載せてなかったものたち
 
味の素さんのゆづ記事まとめ
 
シーズンフォトブック デジタル版発売
 
 
そして、若杉さんの講座~!
 
聞き入っちゃったねぇ
 
なるほどなぁと思いながら
 
これわかるー!って思った(*^^*)
 
そしてこれは…私が受けていた印象とは真逆だったなぁ
 
私の中では、何かが立ち上がっていくイメージを持っていたから、若杉さんの解説を聞いておもしろいなぁと思いました
 
まったく逆だった^^*
 
 
矢口さんも反応してたねー
(先輩後輩なのかな?よく知らないけど…)
 
 
 
しかし私、今回この写真を見た時に少し混乱したんですよね^^;
 
あら?この写真撮ったのって小海途さんじゃないの!?って
 
あれれ?若杉さんだったの!?って
よーく見ると違うね!(それもなかなかわかりづらかった^^;)
 
 

不思議だなぁと思って
 
たくさん連写してる中でも、小海途さんも若杉さんも同じものを『これだ!』って思ったんだなって
 
なんだろう…?感性とか感覚だとかが似てるとこあるのかな?って思いました
 
 
 
この写真ってさ…
 
 
私、去年スポニチさんの『撮ってもいい?話』で小海途さんの話を聞いた時に、歌舞伎の『型』の話を思い出したって当時記事に書いたんだけど…
 

中村七之助さんが歌舞伎にも『型』があるって話してて…全部決まってるんだって

 

そして七之助さんが人間国宝 坂東玉三郎さんに教えを受けたこと

 

「踊りは、「“流れ”なのよ」って言われた」

 

『型』はできて当たり前

 

その型と型の“流れ”こそが踊りなんだと教えを受けたと

 
 

この話を思い出しながら…

 

これってスピンひとつにも当てはまる捉え方なのかなって思って…

 

ここに小海途さんのセンサー?本能?センス…カメラマンとしてのシャッターを押すエモーションが反応しているのかもしれないなって思いました

 

 

すごくおもしろいというか…興味深い新鮮な感覚だなぁと思いながら聞いていました

 

 

もしかしたら若杉さんも同じような感覚を持っているのかなって、今回思いました(*^^*)

 
 
 
で、この時、七之助さんが対談していたお相手が星野源さんだったんだよね
 
その話も興味深かった

 

 

「音階とかがもうすでに決まっちゃってるわけですよ。で、音階の…」

 

「『ド。ド♯。』っていうのが西洋音楽。でも…」

 

「三味線とかも境目がないでしょ?」

 

 

 
これ、なるほどなぁと思ったんだな
 
七之助さんの話に通ずるところもあるし、スケートにも似てるなって私は思って…

 

ゆづは萬斎さんに聞いていたよね

 

『型』について

 

狂言でも、たとえばこの型が“泣く”なんだって萬斎さん仰っていた

 

ゆづ自身もスケートとして…

 

 

そしてこの言葉が萬斎さんから出るんだ

 

(今聞いても震えちゃう…ゾクッとする)
 
 
この言葉を受けてから5年…
 
ゆづはそこへ向けて挑戦し続けてきたとも言えるかもしれないね
 
ジャンプでも難しい入りをして、着氷後も流れを切らさずに技に入っていって…
 
これだってまさにそうだった
 
世界でゆづにしかできないこと
 
型があるものの宿命を生き、超えてきた
 
 
 
そしてこれはジャンプに限ったことじゃなくて、スピンでもステップでも言えることだよね
 
 
全体的なスケートという観点においても言えると思う
 
 
 

萬斎さんが実際にゆづのSEIMEIを見られて、こんなことを仰っていた

 

「スケーティングもある種まわっている時というのは…」

「わりとそうですね、あの、そういう萬斎さんのお話から言うと無の状態に」

 

「そうですよね。一種、全体の小節が何小節かある中で、ぐるりとまわるというのは、たゆとうてるというかね」

「かと思えばステップを踏むっていう時にはリズムを刻むわけではないですか。そういう意味で言うと、まあ僕らもこの舞台はね、結構まわるんですよ。まわること自体は、なにか演技かっていうと、それ自体が演技というのは、やっぱり一種、時の流れであったり…エネルギーの、なにか螺旋を見せるとかっていうことで」

「星の運行にも近いけれども、そういうような…こう…もうちょっと大きな世界観を見せるような気がしますね。そこから具体的な何かが…直接的に何か型をするっていうようなことになっていく。ですから、まわっている間はある種 無になっている」

「体が、もちろんその中に序破急という僕らのね、あのー、独特の考え方で。ゆっくりなところからだんだん加速して盛り上がる、ジェットコースターと似てるけど(笑)ずーっと行ってスッと行くっていう、そのまわる、まあるくまわるにしてもそういう序破急をつけるんですね。同じ速度でまわるって言っても、人間が込めたものがこうスーッとスピードになって抜けてくみたいなものを、お見せしてる気はしますよね」

 
 
この萬斎さんの言葉は、玉三郎さんの言葉と少し重なるところがあるんだな
 
芸術の極意というか…表現者としての奥義でもあるような気がします
 
 
萬斎さんは、ゆづのスケートを見てその極意が通ずるところがあると見抜いていたということだよね
 
『フィギュアスケート』っていうものが伝わっていたんだなぁと、この言葉たちに触れると感慨深く思います
 
 

ゆづは、『型』があるものの宿命を生き、超え続けてきた…
 
そんなことをあらためて実感するのでした



若杉さん、「演技を見ていてどんどん引き込まれていって、シャッターを切る回数がどんどん増えていって」って言ってたよね^^*
 
毛受さんもファイナルでゆづの4A挑戦を目の当たりにし、夢中でシャッターを切りまくったと言っていた
そして四大陸では心の中で絶叫しながら撮ったってねww
 
田口さんも、ある試合でのゆづを撮っている時のことを、自分が何を撮っているのかわからなくなるほどの経験だったと言っていた
 
 
こういうのを聞くと、なんて人なのかって思うんだな

それは写真を通しても伝わってくるけれど、撮り手にこんな風に思わせてしまう存在なんだなって、いつも感じ入ります


またいつの日か、カメラマンさんたちの渾身の写真が見られますように…☆
 


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