こんにちは、ゆひゃんです^^


前回、リハビリについて書いたんですが、
その中の

“館長の釜山語がキツすぎて泣いた”

っていうクダリについて。


▼詳しくはこちら


私は釜山にきて1年半くらい経つんですが、この慶尚道の方言(사투리 サトリ)に、いまだに慣れないんですよ。


話している内容が分からない

ということではなくて、

どんなニュアンスで話しているのか掴めない

んです。


怒ってるのか?怒っていないのか?

冗談を言ってるだけなのか?

この辺り、“無表情で話される”と掴めない。

“掴めない時がある”っていうのが正しいかも。

前後の会話で分かるでしょ?と自分でも思っていたんですが、これが分からないんです。


韓国では仲が良くなると、ちょっと悪口も出たりするじゃないですか。


「親しき仲にも礼儀あり」

これを日本で40年近くやってきた私が、韓国に来ていまだに慣れないのが、このちょっと悪く言われる慣習が受け入れられないこと。軽い冗談でも結構真に受けてしまい、「あ、私が何かまずかったのかな」と考えてしまうこと。

…アイデンティティって簡単には変えられないよね。


これに加えて慶尚道の方言。


本当、ちょっと大きい声で話された日には、怒っているように聞こえてしまう。だから、お酒の席で旦那の友達が旦那と話しているのもあまり好きではなくて、あまり行きたくない。


実際、

怒ってるのか?怒っていないのか?
→怒っていないことが多い

冗談を言ってるだけなのか?
→仲が良いから言える

という感じに見えるんですが、
どうなのかな。


というような私がモヤモヤしていることを、最近、私を泣かしたキツイ釜山語を話す館長と話をすることが多いんですが、このあたりの疑問を直接聞くことができて随分助かっています。


結論、意外に怒っていない。
釜山人たちは。


そして、

私自身が少しずつ適応していくことの大事さ

を諭されて家に帰ってきました。


そして、

「察する」もほどほどに。

何かがあれば何度も何度も話し合っていくことが彼らのスタイルみたいです。
これは釜山に限らず。


▼今日のナンポドン



文化の違いを楽しめるように、少しずつ適応できるようにしたいと思います。