元高校教師のブログ[since2007/06/27]

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「裏切られた三人の天皇」

2020-08-15 12:12:04 | 異端日本史・民俗学

「裏切られた三人の天皇」2006-11-06---[私の旧ホームページ初出]
    昔(2007-11-30)にブログに転載したものだが、「三人の」に誤解があるようなので、今回、一部書き換えました。

 11月4日、読売新聞朝刊 p17 ドナルド・キーンの「私と20世紀のクロニクル」に、明治天皇のことが書かれている。

『----私は明治天皇の父親である孝明天皇から伝記を書き始めることにした。孝明天皇のことはほとんど知らなかったが、恩師の角田柳作が私に語った話が頭に残っていた。1915年ごろ、角田先生はホノルルのバーで一人の日本人に会った。彼は、孝明天皇の暗殺に関わったために亡命してきたと言うのであった。-----孝明天皇と違って明治天皇は記憶すべき手紙そのものを一通も残さなかったし、また明治天皇を一番よく知る人々は私が知りたいことを滅多に明らかにしてくれなかった。』

 ここで、ぜひ読んでもらいたい本がある。明治維新の謎「裏切られた三人の天皇」鹿島わたる*[新国民社]である。(*当用漢字に無し、昇に近い字。)
 西垣内堅介の推薦の辞にはこう書いてある。

『維新以降の官学合同の偽史シンジケートによってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者(鹿島)の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壊され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
 本書のなかで著者が展開する史観は三人の天皇、すなわち孝明天皇、その子陸仁*、及び実は大室寅之祐**の明治天皇は、------たちに暗殺され、或いは裏切られた悲しい存在であったという事実である。
(私の註→*京都明治天皇 **東京明治天皇)
 まず孝明天皇は長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。そして、陸仁の身代わりになった明治天皇は、実は南朝の末孫という長州力士隊の大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。』

 こういう本であるから新聞の広告は拒否され、一部の者しかこの本のことを知らない。皇室に残された日記「明治天皇紀」・「中山忠能日記」の、病弱・ひ弱・青白く軟弱な陸仁像---「禁門の変」の際、砲声と女官達の悲鳴に驚いて「失神」してしまったという----と(乗馬が得意で相撲が強く、屈強の大男の)若き日の明治天皇像があまりにも異なることから、著者は疑問を追及し始めたのである。長州の古老の間では、「防長回天史」などで普通に言われていた、つまり天皇は長州から送り出したのだと言う。
 「明治維新の生贄」誰が孝明天皇をころしたか
  という続編もある。

※この問題に関して、あちこちに研究者が出ているし、フィールドワークに
 裏ずけられたYouTubeもある。フランス人撮影の(大男の明治天皇)写真も
   あるそうだ。ちなみに、入れ替わった当初は、いつも御簾の中に居て、
 伊藤・山縣・岩倉・木戸など数名以外には、顔を見せなかったと言われて
 いる。


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