最近目にした読み物の中で、今季を振り返る過程でゆづのトリノでの4A挑戦を印象深いこととして書かれている方が多いなぁと思います
 
ほんとに多いなと思った!
 
あらためて、こんなにも人々の心に刻んで焼き付けた光景だったのだと思い知っています
 
 
 
まず報知の矢口さん
 
フィギュアスケートを本格的に撮り始めて、まだ1年に満たないんだねΣ(゚д゚;)
「正直に言えば、今だって分からないことばかりだ。」
 
その矢口さんは、ファイナルでゆづが上着を脱ぎ、いきなり半袖になった時点で「何かが起こる違和感があった。」
 
 

「いよいよ雰囲気が変わった。」
「着氷できなかった羽生の体は、固い氷に激しく叩きつけられた。」
「翌日のフリーで跳ぶ予定はなかった。疲労や怪我のリスクを考えれば、その場で4Aを練習する意味を探すのは難しかった。」
 
 
矢口さんが少し混乱しながらも…必死にゆづを追っていたのが目に浮かびます
 
どうしてここで4Aをするのか、その意味が、探し当てられなかったと…
 
 
「自分を鼓舞するための、理屈ではない挑戦」
「羽生のすごさは、他者だけではなく、自分自身に対しても本気の物語を紡げるところ」
「誰よりも自分を応援したい自分でいられるように、挑戦を繰り返す」
「だから、逆境でも自分を奮い立たせて、立ち上がることができる」
 
 
 
そしてここね、個人的に胸に深く浸透した箇所
「選んだ道は険しい。自分に嘘はつけない。自分に向けられた物語は、脚色することができない。」
 
「しんどいだろうな、と思う。」
 
なんだか…この部分は写真家さんとしての言葉よりも、等身大の素の“矢口亨”を感じたんだな…
 
なんて言うかな…初めてゆづに自分を重ねて実感した言葉のように感じられて…生の人間の温度みたいなのを感じる言葉だなって思いました
 
他人の物語には他者が脚色できるけども、自らが紡ぐ自らに向けられた物語は一切脚色ができない
 
その道を自ら選び自らを投じるように生きるゆづの姿に、矢口さんは一人の人間として『自分だったら…』っていう観点で重ねみているように感じました
 
だからこその、『しんどいだろうな、と思う』なんじゃないかと
 
 
これって、ゆづに自分自身を置き換えて見てしまうって、きっとゆづのまわりにいる記者さんや写真家さんたち誰もが一度は経験していることなんじゃないかと思うんです
 
私たちだってきっとみんなしてるよね?
 
その中で、やはり胸を打たれて感銘を受けて魂を揺さぶられる
 
そして必然的に心を掴まれて落ちる…イコール好きになる…愛してしまう…愛する…ということになる←愛して愛して愛してしまうのは私ですが。σ´Å`o)オイラ
 
 
 
「ぼくが羽生を好きになるのに時間はかからなかった」
 
 
矢口さん…ようこそって思います^^*
 
どうかその物語を見届けてくださいねって、矢口さんの目と心とファインダーを通した渾身の一枚を見せていただきたいって思っています
 
 

それから、マガジンの毛受さん 
 
毛受さんは今シーズンで最も心に残ったのがトリノファイナルでのゆづの4A挑戦だったんだね
 
「あれが今シーズンにおける『転換期』であり、羽生選手の競技人生の中でも重要な位置づけになるだろうシーンだったように思える」
 
 
でも当初は4Aに挑もうとしているとは気づかなかった
 
ゆづの様子が何かいつもと違うなと感じつつ…「今日は失敗が多いですねぇ」と言いながら見ていると、後ろにいたゼウス様が「違うよ、あれは4Aだ!」ときっぱり!(ゼウスさすがーーーーーーっ!拍手)
 
