昨日は本当に温かく幸せな気持ちで一日を過ごせたなぁ

こんな風に過ごせること、過ごさせてもらえること、いろいろと感謝した一日でもありました
 
 

発表式おわって、近所のみんなでこんなところへお出かけしてきたよー
 
高速に乗って、ちと遠出

森へGO!
 
緑が萌ゆってるのー

いい時候だね
 
川遊び!
 
もち足だけだけどw

子どもたちはめっちゃ喜んで無限のエネルギーで遊び尽くしてた~

結構たくさん遊びに来てたなー


いやぁ、癒される…
川のせせらぎと緑の中は、ほんとに大好きです
 
カフェで休憩♪
子どもたちは全員ソフトクリームなのに、親はガッツリパフェなんw



みんなねー、ゆづのこと大好きなんだよー!
(ワールドも『はにゅーせーんしゅ!がんばーれ!』ってテレビの前で応援してくれてたの記事に書いたよね)
 


私は子どもたちからは『ママ』って呼ばれているんだけどね

ここに引っ越してきた2年前は、『ママ?はにゅうのこと、すちなん?(好きなん?の意)』って赤ちゃんみたいに喋ってた子も、今や『ママ?羽生選手見に行くん?試合?』なんて言うんだよー


なーんか感慨深いなぁと…昨日、大きくなったみんなを見ていて思いました
 
この子たちの成長とともに、彼らの中のゆづの存在は、これからどうなってゆくのかなーとか想像したりね(*^^*)
 
 

ってな感じで一日外だったため(日焼けしたー(ノД`)・゜・。うっかりだったわー(ノД`)・゜・。)、あまり追えていないので自分用に

動画また見させていただこうⓣⓗⓐⓝⓚⓢ
 
 
 
 
 



 

モニュメントデザイン発表式
ゆづの挨拶全文
 

 今日は皆さん来てくださり、本当にありがとうございます。モニュメントのデザインの発表式に、実際にちゃんと仙台に足を運んでこうやって皆さんの前に立てること、そして話せることをとてもうれしく思います。

 この発表式の段取り、計画は本当にすごく前から行われていて、そしてこの発表式自体の設営、環境を整えるにも、昨日の夜からたくさんの方々がやっていらっしゃいました。そういう方々にも本当に感謝したいなと思います。本当にありがとうございました。

 また、このモニュメントを作成するにあたって、デザインをするにあたって、たくさんの協賛の会社の方々、スポンサーの方々もいらっしゃいます。本当にそういう方々にも心から感謝したいと思います。ありがとうございました。

 そして何よりも、このデザインの発表、そしてモニュメント自体を楽しみにしてくださった仙台市民の方々、そして全国の私を応援してくださる方々、今日は当選されなかったかもしれないんですけれども。今日、今見てくださっている方々、本当に今まで応援ありがとうございます。

 (06年トリノ五輪フィギュア女子金メダリストの)荒川(静香)さんの隣に自分が2人並ぶというのは、とても恐縮で(笑い)。本当に「ああ、でも2連覇したんだな」っていう、何かすごい感慨深い思いと。(会場から拍手が起こり)ありがとうございます。

 これをまたきっかけとして、仙台に足を運んでくださる方が増えたらいいなと思いますし、こうやって(自分のモニュメントが)二つ並ぶことによって、自分も今見てたのですけれども、何か顔の表情だったり、靴の使い方だったり、ポーズの仕方だったり、いろいろ本当に違ったところも、細かいところかもしれないですけれども、あると思うので、ぜひじっくり比較しながら見ていただけたらうれしいなと思います。今日は本当にありがとうございました。

 
 

司会者とのやりとり

 ――デザインがお披露目された。率直な気持ちを。

 ◆まず自分が演技として、韓国の平昌の地で、そして、その前にはロシアのソチの地で演技をしてきたのですけれども、それが記録として残るだけじゃなくて、モニュメントとして歴史に刻まれるっていうことは、ほんとうにすごいことだなと思います。形として残るということはこれからもつながっていく、残されていくということなので、何か自分が、(フィギュアスケート男子の連覇は)66年ぶりだったかもしれないですけれども、自分ができたことに本当に誇りを持ちたいなと思いましたし、また何かこれをきっかけに、「ああ、自分もモニュメントを立てたい」と、そういうふうに思ってくれる。仙台でフィギュアスケートをやっている子が一人でも増えたらうれしいなとも思います。

