数日前、私の住む県で修学旅行中の児童ら62人を乗せた旅客船が沈没するという事故がありました
 
全国ニュースでも報じられていたので、もしかしたらご存知の方もいるかもしれませんが…
 
こちら地元の新聞
(各記事やニュースでは小学校の名前が出ていますが、ブログでは伏せますね)
 
 
これ、異変に気づいた漁師さんもすごいなと思って…
 
『あの船はおかしい。潮に流されている』
 
その道のプロ…さすがだなぁと思いましたし、この察知がなければ事態はどうなっていただろうとも想像します(船は事故発生から20分で海の底に沈んだそうです)
 
 
そして何より子どもたち
 
みるみる沈んでいく船の沈没するスピードを遅らせるために、多くの児童が海中に入ったと
 
海のど真ん中だよ?
 
ライフジャケットを装着していたとはいえ、当然足なんか着かないし、深い深いまわりに何もない瀬戸内海のど真ん中
 
加えて辺りは薄暗くなり始めている
 
 
先生に声を掛けられ、自ら進んで海に入る子どもたち…
 
とても小学生とは思えないなと感じました
 
 
 
漁師さん曰く、子どもたちは驚くほど落ち着いて行動していたといいます
 
 
お互いに声を掛け合いながら助けを待つ…
 
助けの船が来ると、そこまで1人ずつ泳いでいく
 
 
船上に引き揚げられると、次に来る子に向かって「頑張れ」「もう少し」と応援を始める
 
さらには漁師さんと共に引っ張り上げるのを手伝ったり、漁船を動かす際は、まわりに人が浮かんでいないかを率先して探してくれたりしたそうです
 
 
 
「僕より先にこっちの子を」
 
 
救助の順番を譲る子…
 
 
 
もうね、私、新聞を読みながら涙が止まらなくなってしまって
 
 
なんて子たちだろうと…
 
 
 
怖かったと思うの、子どもたち
 
想像だにしないことが起きて、命の危険も感じながら、不安と恐怖が襲ってきていたんじゃないかと思います
 
 
それでもパニックになることなく、落ち着いて、まわりを思いやり協力し合って命を繋いだ
 
 
素晴らしいという言葉が陳腐に思えるくらい尊い姿だなと思いました
 
 
 
正直、この一報を聞いた時はびっくりしたのと心配と不安とで気が気じゃなかったです
 
同時に親の気持ちになるので…無事を祈る思いでした
 
当然、子どもたちはパニックになったんじゃないかと、泣き叫ぶ子や動けなくなる子、ガタガタと震えながらお父さんやお母さんを呼ぶ子もいるだろうと想像していました
 
 
しかし実際の子どもたちの姿を読んで…想像とは真逆のそれにハッとする感覚になったんですよね
 
『子どもとは…』と思わず考えさせられました
 
 
なんて強いのだろうと…
 
もしかするとその強さは、大人が想像するより遥かにすごいものかもしれない
 
窮地に立たされると、大人よりもある意味冷静なのかもしれない…そんなことを思いました
 
 
そして何より、こういう時に本質があらわになるんだろうと
 
 
 
救助活動に当たった漁師の岩中さんは、そんな子どもたちの姿を見て、「この子たちは絶対に全員助ける」と自然と力がこもったと
 
思いの連鎖…いい循環が立ち上がっていたのだろうなと思いました
 

岩中さん自身、幼少期に実の弟を海難事故で亡くされているそうです
 
「助けるように背中を押してくれたのは弟かな」
 
そう言って救助後にお墓の前で涙を流されたそうです
 
 
また、同じく救助に当たった漁師仲間の中村さんも、少し前に仕事中に肋骨を折るケガをしていたそう
 
しかし「そんなの関係ない」と必死だったといいます
 
 
 
全員の救助が終わり、港に着いた船から下りた子どもたちの大合唱
 
「ありがとうございました」
 
 
思えば思うほど…心が揺さぶられるんですよね
 
もちろん、これを単なる美談にしてはならないし、あってはならないことが起きた原因と責任を問うことも必要であると思います
(そして、どうか子どもたちにトラウマが現れませんようにと祈っています。市教委はスクールカウンセラーをすでに派遣していて、心身のケアを継続していくとしています)
 
 
でも、たらればになるけれど…孫を迎えに来たおばあちゃんが言うように、あと1時間事故発生が遅ければ周囲は真っ暗だったはず
 
まさに危機一髪の状況
 
そして、この日は25度超の夏日だったんですよね
 
これが真冬の極寒だったならば…どうなっていただろうかとよぎります
 
 
 
それにしても、子どもたち…
 
「頑張れ」
「もう少し」
 
互いに思いやり、協力し合って命を繋ぐ…
 
 
「僕より先にこっちの子を」…
 
これなんて自己犠牲の精神だと思います
 
 
 
私には、この子たちの姿こそが光に見えたんですよね
 
 
事態としては真っ暗なことが起きたわけで…でも、その中で光となったのは子どもたち自身だった
 
 
 
「真っ暗だからこそ見える光がある」
 
ゆづの言葉を思い出していました
 
 
私は時に、神様は“子ども”という存在にメッセージを込めるんじゃないかと思っているんですね
 
使者っていうと大げさかもしれないけれど…でも、その存在の尊さや魂の透明さから、神の域の波長に合う存在に、この世に必要な大事なメッセージを込めるんだと私個人は思っています
 
今このご時世で必要な思い、姿、生き方、言葉…それが私にはこの沈没事故の子どもたちにあるように思います
 
ある意味託されたというのかな…沈みゆく船から命を繋いだ子どもたち…そこには神様からの大切な言葉が乗せられていると感じます
 
私はそれを受けとりたいなと思っていて…自分の中で解釈しようとしています
 
 
事態の大きさは違うけれど、去年、3.11の星空を投影した震災特別プラネタリウムを見た時も、“子ども”の存在を思い知りました
やっぱり私は、その采配に意味があると思います
 
 
 
このプラネタリウムでは、『花は咲く』『アンパンマンのマーチ』が流れていました
 
アンパンマンのマーチは、TOKYO FMが震災翌日の3月12日に、発災直後からリスナーのリクエストが殺到しているのに応えて初めて流したそうです
 
すると被災者をはじめとして子どもたちやその親から『元気が出る』と反響があったため、同曲を何度も流すようになり、その他のラジオやテレビなどにも広がった
 
当時、社会現象になったので記憶している方も多いのではないかと思います
 
 

2011年7月22日、仙台に『仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール』が開業
 
この前、仙台駅のアンパンマン像について記事を書きましたが、ここに建てられたのも意味があるように思います
 
アンパンマンの作者であり、アンパンマンのマーチの作詞をされたやなせたかしさん
 
やなせさん自身は戦争経験者で、実の弟を戦争で亡くしている
 
たくさんの作品と共に多くの言葉を残されていますが、印象的な言葉
 

『絶望の隣には希望がそっと座っている』

 

 
 
私の中で、『真っ暗だからこそ見える光がある』と重なりました
 
 
今回、子どもたちの姿や言葉に導きの光を感じたこと、自分の中で大切に刻んでおきたいと思います
 
 
 
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