ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

江戸の宝くじ

2018-11-25 19:22:34 | 日記
 そろそろ年末ジャンボの季節です。10億円なんて当たっても使い道に困ってしまいますけれど、老後を少し豊かに暮らせるくらいのものは当たるといいなあと思います。

 少しでも楽になりたいと思って一攫千金を夢見る庶民の気持ちは、お江戸の昔も変わりません。「富(とみ)くじ」、「突き富」、「富突き」などと呼ばれた現代でいう宝くじのようなものが、寺社奉行の管轄で行われていました。寺社が建物を補修するという名目で集めるんですね。谷中の感応寺、目黒の滝泉寺、湯島天神は江戸の三富と呼ばれ、有名になりました。

 抽選方法はくじと同じ番号のついた木札が大きな箱に入れられていて、お坊さんが長い錐(きり)の棒で突き刺し、当たりが決まります。一回だけではありません。混ぜ返しながら百回繰り返し、百番目が「突き止め」となります。当たる額は百両、百五十両、三百両、五百両、千両といろいろですが、当選額の一割は寺社への寄付として納めなければなりません。他に5%分は世話人(札屋)への御礼、5%分は次回の富くじを買わされるという仕組みです。




 現代では当選した人の氏名が発表されることはありませんけれど、お江戸の昔は大々的に宣伝されたようです。角樽(つのだる)、尾頭付きなどの祝の品々と賞金を乗せた大八車がきれいに飾り立てられ、三味線や太鼓の鳴り物入りで当選者のところにやってきます。ですから、「ここに当選者がいますよー」と宣伝しているようなものなんですね。宣伝することによって、見ている人たちに「買ってみよう」という気持ちを起こさせるのが狙いだったようですが、お蔭で当選した人は近所の人たちに奢らなければなりませんでした。祝の品々にかかる費用もあらかじめ賞金から差し引かれているので、手元に残るのは約七割程度。それでも当たれば嬉しいものです。

 また富くじは今と違って結構高額だったんですね。高級ホテル一泊分くらいの値だったので、長屋の人々は一枚の富くじを数名で買いました。こうしたグループ買いを「割り札」といいます。当然当選金も頭割りですから、2人で買えば2分の1、4人で買えば4分の1になります。それでもまだまだ高いという人には「陰富(かげとみ)」というのがありました。勝手に個人で富札を作り、一文単位で売りさばくのです。公式の番号が発表されると瓦版にして配り、当選者には八倍にして返しました。つまり一文が八文になるわけですが、これは非合法なので見つかれば御用となります。


 それでも陰富は人気がありました。庶民だけでなく武士階級をも巻き込み、御三家の一つ、水戸家で陰富が行われたことがあります。それを茶坊主の河内山宗春(こうちやまそうしゅん)が強請(ゆす)ったという話が残されていますが、こうなるともう賭博です。

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