中根雪江は福井藩士中根孫右衛門の長男に生まれ、
家督を継いだ後に江戸で平田篤胤に国学を学び、
11歳の藩主松平慶永(春嶽)の教育係となりました。
慶永は中根の助言によって全藩士の俸禄三年間半減、
藩主自身の出費五年削減を打ち出し、
守旧派の家老松平主馬を罷免させて藩政改革を断行。
三岡八郎(由利公正)や橋本佐内ら優秀な人材を登用し、
慶永の片腕としてその政策立案に関与しますが、
安政の大獄によって慶永は隠居謹慎の処罰を受けます。
代わって藩主となった松平茂昭を補佐。
春嶽(慶永)が政界復帰して政事総裁職になると、
横井小楠らと共に公武合体政策に奔走しました。
横井の挙藩上京計画に反対して一時失脚しますが、
計画が中止となると復帰しています。
維新後は参与として出仕しますが、
僅か4ヶ月で辞職して閉居。
廃藩後は東京に移住して著作活動を行いました。
この中根雪江の旧宅跡や像が神明神社周辺にあります。
「神明神社」。
現在の福井市中心部は伊勢神宮の神領だったようで、
この縁によって天照大神が祀られたのが由緒。
や越前守護の斯波家、朝倉家や、
この地を領した新田義貞、柴田勝家、
丹羽長秀、堀秀政、青木一矩などに信奉され、
越前松平家入封後も同じく崇拝されています。
「中根雪江像」。
境内にある中根雪江の銅像。
近年、坂本龍馬が暗殺5日前に書いた書状が見つかり、
中根宛で春嶽の上京への感謝と、
三岡八郎の出仕を認める内容となっています。
龍馬暗殺の翌月に三岡は上京しており、
参与として出仕して五箇条の御誓文を起案。
龍馬の求めに中根が答えた模様です。
「中根雪江宅跡」。
神明神社の南西にある法律事務所脇にある跡碑。
何も残されてはいませんが、
跡地が法律事務所となっているのは、
何の偶然でしょうか?
神明神社より東に向かって郷土歴史博物館へ。
「松平春嶽公像」。
郷土歴史博物館前にある松平春嶽の銅像。
春嶽の銅像は市内の福井神社にもありますが、
こちらは福井神社のものより若々しい姿です。
この博物館の裏手には福井城舎人門が復元されています。
「舎人門」。
福井城北側の外堀に設けられた門で、
大安寺や正覚寺の同様の門を参考に復元されたもの。
博物館の建設に先立つ発掘調査で、
外堀や石垣、土居、門の礎石が見つかった為、
博物館の館外展示物として復元されています。
「外堀」。
外堀も博物館の敷地北側のみ復元されています。
福井城は巨大な城であったようですが、
遺構は本丸と内堀のみですので、
本丸より離れたここに外堀が復元されていると、
その本来の大きさが実感できます。
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