて、普段とは全く違った豪華な食卓になりました。
 だからオヤジが鶏を捌く日は朝からウキウキしていました。

 冬のある日、いつもの様に作業が始まり私はそれを隣で眺めていました。
前夜の雪で辺りは真っ白です。
 首を落として逆さにした鶏の脚を紐で括っていたオヤジが一声漏らしました。
しまった!
声と一緒に地面に落ちた鶏は驚いたことに動き始めました。
まだ死んでいなかったのです。
 首のない姿で立ち上がるや庭を走りだし、しかしまっすぐには進めず左回りの円を描く
形で同じ場所をぐるぐると駆け続けました。
 雪が真っ赤に染まった光景は何年経っても頭の隅に残っています。

ありがとう肉

 生きた鶏を捌く体験をする講座が令和の時代にあるのだそうです。
信濃毎日新聞の2月13日の紙面に「鶏と麦の宴」の話題が載っていました。
<養鶏場を経営する絹田さんと、その肉を使うシェフの鈴木さんが講師。
20人ほどの参加者は生後3年の成鳥を捕まえ逆さまに吊るし血抜き。
その際絹田さんは『ありがとう』と声を掛けてと呼び掛けた。>
 事前に煮込んだスープをおいしく味わい、捌いた肉は各自が持ち帰って鈴木さんのレシピ
に基づき自宅で調理をしたとも書かれていました。

 写真には作業を見守る子供たちの姿が写っています。
この子たちは生き物を殺して体を切り刻む強烈な体験をしました。
 流れ落ちる血を見て気持ちが悪くなり、羽をむしりながら触れた体がまだ暖かいことに
気付いたのでは。
食料として頂く為にはその命を消しさる作業が伴わなければいけないことを改めて
知ったのでは。
そして口にする前に素直にありがとうと言えたのでは。
 食べ終えた後に自然とご馳走様も出たと思います。
命を頂くことに気付く体験はきっと心のどこかに残ります。
それは少なからず役に立つ体験。
 ありがとう鶏。
豚もしかり魚もしかり牛もしかり。
 それにつけても思うのは、肉ってどうしてあんなに旨いのだろう。

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