44城目は石垣山城。「一夜城」の別名で知られる陣城だ。
石垣山城は、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、その本陣とするために小田原城の西約3kmに位置する笠懸山の山頂に築城された。
この城が総石垣の城であったことから「石垣山」と呼ばれるようになった。
また、秀吉が築城にあたり、小田原城から見えないように約80日間という短期間で築き、完成後の一夜のうちに周囲の樹木を伐採したため、突然出現した城に小田原城中の将兵が驚き、戦意を失ったといわれている。このことから「石垣山一夜城」または「太閤一夜城」の別名で知られる。

石垣山城は、秀吉の陣城として構築された城であるが、石垣や櫓を備えた本格的な近世城郭であり、関東で最初に造られた総石垣の城で、長期戦に備えた本格的な城郭であった。
最高所に本丸を構え、周囲に西曲輪、南曲輪、東に二の丸と井戸曲輪が配置される。石積みは近江の穴太衆による野面積みで、天守の有無は不明だが天守台跡が残っている。
関東大震災で大部分の石垣が崩壊してしまったが、井戸曲輪の石垣をはじめ、当時の面影がよく残っている。
昭和34年(1959)、国の史跡に指定され、現在は石垣山一夜城歴史公園として整備されている。

南曲輪の石垣
HORIZON_0001_BURST20201002095520931_COVER

二の丸の石垣
DSC_9636

櫓台跡
HORIZON_0001_BURST20201002100353560_COVER

井戸曲輪(現在立入禁止・奥に小田原市内)
HORIZON_0001_BURST20201002100506049_COVER

二の丸から本丸を臨む
HORIZON_0001_BURST20201002101219537_COVER

本丸虎口
DSC_9623

本丸奥の天守台
HORIZON_0001_BURST20201002101922802_COVER

天守台跡
HORIZON_0001_BURST20201002101956481_COVER

西曲輪(右奥に本丸)
DSC_9633

展望台からの眺望
DSC_9631

見学時間:50分

見学順路:駐車場→南曲輪石垣→櫓台跡→井戸曲輪→展望台→二の丸→本丸→天守台跡→西曲輪→南曲輪

続日本100名城・番号順一覧へ

石垣山城は、広大な二の丸、本丸をもつ総石垣の城で、とても80日で造ったとは思えない本格的な城であった。また通路、各曲輪とも綺麗に整備されており、気持ちよく見学することができた。
唯一の心残りは、災害の影響で井戸曲輪が立入禁止になっていたこと。あの石垣は近くで見学したかった。(見学日2020/10/2)



全般ランキング