ひとはなぜ限りない可能性をもつのか | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

Hen ← 『ラフカディオ・ハーン著作集 (第12巻)』(野中涼/野中恵子訳 恒文社 1982/12/1)

 

ラフカディオ・ハーン著作集 (第12巻)』を書庫の奥から引っ張り出してきた。再読だとは、読んだときの我輩なりの印で分かった。が、読んだ記憶がまるでない。ところが、読み出して、当時の感覚が甦ってきた。好きな作家は数々居るが、馴染みのない、名前しか知らない詩人が次々と。詩。さすがにハーンである。テキパキと捌いていく。英文学史なんて門外漢の我輩だが、今だから読む、ハーンだから読む。 

 

Ichigo ← 本日も庭仕事。夢中になるとダラダラいつまでもやっちゃう。なので、日没終了を目途に。始めたのは午後5時から。二時間余り。そろそろ暮れてきたので、畑へ。雨は降るとしても明日の午後らしいので、野菜に水やりに。すると、イチゴが生っていた。ダメもとだし、苗を植えたのが遅かったので、実がなることは期待してなかった。フラッシュで色あいが分かりづらいが、真っ赤。働いた御褒美かな。トマトも花が咲いていた。

 

 過日より気になっていたかの(襲われ銃を奪われ、警察官が警備員共々銃殺された)交番。改築なったはいいが、車道から引っ込み、しかも交番の前の赤色灯が灯ってないと先日呟いた。あれじゃ、何処に交番があるか、車道からは分からないよ、とも。一昨日、また通りかかったら、赤色灯が明々と。うん、ああでなくちゃ。

 

Tenkoku ← 我が家の蔵書には、世界で唯一無二という本が二十冊以上ある。なんたって父手作りの和綴じの冊子。父が呑み歩いた日本各地の酒蔵。呑んだ酒の感想をしたため、ラベルを集めること千枚以上。それを記念して冊子ち仕立てた。定年後は、病気を経て篆刻に打ち込んだ。彫った作品毎に押印し冊子に。あと一歩で審査員に手が届くところで病没。定年前から始めていたらひとかどの人物になっていたかも。

 

Photo_20200527210501 ← 裏庭……車道沿いの生垣に咲くバラ。咲き始めていた。小ぶりな花。満開間近。

 

 今日も上記したように、しっかり庭仕事。二時間余り。納屋に溜まっている枝葉の整理。枝などは袋詰め。葉っぱはポリバケツに溜めて、庭木の堆肥にする、その仕分け作業が延々。ようやく目途が付いてきた。あとは、これから刈り落した枝葉の整理となる。つまり、組合の役員をやっていた間に荒れた庭も、なんとか日常を取り戻せたということ。やること、こうしたらいいかなということはまだまだあるが、それはそれである。

 

 デイヴィッド・ドイッチュ 著の『無限の始まり』を2週間ほどを費やして読了した。再読である。読み始めた際、「悶々とした日々が続いているので、せめて心は無限の世界へ。現代の宇宙論が好きなのは、極小と極大とが常に絡まりあっているから。芸術などで美は細部にあり、などと言うが、細部は際限のない世界への窓なのである」などと書いた。

 

Mugen_s02_20200527222201 ← デイヴィッド・ドイッチュ 著『無限の始まり』(熊谷玲美・田沢恭子・松井信彦 訳  インターシフト)「ひとはなぜ限りない可能性をもつのか」

 

 本書のサブタイトル…テーマは、「ひとはなぜ限りない可能性をもつのか」である。前向きというか楽観的というか、著者の人間への信頼を示す言葉。彼の言う無限は、たとえば、ゼノンのパラドックスを想わせる。あるいは運動のパラドックスというべきか。「目的点の半分の点にまで到着したとしても更に残りの半分の半分にも、到着しなければならない。更にその残りの半分にも同様、と到着すべき地点が限りなく前に続く故に到着しない。だから運動はない」とされる。

 本書に引き寄せると、人間の歴史は、幾度となく見舞われた災難の歴史でもある。疫病や他民族の襲来による滅亡。地震や噴火、洪水、飢饉…。近年に限っても、食料の危機が叫ばれたし、食料の増産は人口の拡大に追いつかず、人類は破滅するに違いない。だが、そんな危機を何度も乗り越えてきた。その都度襲ってくる危機を技術と知恵で。だから、現代においては膨大な知恵と技術の蓄積がある。

 では、近い未来であっても展望を持てるか。将来像を描けるのか、というと、そうはいかない。高い山を登るようなもので、高みに立てば立つほど、峠を越えれば超えただけ、新たな苦難の険しい崖が見えてくる。遠くからは朧だった、あるいはまるで想像もしなかった未曽有の苦難が迫ってくる。乗り越えられるかもしれないし、絶望に打ちひしがれるかもしれない。

 そう、到達すべき地点がドンドン遠ざかっていく。そもそも到着点などあるのかどうか。人は生きる限り際限のない努力を強いられる。あるいは無限の可能性を思い知る。人間は努力する限り過ちを犯すものだというが、人間は生きている限り努力するしかないのだ、人はそういう道を選び取った存在だ、ということかもしれない。