タイトルを入力してください 思いつきません | 技術的特異点前夜(シンギュラリティ) periscope

 

 

 

しばらくブログから離れている間にも
日頃に思った事はツラツラと小さな端末に書いていて
それらをUPすればいいかなと思っていたのだけど
私は書き終わると公開しても非公開でも満足してしまう
ので
今こうして考えも無しにカタカタするのが心地いい
何を書こうかと考えている今が好きだったりする

特に思いつかないのだけど
時事ネタでもなんでもいい
日韓の関係がギクシャクとしているようだけど
気になるのは
韓国の大統領がカルト教団の末期状態のようになっている

カルト教団の末期には特徴があって
勧誘に力を入れて支持率を上げようとする
政治は政治家にまかせればいいかと思っている

おススメするのなら
恨みは晴らさない方がメンタル的にお得だと言う事

アメリカで行われた実験
恨みを晴らすチームと晴らさないチームに分けて
その結果は
恨みを晴らしたチームのメンタルは悪くなる
復讐は精神衛生上でマイナスに働いてしまう

恨みを晴らすと恨みを思い出す
過去の恨みを反芻するほど脳はそれを鮮明に強く記憶に残す
ますます気分が悪くなる
また恨みを晴らしたくなるというスパイラルに陥るかもしれない

化物語を思い出した
センゴクナデコと言う女子中学生のセリフで
「嘘や欺瞞や偽善を許す度量を持ちやがれ!」
と言っていた
これはとても大切な事だと思う

統計だと平均して
男は一日に六つの嘘をつき
女は一日に三つの嘘をつくというデータがある
人間はそういう動物なのだろう
もし人間が全く嘘をつかない種族なら
きっと人類なんてとっくに滅びていると思う

こういった平均的に嘘をつく人間よりもタチが悪いとされているのが
ひどい嘘は置いといて
ささいなはずみで出た嘘をとことん追求してしまう人
そっちの方が嘘をついた人よりタチが悪く
その性質は他人に不幸をばら撒いてしまう
上司には向かないタイプ

もちろん嘘は良くない事だけれど
センゴクナデコの台詞は大切だと思う
また実験の結果から分かっている事の紹介をすると
ささいな嘘に敏感で過剰に反応する人の性質は
自分を変える勇気が無い
他人と自分の差異に耐えられる知性が無い
ぶっちゃければ
変わる勇気が無い保守的な馬鹿
という事らしい
これは昔の私だなと恥ずかしくもなるのだけれど

今の私は
傾向はあれど誰も彼も同じではないと思っているし
自分が正しいとも思っていない
むしろ自分の間違いを見つけて正す事に少しの快楽を覚える
今まで覚えた事が全部間違っていたと知ったら絶頂なのかもしれない
なので
「皆、そうだよ」と型にはめる物言いはモヤっとするものを感じる

そもそも正しさなんて
何をもって正しいと定義するのか
そのへんを考慮しないと
たんに価値観の争いになってしまう
タコとイカはどっちが美味しいかだなんて

どうでもいいような嘘をあまりにもチクチク言ってくる人や
規則、規則と五月蠅すぎる人は
相手にしない方が良いとDAIGOが言っていた

嘘も方便と言う
陰湿な嘘はダメだし
自分を守る為に嘘を重ねてすっちゃかめっちゃかもダメだけど
方便は大事だと思う

私が許せないのは
悪意
悪意のある嘘や
邪な思いが乗った言葉

例えば私に不利益を与えた人が
私の為を思ってやってくれたなら
怒る気にはなれない
自分の望まない事をされたとしても
私が見るのはそこじゃない
その時の相手の気持ちを察して
悪気がないのなら怒れない
次からはやめて欲しいと言う

不利益を被っても
私の為を思ってくれての事なら
その気持ちは有り難く思う

ただ
悪意のもたらした結果であるなら
何さらしてくれとんじゃワレ
となってしまう

想いを優先する

人間はミスをする
その経験をいかして次に繰り返さないように気を使う
たった一度のミスでその人の価値を決めてしまう
それはいただけないと言うか
そうしてしまう人の価値こそ低く見てしまう

自分の出来ない事を人に言うな
これは嫌いな言葉
出来ない事を人に言ってもいいと思うし
ケースバイケースだろう
自分と同じ失敗をして欲しくないという想いがあるのかもれない

叱られている時によく思う事がある
あなたはもっとひどいでしょ?
その色んな例が頭を駆け巡る
でもそれは言わない
今、話しているのは自分の事だから
その話の筋を歪めたくないし建設的でありたいから言わない
ただの反撃になってしまう

相手に私を叱る言葉を自分に向けるくらいの
余裕があればいいのだけれど
そこまでは望みすぎな気がする

口げんかをゲーム的な勝負にするのなら
叱られても反論して全て言い負かす自信はあるけれど
そうする事に意味はないし得る物も無い
自分の悪い部分にフォーカスを当てて
良い関係が築けるように自分を改善しようと考える

そこから私が得る教訓は
人を叱責する時は自分にもあてはめて考えてみる
そこで思い当たるフシがあれば
自分の成長に繋がるし
相手に対する寛容さも少しは増すかもしれない

子供を車に置いてパチンコをして死なすとか
許せないような事もある
子供じゃないけれど実際に私の知る人で
そのような目に遭った人がいて
その無責任さは許せない

でもね
そんなひどい事じゃなくて
人間は弱かったりするから
許さないの一辺倒じゃなくて
許す事も大切だと思う

大事なのは
言葉や悪い結果よりも
その言葉をどんな心で発したのか
そっちが大事だと思うのです