「そこからはもう、集中力MAXでシャッターを切りまくった」
「羽生選手はとりつかれたように『4回転アクセル』というジャンプと向き合っていた」
「失敗しても、転んでも、『絶対に跳んでやる!』という意欲がスタンドまで伝わってきた」
「『不安』や『恐れ』を微塵も宿していなかった」
「気迫十分でありながら無心」
「つくづく、羽生選手はリスクを顧みない男だと思う」
「前に向かい続けた」
「本当に恐ろしい男だ」
 
 
毛受さん、“羽生選手”としながらも、所々『男』って呼ぶんだよね
 
選手としてリスペクトしながらも、素の自分が惚れている感覚…あるんじゃないかって思いました
 
選手としてベールを纏った中に、ゆづの『男』としての生き様を感じて…その両面で心魂鷲掴まれている人の言葉に思えました
 
 

それから最も詳しく書かれていたのが報知の高木記者かなぁ
 
「35分間の公式練習は濃厚で、急展開で、私たち報道陣は半ばパニック状態になった」
 
これ、すごい場の空気が伝わってくるなぁと
 
あの時は、私たちもびっくりしすぎたのと衝撃と祈りと泣きそうな気持ちと…ほんとに震えていたのを覚えています
 
 
「一夜で闘志の炎をここまで再点火できることに、羽生の凄さをあらためて感じた」
「トリノの衝撃」
「私はあわててパソコンを開いた」
「跳ぼうとしている──」
「羽生が踏み切るたびに『ケガだけは…』と観客も、関係者も、メディアも、息を止めて祈った」
「何度も、何度も立ち上がる羽生」
「その姿に私は圧倒された」
「羽生は楽しそうだった」
「迷いなく、ひとつのことに集中しきれている姿」
「原稿はすでにある程度書いていたが、大きく差し替える必要があった」
「公式練習で、それもこのシチュエーションで、人前で初めて4回転半に挑んだことを記録として残すべきだと考えた」
 
高木さんの文章内のほんの一部の言葉ですが、読んでいて当時の興奮と震えと衝撃が蘇ってきます
 
それも、まるで昨日のことのように…
 
これがね、すごいと思うの
 
 
もう6ヵ月も前のことなのに、ゆづのあの姿とあの時の空気感は、微塵も時を感じさせることなく感覚として蘇ってくる
 
刻まれているっていうか…忘れられないものとして、忘れさせない衝撃として、深く色濃く跡を残された感覚です
 
 
 
