視論

小久理 妖輔 的 視点

シンチョ

2020-11-24 | 日記

暴力が好きな訳じゃない。ただ、情況と状況の狭間で、暴力を理解しなければならなかった。同じ人間でありながら、憎しみ、恨み、そして、殺意が行動の理由を造っていた。其処には、悲しみ、切なさ、愛おしさ、まるで、怨恨の理由を楽しむような因果を想う時が在る。方向性を失い、価値を模索しているような怨嗟の混沌。そもそも、混沌など、存在しないものではないのだろうか?

恐怖と不安、それらが存在したとしても、現実を直視しなければ、意識が現実を理解出来ない。そして、現実を認識出来ない。

おやじの姿と、母親の眼差しがあった。現実を理解すること、それが、自分の勤めであり、そして、生きる事の意味を探すことだった。

で、今、想い返している。

現実で感じた、同じ想いを後悔としないために、何が出来るのか。シンチョの輝く瞳を想い出す度に、その、愛おしさを想うのだ。


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