遅ればせながら明けましておめでとうございます。今年一年が皆様にとりまして良き年でありますように。そしてまたマイブログの方もよろしくお願い申し上げます。
昨年から今年へかけて9連休という方も多いと思いますけれど、お休みが長いといいですよね。長期で旅行もできますし。でも不安になることもあります。まずはお医者様ですね。具合が悪くなった時、かかりつけ医がお休みというのは心細い気がします。また家電その他の機器が故障した時、連休明けを待たなくてはならないというのも困りものです。我が家では年末に給湯器が故障し、買い替えるにも物流が止まっていて都合がつかないという不運に見舞われたことがあります。何とか修理業者を見つけて凌ぎ、お正月にお風呂に入れないという難は免れましたけれど…。
私が子供の頃は正月3日までお休みというお店が多かったものです。デパートやスーパーがお休みでは、お年玉を貰っても何も買えない状態でしたけれど、今は年中無休というお店が増えて便利になりましたね。それでもこうした予期せぬ故障など不便なこともありますし、ゴミ出しができなくてゴミも溜まりますし、普段見ているニュース番組がないのも淋しいので、平常に戻るとほっとします。
さて、今年のお正月はバタバタして何も思いつかなかったので、「ひとひらの雲」の由来についてお話したいと思います。お気づきの方もおられると思いますが、これは佐々木信綱氏の和歌「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲」から採らせていただきました。「ゆく秋の→大和の国の→薬師寺の→塔の上なる」ときて最後「一ひらの雲」に焦点を合わせているところがいいですね。ズームアップしてひとひらの雲に行き着いた時、その変容してやまない雲に何を感じたのでしょうか。宇宙でしょうか。自由でしょうか。自由に漂っているようで、実は自由ではない雲の行方。そこに人生を感じたのでしょうか。いろいろなことを考えさせる歌です。
もう一つ、何となく頭の隅に残る「待つわ」の歌詞の一部に「青く広いこの空 誰のものでもないわ 風にひとひらの雲 流して流されて」というのがありますけれど、この影響も少しあるような気がします。青い空にぽっかり浮かぶ白い雲。何にも逆らわず、風のままに流されていくのが雲の定めなら、そんな人生もありかもしれませんね。