フリー翌日の一夜明け取材で、高木さんはゆづに4Aについて質問した
 
その回答は、高木さんが知る限り、ゆづのコメント史上最長だったと
 
 「はい。頑張ります。そのつもりで。本当は正直な気持ちを言ってしまうと、ショートが終わった後に割と絶望していて。やっぱり、まあ、サルコーと4回転トウループのコンビネーションの構成で、まあ『オトナル』があまりにもはまらなすぎて、ずっと。何ではまらないんだろうっていうのをひたすら考えてはいたんですけど。まあ、13点差っていうのは、ジャンプ1本増やしたからとか4回転にしたからって言って、あのー、縮まるものじゃないっていうのはすごく分かっていましたし。彼(ネーサン・チェン)自身も5回跳んでくるだろうということは、もう、すごく分かっていましたし。あとまあ、こんなプレッシャーでは絶対に潰れないっていう強さをすごく感じてもいたので、まあやっぱ難しいだろうなっていう感じはありました。だからこそ、やっぱここで何か爪痕を残したいっていう気持ちがあって。うーん、いろいろ考えたんです。何か、何で今回コーチが来られなかったんだろうとか、どうしてショートでミスをしてしまったんだろうとか。あんまりそういう、なんか、運命主義者ではないんですけど僕は。でも何かしらの意味が多分そこにあるんだろうなって考えて。で、もしそこに意味があるんだとしたら、ストッパーがいない今だからこそ、自分だけで決められる今だからこそ、ここでやってもいいんじゃないかなってちょっと、自分を許してしまって。だからある意味、あのー、4Aの練習をすること自体が、もう本当に1か月以上、ですかね、やってなかったと思うんですけど。やっぱスケートカナダからNHK杯の間も、うん、1、2回くらいしか出来なかったですし。もちろんNHK杯からこちらまではもちろん無理でしたし。でもそれでもやりたいって思ったのは、ここで何かしら、何かを残したいっていうふうに思ったからであって。まあ結果として跳べなかったですけど、あの練習はかなりいろんな覚悟を決めて。やっぱりアクセルの練習をするのは、まあ毎回そうなんですけど、いろんな覚悟は決めていて。まあやっぱり回転がまだ足りきってないジャンプの方が多いので、いつどこか痛めてもおかしくない着氷だったり、転倒をするっていうのもリスクはありますし。後は、まあ試合の公式練習だからこそ気合が入りすぎて、やっぱいつもより浮くだろうと。そうなった場合に、やっぱり前にケガしたのと同じ状況になって、大きなケガをしてしまうリスクもある。で、もちろんこの時期にケガしてる確率も高いので、そういう意味でも怖いなっていうのと。後は最後は、やっぱ、ほぼ試合を捨てるような覚悟でいってるんですよね。ここで無理をして力を出し切ったら、やっぱりフリーまで持たないのは分かっていたんです。調整はしなきゃいけないはずなのに、ショートでも跳べなかったくせに、やっぱりそこでやるっていうことは、そこは捨てるという言い方はふさわしくないかもしれないんですけど、試合ごとそこに懸けるぐらいのつもりで、そこのアクセルの練習に懸けるぐらいのつもりでやらなきゃいけないっていう、なんか覚悟があったので。まあそういう意味でもいろんな覚悟をしながらこの試合過ごせましたし、だから先程誕生日のお祝いをしていただけましたけど、なんかそういう意味でも、やっぱ、ここは一生に一度しかない所ですし、僕自身も、ここの舞台がきっかけでいろんなことが回って。で、スケートができて。やっぱり憧れの地になって。で、オリンピックで優勝できてっていうふうに全てがつながってきていると思うので。まあ跳べはしなかったですけど、でもある意味、ここがまた自分にとってのきっかけの地になったなと思います。すみません長くて」
 
ほ、ほんとに長いね!ヽ(°д° )ノ

でもこれを、当時ぐちゃぐちゃの気持ちとして自分は記事に書いたなぁ…(懐古)

『ぐちゃぐちゃの気持ちを少しずつ…。(一夜明け一問一答)』
 
こういうの、書いてよかったなとほんとに思う

後から振り返ると、やはりこの時はこの時にしか書けないものを書いていると思うので…

 
 
高木さんの4A部分締め言葉

「自分の頭の中を、こうも的確に言葉にできることは、羽生の傑出した能力のひとつだ」
「このまま終わるわけにはいかない」
「羽生の心をつないだのは、夢のジャンプだった」
「憧れのパラベラに、自身の生き様を刻んでいるようでもあった」


ゆづは今、あのトリノでの4A挑戦のことをどう思っているのかなぁ?

どう捉えているのかな?

また当時とは違った気持ちや言葉が出てくるかな?どうかな…



「ここで何か爪痕を残したい」
「ここで何かしら、何かを残したい」


この思いは、間違いなくあの姿とあの時空となって、人々に刻まれているよね




シーズンを振り返る中で、こうもたくさんの記者や写真家さんたちが触れるのだから…

その中で、また自分自身にも刻まれたものを再確認しました



トリノでのあの時のことは、きっと語り継がれていくんじゃないかと思います

そして、ゆづが目指している4A実現の時が訪れたならば、また別の意味を持って息づいていくんだろうなと思いました


 

 

 

 

皆さんも記事の中で書かれていましたけど、どうかケガだけはしませんように!(祈)
 
 
そして、やはり今は何よりも氷上練習だね

新プロも楽しみだけれど、健康第一でということも祈っているよー!
 
 
 
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