熊本県人吉市 人吉城跡①

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人吉城鎌倉時代相良家初代相良長頼が、
地頭として赴任した際に入城した城で、
約670年間相良家の居城となっています。

城は球磨川支流の胸川の合流地点に築かれ、
水運にも適した場所だったようで、
球磨地方の最重要拠点となっていました。


大手橋」と「多聞櫓(横長櫓)」。
胸川側が大手口。
球磨川と胸川を天然の水堀としており、
胸川に橋を架けてこれを大手門としてます。
多聞櫓は復元されており、
対岸からの眺めは往時の城の雰囲気が、
非常によく再現されていました。
城域に市庁舎等が建てられてないのも、
その要因であると思います。
※かつて市役所があったようですが、
 球磨川の北側に移転しています。



御館御門橋」と「水堀」。
大手口より東へ行くと現れる水堀と石橋。
藩主の居城であった御館の正門入口で、
水堀は最近TV番組で綺麗にしたようです。


相良護国神社」。
御館跡には相良護国神社が建てられており、
横には歴代藩主を祀る相良神社があります。
相良神社の写真は撮り忘れました。


相良護国神社より三の丸へ。
この登城口は本来なかったようで、
観光用に造られたもの。


於津賀神社跡」。
以前の領主矢瀬主馬祐を祀った神社跡。
矢瀬は人吉城の明け渡しを拒んだ為、
長頼は地元の豪族平川義高に依頼し、
矢瀬を討ち取らせて人吉城に入城しました。
後に長頼の子で2代の相良頼親によって、
矢瀬の霊を慰める為にが建てられ、
御塚(於津賀)大明神として祀られています。


三の丸跡」。
三の丸は広大な面積を誇っていますが、
藩政時代も広場だったという。
非常時の武者溜まりとされていたようです。


中の御門跡」。
二の丸への正門跡。
近世城郭枡形虎口だったようで、
江戸期に増設されたもの。
時代と共に進化していたようです。

※偶然ですが本日(2020/07/04)、
 球磨川が氾濫した模様です。
 被害は不明ですが予断を許さない状況。
 皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。


つづく。
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