幼稚園に通っていた頃、
「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて、
あなたは、何て答えてましたか?
例えば私は、
「看護婦さん」って、答えたのだけど、
それって、大人になったときには、
絶対にありえない選択になっていたんです。
人の命に関わる大変な仕事と思うのは、
私だけではないと思います。
けれど、それだけではなくて、
何せ、10代の殆ど、強迫性障害、花盛りで過ごしたでしょう。
先端恐怖症もあったし、
強迫観念と確認行為の根底には加害恐怖があって。
だから、採血だ、何だって、人の体に針を刺すなんて、
絶対に出来ないってずっと思ってきました。
マッサージ師の養成学校に入ろうと決めたときも、鍼灸師の資格を一緒にとるつもりは全くありませんでした。
例えば私の母は、乳製品が嫌いで絶対とらないと決めていて、牛乳やバターが入っていないか匂いを嗅いで確認するぐらいだったんです。
けれど、歳をとり病が進行して、食事も全介助になったときには、プリンを美味しそうに食べていました。
あんなふうに、私も、恐いと思っていたことを忘れてしまって幼稚園の頃に戻ることが出来たなら凄いと思います。
でもね、私たちは出来ないことや、正常じゃないと感じるところばかりにとらわれてしまうけど、強迫性障害の症状を抱えながら、自分のやりたい仕事で成功している人って結構いるんですよね。
『すべてのものは、あるべきところに』という本を書いたマーク・サマーズ氏は、アメリカのテレビ番組の司会者で、自らの強迫性障害を公表したことで、多くの人たちに、この病の存在を伝えたり、勇気を与えたりしました。
確かに、
症状の強弱はあると思います。
そして、同じ強迫性障害といっても人によって様々で、私のようにトラウマにより他にも問題を抱えてしまっている人もいれば、何らかの症状が見られるだけの人もいるのでしょう。
何はともあれ、大切なのは、本来の自分との繋がりのように私は思うのです。
強いこだわりに殆ど違和を感じず、それを乱す人を非難出来るぐらいの人は、自分を否定することもありません。
けれど、激しい症状に、頭がおかしくなってしまったと打ちのめされ、自分を否定してしまう人もいます。
自分などは、強迫性障害を発症する前のトラウマによっても、本来の自分との繋がりを失ってしまったようにも思います。
でも、何はともあれ、こだわりがあったり、苦手なことがあっても、本来の自分との繋がりを取り戻せたなら状況は変わっていきます。
出来ないことばかりにモロにぶちあたり、変わらなければ、変わりたいと悩む日々から、人との違いはあっても、自分がやりたいと思うことに取り組める日々へ。
ぶっ飛んでいるように聞こえるかもしれないけど、社会の価値観が全てじゃありません。
例え、こだわりが強くて能率が良いとは言えなくても、そのことが、一人一人の価値とは全く関係ないのです。
幼稚園に通っていたときのように恐れのない自分に直ぐには戻れなくても、本来の自分に変わりはないのです。
自分を否定するのをやめて、本来の自分とともに生きる。
否定しているのは頭。
考えるから感じる。
頭からハートへ。
ボディーワークも、それを助けてくれますよ。
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