はぁ~
昨日もあれこれ来たんだねぇ~
ほぼ追えなかった人
 
 
こういうの見ると師走だなぁって思うね
 
ゆづは2部門で受賞
 
すごいなー
 
や、
当たり前っちゃ当たり前のような!
 
 
 

 フィギュアスケートの羽生結弦選手(23)が5日に開催された『Yahoo!検索大賞 2018』のパーソンカテゴリーの『アスリート部門賞』と『スペシャル部門賞』のW受賞を果たしたことが発表された。

 『Yahoo!検索大賞』とは、Yahoo!検索のデータをもとに、前年に比べその年に検索数が最も上昇した人物、製品、作品を選出し、表彰するというもの。2014年から創設され毎年イベントを開催。今年は『パーソンカテゴリー(10部門賞)』、『カルチャーカテゴリー(6部門賞)』、『ローカルカテゴリー(47部門賞)』とともに平成最後の年ということで『スペシャル部門賞』として平成生まれの著名人の男性・女性も選出し、この男性に羽生選手が選ばれた。なお、女性受賞はテニスの大坂なおみ選手が選ばれた。

 
 
 
私はもう『羽生結弦』で検索することはほぼないけれど、好きになった頃や堕ちる前、堕ちかけの頃はめっちゃググッてたなーw(それこそ『羽生結弦 ←スペース ○○』みたくいろんな単語と共にwww←言えません。えぇ、ここには絶対書けません!w)
 
今年は平昌五輪の影響もあるだろうし、みんな検索したんだね♪ファンも増えたよー
 
 
 
して、
これは…(; ・`д・´)ゴクリンコ
 
お、
おう…
 
 
えーっと…
 
二度見
三度見
八度見
Σ(゜Д゜;≡;゜д゜)
Σ(゜Д゜;≡;゜д゜)
Σ(゜Д゜;≡;゜д゜)
誰かに似てると思ったら…石田ゆり子さん…?(; ・`д・´)
 
いやでも
おめでたい明るいニュースだねぇー✲*゚
 
 
これもかな
 
金賞と!
神戸新聞さんっていうと、ゆづが諭鶴羽神社に行くきっかけとなった記事を書かれていた新聞社さんだよね。
 
 
ありがとう、右足とか…(  ;∀;)
 
今見るとまた新たな思いが湧き出てくる…(  ;∀;)
 
 
 
それからこれも知らなかったー!
 
なんか…すべての過程、作業の工程までも含めて
いろんな人の思いが乗っていてあたたかいなって思いました
 
あげる側、もらう側だけじゃなく
作る人、運ぶ人、ここに携わる人、それぞれの思いが折り重なっているよね
 
 
こういうのも一つのきっかけとして、子どもたちへの関心や支援がさらに増えるといいなって思いますし、それこそ連鎖だなって思います
 
 
 
あとは清塚さん!
 
動画見ましたが、素敵だったぁ…
 
最後のところなんて、清塚さんの言葉を聞いたからとかじゃなく、本当にアスリートみたいに見えました
 
フィニッシュ
 
 
萬斎さんの言葉を借りるなら、能力と技術と哲学といった心·技·体を究める道
 
求道者という意味においては、ゆづと同じなのかもしれないなって思いました
 
 
春よ、来いについて
清塚さんの言葉を(numberより一部引用)
 
羽生選手は物事の分析が上手で、なおかつ早い。表情や仕草から常に何かを感じ取って、相手の気持ちまで分かってしまう。その上ですごく自然に生きてらっしゃるなぁというイメージがあったけど、実際の羽生選手もその通りの人でした。
 
生演奏とフィギュアスケートのコラボは、正直難しいんです。やっぱりスポーツである以上、ジャンプを成功させなきゃいけないなどのシビアな事情があるので、音楽に依存している場合じゃない。それはコラボレーションして一番強く感じたことでした。僕は芸術の一環と思ってご一緒するつもりだったんですけど、いや、これはスポーツだなって。スポーツと音楽のコラボレーションだなって。今回はライブだから、もちろん毎回同じようには弾けない。絶対、どこかしらに揺らぎがあるものです。リハーサルのときに、一秒以内のズレですら、羽生選手は『清塚さん、今、一秒くらい遅かったと思うんだよね』って指摘する、そういう世界でした。
 
そこですごいのは、羽生選手は、僕にその一秒のズレを戻してとは言ってこないこと。その揺らぎが、僕らがライブとしてやる醍醐味にもなるはずだから。
 

お互いの「人間」を知ろうとしていました。音楽って、抑揚があればあるほど素敵なんですよ。つまり、テンポが遅くなったり速くなったり、強弱が弱くなったり強くなったり、揺らぎがあればあるほどエモーショナルになるんですね。だけど、それを使えば使うほど、タイミングが変わってくるので、合わせにくくなる。僕自身、羽生選手の「人間」を知るうちに、ここなら間が取れる、ここは絶対変えちゃいけないというポイントが理解できるようになってきた。それは羽生選手も同じでした。
 
 
一番最後のキメのスピンが3段階に変化するのですが、僕はその変化の中でグリッサンドを3回やる。アイコンタクトが難しい中で、向こうは僕のグリッサンドの速さ、強さ、僕は彼の回っている長さ、速さを感じ、ピタリと合わせる。音楽家ではない人とそういう音楽的なセッションができたのは初めてでした。あの瞬間、僕はスポーツ選手になれたし、彼は音楽家になれたと思った。
 
 

一度きりの握手はこの時
 
 
 
ここからしなくなったのも、二人にしかわかり得ないものなのだろうと思いますが(清塚さんは違和感を感じたと書かれていた。そしてゆづもそれを理解してくれたと)

この時は、それぞれが舞台の上と氷の上、その場にいるからこそ起きた化学変化であり…
それを越えての握手は、なんとなく…深い精神世界での繋がりを感じたからこそ、肉体的に触れ合うことがしっくりこなかったのではと想像しました



春よ、来い
また見たいなぁ
 
 
 

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