 ――お子様たちにもそうですね。

 ◆はい。

 ――皆様にとってもうれしいモニュメント。ありがとうございます。

 ◆ありがとうございます。

 ――五輪2連覇が記憶に新しい。昨年は祝賀パレードがあった。振り返って。

 ◆もちろん自分がスケートをしている時も、たくさんの応援の声が届いてはいるのですけれども、改めて自分がスケートをしていない状態で、皆さんを上から見下すような形になってしまっていたかもしれないですけれども、改めてみなさんの一人一人の声とか、自分が皆さんに集中できる環境の中で、皆さんの応援の声、そして「ありがとう」「おめでとう」という声を自分で間近に感じられたというのはすごく、自分の人生の中でも大きな経験になりました。そして何か、そういう気持ちをあの時にいただけたからこそ、今またスケートを頑張れてるのかなというふうにも思います。本当にありがとうございます。

 ――最後に。震災から復興への歩みを進める地元仙台への思いを。仙台でフィギュアスケートをする子どもへメッセージを。

 ◆先ほど、パレードの話もありましたけれども、実際まだ復興の道半ば。または復興の道途中と言っていいのではないかなというふうに思う地域も数多くあります。そういう中で、祝賀パレードという形でやっていただけたのは本当にうれしかったと思いますし、またそれをきっかけに、仙台の地にいろいろ足を運んでくださって、募金(に協力)をしてくださった方、またはお金を少しでも落としてくださった方、たくさんいらっしゃったと思います。今回のモニュメントに関しても、自分ができる最大限のことをまた復興の方にもできるようにしていきたいなと改めて思わされるものでした。

 また、この仙台の地でフィギュアスケートをやっている方々、本当に頑張っていると思いますけれども、とにかく夢を持って。夢がなかったら何か目標を作って、そのまま純粋な自分の気持ちを忘れずに。自分が何かをする時に、自分が心から気持ちよく何かをできる、なんか昨日の自分や未来の自分が見た時に、「ああ、これはだめだったな」と思うようなことではなくて、いつ、どこで自分が見ても気持ちよく思えるような自分を目指して、これからやってほしいなと思います。

 ――羽生選手、ありがとうございます。

 ◆ありがとうございました。

 
 
スポニチも
 
 
発表式後
記者会見全文
 
 

――仙台に帰ってきてどうか。

 「実は、昨日(19日)に帰ってきて、あまりまだ仙台だなという実感がなかったんですけど。こうやって、地元局の方とか地元紙の方とか、そういう方に会うと、ちょっと帰ってきたなって。凄く地元だなっていう温かい気持ちになりました」

 ――お披露目されたモニュメントの率直な感想は。

 「やはり、自分が2連覇したということで、その2枚分の活躍をできたということはすごく誇らしいことだなという風にも思いましたし。それが残るということに関しても、自分の演技はあの場、あの場所でしかなかったかもしれないんですが、それがちゃんと形としてずっと残るというのはすごく自分がやってきて良かったなというか、やっぱり五輪の金メダルは特別なものだったんだなというのを改めて感じました」

 ――モニュメントが増え、被災地、宮城、そして東北への観光客が増えると思う。その効果については。

 「そうですね、ちょっと違う話になっちゃうかもしれないですけど。先日、ノートルダム大聖堂が燃えてしまって、それの募金の話とか、凄くもうたくさんのお金が集まっていてすぐに再建、修理への気持ちというか、機運というのがしっかり動いている。あとは台湾も先日、地震があって、被害があったみたいで、そういったいろんな地域でもそうなんですけど、やっぱり一人一人の凄い小さな力かもしれないですけど、人間っていう一人一人の力が集まって、やっと復興だとか新しくなっていくということにつながっていくと思う。その一人ずつが何かつながるきっかけになるのであれば、自分という媒体を通してつながってくださるのはとてもうれしいことですし、仙台だからこそ、仙台にこのモニュメントがあるからこそできることじゃないかなとも思うので。やっぱり自分が仙台市民で良かったなと思うのと同時に、これがきっかけになって、もちろん仙台だけじゃなくて、宮城県、東北、東日本、そういった大きな目で復興っていうものが進んでいったらいいなという風に思っています」

