ポリヴェーガル理論やトラウマに関する複数の本と出会えたことで、ようやく自分自身が体験した過剰な恐れの正体がわかってきました。
けれど、マインド面から考えても、ボディー面から考えても、バランスを崩す過程、そして、癒されていく過程ともにまだまだわからないことが多いというのが事実です。
ただ、マインドにしても、ボディーにしても、エネルギーとして捉えるとわかりやすいと思います。
例えば出生時に、何らかの衝撃で後頭部にエネルギーのブロックが出来てしまった人が、成長の過程で、繰り返し同じ、あるいは近い箇所をぶつけたり、怪我したりするということは珍しくないようです。
私の場合も、胸から上、特に上部頸椎から頭部に様々な衝撃を受けてしまい、解放されぬかなりのエネルギーを溜め込んでしまったようです。
けれど、いつの間にか、それらの部位からの不快なフィードバックを遮断してしまったようで、肉体的な苦痛を感じることなく日々を過ごすことが出来ました。
その代わりと言ってよいのかわかりませんが、強迫性障害から始まってマインド面ではかなりの問題が起きてきました。
今日、奇跡が起こって、
明日はこの緊張や不安から解放されて働きたい。
そう思っていたときは、
ボディーワークを受けようとも思いませんでした。
でも、少し休もうと仕事を辞め美術学校の生徒となったとき、心の余裕が出来て、ボディーワークでも受けてみようかという気になりました。
ワークの途中で、恐れの原因となった過去の記憶が浮上してきて全てを解放出来たら良いな、そんなふうに思っていました。
けれど、初年度のワークがもたらしてくれたのは、胸から頭部にかけての遮断していたフィードバックの復活でした。
自分の体の居心地の悪さに気づいて愕然としました。
あの頃は解剖学の知識もありませんでしたから、何がどうなっているのかも全くわかりませんでした。
でも、気づいてあげられたあの時から、流れは変わり、体の浄化が始まったのです。
体は次から次へと過去の痛みを浮上させ手放していきました。
かなりのエネルギーを解放してきたように自分では思っています。
けれども、左目は、生まれた時にはすでに内斜視で、目の玉の位置を調整するため手術を繰り返してきましたし、今も、こうしてIpadに向かうと頭部の様々な箇所で緊張が高まっていくのがわかります。
無理をしてしまうこともあります。
でも、緊張の高まりがわかりながらも無理してしまうのと、何も感じず負担をかけ続けてしまうのでは、やはり違うと思うのです。
ボディーワークを受けて、遮断していた体からのフィードバックが復活し始めて。
それと同時に、エネルギーの解放という浄化が始まりました。
でも、もしあの時、受けていなかったら、体からの悲鳴も聞こえず、ますます負担をかけていったと思います。
そして、体が耐えられる限界を超えたとき、いったい、何が起きていたのでしょうか?
よくはわかりませんが、何の問題も起きなかったとは思えないのです。
今だって何が起きるかはわかりません。
それでも、舵を切って、長い月日を、体を癒やすという方向に使えたことを感謝しているのです。