塀の家 生垣の家 | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

246593 ← シューマン 著『音楽と音楽家』(吉田 秀和 訳 岩波文庫)「シューマンは「春の交響曲」や「子供の情景」などの曲で親しまれるドイツ初期ローマン派の作曲家であるが,またすぐれた音楽評論家でもあった.本書はその論文の大半を収めたもので,ショパン,ベルリオーズ,シューベルト,ベートーヴェン,ブラームスなど多数の音楽家を論じ,ドイツ音楽の伝統を理解する上に貴重な読物である」。 

 

  明日は休み。気温も低い。庭仕事ばっちり。庭の整備のつもりが、用水路が悲惨な状態になっていることに気付いた。しばらく目を離している間に、雑草が生い茂っていた。ちょっと油断すると、手がつけられなくなる。用水に蔓延る雑草なので、堆肥に使うわけにいかない。折しも隣家から排水が。こうした汚染された雑草は、どうしたものか。棄てるしかない?

 

 シューマン 著の『音楽と音楽家』を主に仕事の合間に楽しみで読んできた。

 いきなり余談だが、最近、あまり、シューマンの曲、聴いてないなー、と思っていたら、ふと、数年前、奥泉光作の「シューマンの指」を読んだことを思い出した。それはともかく、音楽にも門外漢の吾輩が言うのも僭越だが、鑑識眼を感じる。意見が明快。音楽的センスに自信があるのだろう、ショパンやブラームスらを発掘し、紹介に尽力した。ショパンやリスト、メンデルスゾーン、シューベルトらと同時代の、自ら傑出した音楽家の優れた評論として、楽しめた。

 

 我が家は生け垣。近所はほとんど、コンクリート(ブロックなど)の塀。塀の家の特徴。それは、塀の外はまさに外であり、公道。塀の外にゴミが落ちていようが、雑草が生えていようか知らん顔。塀の中は、さぞかし綺麗にされてるんだろう。生け垣の家にとって、外と内の境は曖昧。雑草は、生け垣の内外を問わず生えるし、その様子は家の内外問わず見える。よって、生け垣の外であろうと、内と共にゴミは拾うし雑草はむしる。

 

 燃えないゴミ……球切れの電球などのガラス製品、ビン、カンなど、今朝廃棄。台所などには、古い食器が一杯。使おうと思えば使えるが、もう十数年は手付かず。そういえば、お袋の衣類。高そうな和服もごっそり。
 燃えないゴミ……ガラス製品、ビン、カンなど。切れた蛍光管はガラス製品だと、帰郷して10年あまりでようやく気付いた。割れた窓ガラスの破片も片付けた。父の代から納屋に放置されていた、錆びたハサミ、カマなども。悩ましいのは、たくさんある古い鍋や柄杓の類い。

 

夏目漱石全集〈3〉』 (角川書店 1974年)を読み始めている。本巻には、「草枕」「二百十日」「野分」「琴のそら音」「趣味の遺伝」や書簡などが所収。一昨日、「草枕」を読了。最初は相変わらず漢字の熟語が頻出し、味わいはあるが訳注に頼りつつなんとか読んでいた。
が、次第に小説としての面白さに魅せられていった。さすがに仕掛けが上手い。
  以下は、仕事の合間に記憶を頼りに大雑把なストーリーだけメモ。
 画家として真に描くべき光景を求めて山間の宿に辿り着く。山の中のはずなのに、窓を開けると海。森の奥には謎を秘めた池がある。迷いながら何とか辿り着くと、女の影が過る。正体は分からない。宿に戻って女は、宿の若女将と分かる。夜、湯に入ると湯煙に女の影。女将? 里の店の人は、あの女はキ印だから関わるのはよせという。由緒ある寺の住職は、あの女は寺に参禅に来たという。山を歩くとかの女。男と向かい、何かを手渡し、男は去る。女が居たのか? 貴方、見てたのね。
 男は昔の亭主。別れた。渡したのは餞別。男は、中国へ出征するのだ。駅。寺僧も見たいという汽車がやって来る。汽車には、出征する男らの姿が。女の元亭主も乗り込んだ。汽車は出発する。見送る女の表情。描くべき光景を求めていた画家は、自分が描きたかったのは、女の今の表情、立ち姿だと気付く。

 

454625_20200916214401 ← 井波 律子著『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店)「中国の古典・歴史書から,ロックンローラーの伝記まで.好奇心と素直な驚きにあふれる三十年間の書評を編む」 

 

 ところで、一昨日より、井波 律子著の『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店)を読み始めているのだが、その中で幸田露伴の関連で漱石の「草枕」に言及する項に遭遇した。漱石は、露伴と全く同年の慶応三年の生まれ。露伴の漢文体験も凄いが、漱石もなかなかの体験がある。

 

 「漱石」という名前を巡る有名なエピソードは省くとして、漱石には漢詩を作る経験が若くからあった。英国留学の頃から、一旦は漢詩の筆を折った。それを再開したのは、修善寺での大吐血で九死に一生を得たあとだという。彼は、『文学論』で、英文学より漢籍に対する共感のほうがはるかに強いと述べている。漢籍から離れていた最中にも、『夢十夜』などいくつかの作品に彼の素養が現れている。

 さて、井波氏によると、「『草枕』の物語構造が、東晋の詩人陶淵明の「桃花源記(とうかげんのき)」を踏まえて構想されていることは、すでに論者に指摘されている通り」だという。漱石は陶淵明を大いに好んでいたとか。


 井波氏は、「漱石は、怪異譚や仙界訪問譚など、異界を志向する中国的な物語幻想の枠組みを、しばしば好んで用いたけれども、『夢十夜』をのぞいて、けっきよく現実の侵蝕をうけ、異界が消滅することで、物語を終わらせるのである」と指摘する。実際、「草枕」では、異界が主人公らを呑みこみそうになるが、最後は出征兵士を見送る関係者という現実的場面で終わっている。それが小説的味わいに繋がってもいるのだが。


 井波氏によると、漱石の仙界趣味は晩年の漢詩にも現れていて、子供の頃からの嗜好は一貫していたと語るが、それはまた別の話である。(p.35-p.39)