“四股”はなぜ四股って書くの? | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

9784309464626 ← ミシェル・ウエルベック 著『闘争領域の拡大』(中村 佳子 訳 河出文庫)「自由の名の下に、人々が闘争を繰り広げていく現代社会。愛を得られぬ若者二人が出口のない欲望の迷路に陥っていく。現実と欲望の間で引き裂かれる人間の矛盾を真正面から描く著者の小説第一作」

 

 今日は午後から会社で研修会。実質、勉強会かな。車の運転中にスマホなどを操作はもちろん、手に持っているだけで違反となる。それは従来もだったが、12月からはその違反点数や反則金が3倍になるという。
 あとは、DVDを使ってタクシーの事故の傾向や対策などのレク。

 タクシードライバーの事故は60歳を超える頃から急カーブで増加するというデータがある。用心用心である。

 

 ミシェル・ウエルベック 作の『闘争領域の拡大』を仕事の日を挟んで一昼夜で読了した。ウエルベックの作品にしてはすらすら読める。まだ、それほどすれっからしの文章になっていない?


 ウエルベックの処女作。次が「素粒子」。最初からウエルベック節炸裂。皮肉屋で世の中を斜に観ている男が主人公(語り手)。だが、彼は実はシニカルなだけの奴じゃない。彼には世の中が人が見えてしまう、感じてしまう、もっと云うと感情移入してしまう。デブの女。恐らく一生、処女だろう女。デブでニキビ面の男。一生、うだつの上がらない奴。女には決して相手にされない。童貞が生まれながらに(物心ついた時には自覚を迫られ)宿命づけられ、実際、最悪の青春時代を過ごし、社会人になって一層、惨めな現実を思い知らされる。


 気に入った女は初対面の格好のいい男についていく。二人は闇の中でセックスする。彼の目の前で。彼は酒に酔い、車を運転し、事故死する。自殺と見分けのつかない死。主人公は資本主義、つまり、カネと力と容姿や血縁が全ての社会に神経が擦り切れてしまっている。彼自身は給料も仕事にも恵まれている。が、彼は不毛な人生を送る人たちの心が見えてしまう。感じてしまう。共感してしまう。不幸と不毛の世の中が鏡のように眩く心に映る。薬と酒と煙草と碌でもない精神科医とに頼るしかない。


 が、彼には精神科医もピエロのように見えてしまう。彼は聡明すぎるのだ。しかも、他人の不幸が、つまりは己の際限のない感じる心が彼の心身の中で無数の刃となって血肉を引き裂く。彼に世界との和解はありえない。不毛の檻の中から出られない。彼は世界と触れ合うことが許されない。彼は永遠に続く透明なパイプの中を何処までも滑り落ちていくのだ。


 題名の「闘争領域の拡大」だが、直訳調で拙いんじゃないかと読む前は感じていた。が、訳者は敢えて原題をそのまま訳している。本文にも出てくる。本書のテーマがまさにそうだからそうなのである。では、著者は…主人公は何と抗っているのか。あるいは、闘争領域が拡大しているのは、何なのか。それは読んでからのお楽しみ。

 

 日本は、明治以降では、明治維新からの改革で教育制度も機能し、身分家柄などの柵(しがらみ)も少なくなって、多くの人の社会進出が可能になった。が、次第に機能不全に。敗戦でまたゼロに近いところから出発し30年から40年は弊害はあっても活気に満ちていた。この失なわれた30年。何故、衰退の一途を辿っているのか。1980年代後半の日米構造協議で屈し、袋小路に追い込まれたのはともかくとして、貧富などの格差拡大でまたまた社会が閉塞状況に陥ったのが大きい。身の丈発言は、その象徴。格差が開き過ぎた。

 

 身の丈発言は本音ですね。資本主義とは、身分家柄よりカネが大事。夢や理想をかなぐり捨てた金融と株主至上主義。そこにモラルの欠片もない。全ては勝者成功者のために。消費税が弱いもの苛めの象徴。物品税復活!

 

“四股”は何故、四股って書くの? という疑問が浮かんだ。

 ネッ友の情報などによると、「醜足(しこあし)」の略かという。四股は当て字のようだ。でも、どうしてこの当て字なのか。

「四股を踏む」という言葉がある。「地を踏み鎮めるという宗教的意味をもつ」とか。「日本各地の祭礼で行う民俗相撲では,力士の四股によって大地の邪悪な霊を踏み鎮め,あるいは踏むことで春先の大地を目ざめさせて豊作を約束させると伝えるものが多い」とか。古代には既に相撲に相当する奉納があったらしいから、四股(力足)もその辺りに源泉があるのかもしれない。

 

 家族の紹介で、「妻一人 子供二人」とか書いてあると、ちょっと違和感を覚える。ここは、「妻と子供二人」かな。妻一人ってのは……二人(あるいはそれ以上)もありえるかのよう。人によってはありえるのか?

 

 また空港ピアノ、観ている(聞いている。マルタ島。ピアノを弾くマニキュアの女性を観ていて思い出したことがある。昔、一年余りピアノを習っていた頃、悩みがあった。それは弾いていると、爪が鍵盤に当たること。フラットに鍵盤に触れる(弾く)ようにしているのだが(もちろん、爪の手入れは今とは違って怠らなかった)、どうしても指の腹だけじゃなく爪が当たる。指の腹が人よりスリムなのか。ま、弾き方が悪かったんだろうけど。