 ――時代は令和になる。平成で伝説を作ってきたが、令和ではどんな伝説を。

 「やはり4回転半に挑戦したいなという気持ちは凄く強いです。実際にまだ跳んだわけじゃないので、そんな強いことは言えないかもしれないですけど。ただ、これから戦っていくに向けて、やっぱり自分の武器となる何かをさらに付け加えないといけないなという義務感が凄くある。何か武器を改めて作って、これから令和に向けて頑張っていきたいなと思います」

 ――発表式は600人に対して応募が2万113件あった。この倍率についてと、来られなかったファンへのメッセージは。

 「やはり、自分が入った時に歓声だとか、拍手の大きさとか、そういうものでたくさんの方がここに来て下さったんだなという気持ちも凄くありましたし、逆にその方々が代表でっていうのもちょっと変ですけど、2万をこえる応募があったということは、自分が滑るわけでもないので、フィギュアスケートのファンではない方もいらっしゃったかもしれないですけども、そういった方々が自分のことを凄く応援してくださったというか、このモニュメントのことについても楽しみにしてくださっているっていうのが、改めて数で、というのも変ですけれども、凄く伝わったなという風に思います。また、残念ながら足を運べなかった方々に対しても、やっぱり、その先ほども言ったように、一人一人ちっぽけかもしれないですけど、僕も含めてすごいちっぽけかもしれないですけど、1人から2万とか3万近くとか、そういう風に数が大きくなっていくにつれてすごく大きな力になると思うんですよね。やっぱり、そういった大きな力を改めて、その数字ということから感じさせていただいたなと、あらためて感謝したいなと思います」

 ――デザインはどうか。

 「まず、写真からそのまま使われているという点に関して、すごく自分で気に入っていて。やはり、自分は滑っている時、瞬間が一番、羽生結弦になれているなと思うので。やっぱり、その、滑っている瞬間を切り取ったものとして、デザインが残されるというのは、凄くうれしいなという風に思っています。またなんか本当に細かいんですけど、ソチ五輪から平昌五輪に向けてブレードの色が変わったりとか、そういう細かいところまで繊細に作られているものだなと改めて感じたので、そういった細かいところも見ていただけたらな、と。せっかく、ソチ五輪と平昌五輪と並んでモニュメントが建てられるということなので、そういう細かいところもちょっと気にして見ていたけたら楽しんでいただけるんじゃないかなと思います」

 ――荒川静香さんの隣に2つの羽生選手が並ぶのは恐縮と言っていた。少年の頃(の自分)に声をかけるとしたら何と。また、スケートを頑張っている子供たちへのメッセージ。

 「僕も実際に小さい頃にテレマサさんに特集していただいて、本当にちっちゃかったなと思うことも何かフラッシュバックして、色々思い出しました。あの、荒川さんの隣に2つ並ぶっていうのは、自分がしてこられたことに対して、やっぱり胸を張っていられるなという風に改めて思いますし。逆に小さい頃からこうやって仙台から頑張ってきて、こうやって荒川さんの隣に建てるっていうのは、やっぱり仙台の縁というかそういうお力を感じるなと思います。また、今、フィギュアスケートを頑張っている子たちに対しては、そうですね、もしかしたら僕の演技を見て始める選手とかもこれからいるのかなとか思ったりもしていて。そういう意味では、その子たちがやっぱりこういう風になりたないなという人間で常にありたいなと思います。また、そういった僕が感じた仙台の力とか、ちょっとでも感じられるような貢献を僕もこれから荒川さんに助けられたように、これから僕も仙台に対して、色んな力を使っていけたらなと思っているので、頑張る環境を作っていきたいなと思います。

 ――羽生選手自身の夢は。

 「実は、1年前までは、自分の夢は4回転半のジャンプだったと思っています。それをやれば、夢は達成されるという風に思っていました。ただ今の自分の気持ちとしては、4回転半は夢じゃなくて、しっかりと習得してマスターしたいものだなと。近い、具体的な、挑戦するべきものみたいなものに思えているので、夢ではないかなと。だから自分の夢は、そうですね。4回転半を初めて公式試合できれいに決める人になりたいっていうのが、今の夢かなと思います」

