ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

江戸の水道

2018-12-09 19:31:18 | 日記
 寒くなりました。私の苦手な冬将軍の到来です。あまり寒いと水道管が凍結して、昔はよく断水したものです。最近では滅多にありませんけれど、便利さに慣れてしまったせいか、停電や断水はこたえますね。それこそ手も足も出ないという状況になります。

 さてその水道ですが、お江戸の昔もあったんですよ。時代劇でよく井戸から水を汲み上げるシーンを目にしますけれど、あの井戸は水道井戸なんです。井の頭池を水源とする神田上水や多摩川を水源とする玉川上水などから送られてきた水が、主要な道路に埋設された樋(ひ)を通して町内に流れてきます。長屋ごとに共同の水道枡(ます)があって、いつも一定の水位が保たれるようになっており、水道井戸から竹竿の先に桶をつけて水を汲みました。「水道の水で産湯を使う」というのが江戸っ子の自慢のひとつでもあったんですね。

 そしてその水道は「加圧式」ではなく、動力を使わない「自然流下式」でした。土地の高低差(自然勾配)を利用して水を流すハイテク技術だったんです。江戸時代にそんな緻密な計算ができたなんて驚きですけれど、水を行き渡らせるために空中を流す「掛樋(かけひ)」があったというのもびっくりですね。掛樋によって水は神田川を渡り、掛樋の隣にあった橋を俗に水道橋と呼ぶようになりました。

 

 神田上水掛樋(江戸東京博物館模型)

 十七世紀の世界三大都市、ロンドン・パリ・江戸のうち、常に水が流れていたのは江戸だけだそうです。ロンドンにも水道はありましたが、水が流れるのは週三日くらいで、パリにはまだ水道がありませんでした。いかに江戸の水道がすごいかわかりますよね。

 最も大規模の玉川上水は、四谷まで地面の上を小川のように流れてきます。四谷の大木戸には水番屋というのがあって、ここからは地下水路(暗渠)によって江戸市中に水が振り分けられます。ここが江戸の入り口で、分水点になるわけですね。ですから分水点には芥留(あくたどめ)を設け、ごみや流木などが水路に流れ込まないようにしています。また水番屋には石水門(いしすいもん)があり、毎日定刻に水位を測っては羽村の取水堰(せき)と連絡をとり、水量を調節していました。余水や濁水は南方へ分水して渋谷川に流すというように、徹底した管理がされていたんですね。ですから上水道で水浴びや洗濯をしていたら大変です。異物の混入を水番屋が監視し、水の状態が悪いとわかると水門を閉じて江戸へ流れ込まないようにしていました。

 

 四谷大木戸水番屋(江戸東京博物館模型)

 また末端の長屋規模でも自主的な管理がなされていました。一年に一度、井戸掃除をするんです。井戸替えとか井戸浚(さら)えとか呼ばれ、長屋全員の共同作業でした。井戸の水をかい出してから人を一人釣り下し、井戸の内部を掃除しました。その時、うっかり落としてしまった櫛や簪(かんざし)を回収することもできたわけです。


 今、水道の民営化が議論されていますけれど、水は命です。どんな生活レベルの人にも、行き渡らせなくてはなりません。衛生上の問題もありますし、本当に安心できるシステムを構築して欲しいものです。


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