 ――ファンの存在は。

 「つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりつらくなったり、自分よりも喜んでくれる存在じゃないかなという風に思っています。やはり、直近この2シーズンで2回も大きなケガをして、その時に自分よりもつらいような方もいらっしゃったりとか。その中で、苦しい状況の中で、凄く前に向かってというか、上に向かって立ち向かっている方。そういうメッセージや手紙をたくさん頂いた。そういう方々の思いが自分に還元されて、最終的に自分の演技になっているんじゃないかなという風に強く思う。一言で言うと、自分のスケートの源みたいな感じがしています。これまで平昌五輪前、の前のシーズンくらいまでは、勝たなきゃいけない、強くならなきゃいけないとか、いろいろ考えたときに、凄く自分主体だった。でもそういう時でも応援してくださる方の力は感じていたけど、平昌五輪が終わって改めて、こういうモニュメントの場を設けてもらって、改めて皆さんの力、思いの力が凄く自分のスケートに役に立っているというか、凄く直接的に皆さんの思いが伝わっているんだなと改めて感じているので。そういう方々に逆に僕から感謝したいですし、スケートではない機会なので、しっかりと、発表式の時も皆さん一人一人の顔を見て、ありがとうって風に思っていましたし、たくさんね、テレビやインターネットで見てくださる方もいると思うので、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます」

 ――モニュメントのデザインへの思い。

 「このモニュメントのデザインの中に写真というのが印象に残っていて、自分が滑っている瞬間を切り取った物だと思っているので、そのモニュメントを見ることによって自分の演技だとか、演技全体でもなくてもいいけど、この瞬間が少しでも思い出されるようなものになっていたらうれしいなと思います」

 ―モニュメントのポーズ「SEIMEI」への思いは。

 「これは何て言えばいいのかな…。最初の冒頭のジャンって鳴ってから、縦笛が流れているところのシーンなんですけど。最初のポーズで天と地と人と全てを司っている風に感じている。野村萬斎さんと話をさせていただいた時に改めて色づけしてもらって、それを凄く大切にしてこの演技をしていました。これはそこのポーズから動きだしているシーンなんですね。だから、司っているシーンから、それを支配しながら、周りの状況というか、この時はリンクなんですけど。そのリンク全てを自分の支配下に置くみたいに、そういう強い気持ちで意味を持って滑っています」

 
めっちゃキレイ…(震え)
 
 
ライスト見ていても思ったけれど、ほんといろんな人たちへの感謝の気持ちを忘れないなぁと

それを言葉や態度で、あの場で表すということもね

その根底には、“自分は皆さんの尽力の上にここに立たせてもらっている”という思いがあるのだろうなと想像します

挨拶、まずそこから入ったのがゆづらしいなぁと思いました


あと、被災地への思いもそうですけど、ノートルダム大聖堂の火災のこととか…まあ不思議ではないですけど知っていて、そこからの自分の考えを述べるところが、すごいなぁと思って

話が厚いなぁと

なんか、個人的な想像ですけど、こういうのって羽生家全体でひとつになっているんじゃないかって思ったり

たとえば、世界でこんなことが起きているよとか、これについてはパパはこう思うよ、ママンはこう感じるなぁとか、いま日本はこうだよとか、こんな動きがあるよとか、話し合ったり意見交換したり、情報教えたりと…常にしているんじゃないかなって、ずっと思っています

忙しいゆづも、その中で私見が広がったり考えが深まったりすること…あるんじゃないかなって…

羽生家って家族がひとつになって、同じ方向を向いて歩んでいるイメージがあるんだな


まあ、勝手な想像ですけどね


 
これは何だろう?w
 
 
ファンへの思いを言葉にしてくれたのも嬉しかったね(*^^*)

つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりつらくなったり、自分よりも喜んでくれる存在じゃないかなという風に思っています。

こんなこと言ってくれる人がいるだろうか…涙

ってか、こんな風に感じてくれているって…ほんとすごいことだと思うんだけれど…


これってもう家族の境地の思いよね?

それを、『ファン』がそうだと言ってくれているんだよ?


いやぁ…なんか、胸にグッとくる言葉でした

ゆづの想いが、すごく感じられる印象深いものでした


もうこの言葉だけで…ゆづがそう感じてくれているというだけで…何もいらないって、それだけで充分って思います

 

ここかわいかったね‪♡
 
目玉ショットの完成っすね!(*´∇`)ノ
 
 
 
 
さあ、今日は!

いよいよ写真家さん(田中さん)講座に~


もうドキドキしているんですけど
(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)ドキドキ
 
こんなの初めてだから
(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)ドキドキ
 

言うならば、アイスショーに行くみたいな…ゆづに逢いに行くみたいな…


いま、会いにゆきます…←懐
 
 

どんな講座なのか、楽しみです♪


緊張する~(。ノω<。)


 
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