元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

武蔵嵐山駅→笛吹峠→物見山→高坂駅

2019-11-22 20:23:50 | ハイキング

ところが、先の台風の影響で山道が崩れ、一部通行禁止の箇所が出た。だが、そこを
突破しないと、このコースは成立しない。

注意;管理当局が通行禁止にした柵を超えるのだから、勧めることはできません。
   それでも行く人は自己責任です。当方は一切の責任を負いません
   他の山道も道標はなく、雑草の生い茂る未整備状態が長く続きます。

日時:2019-11-21
天気:晴れ
同行者:鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、メンバー4人
撮影:ほとんど, S君。

コース・タイム:武蔵嵐山駅(9:30)→学校橋→(10:20)源義賢墓(10:35)→(11:20)
    笛吹峠(11:40)→(12:25)地球観測センター*(12:35)→(13:30)物見山[135m]
    [弁当](14:00)→岩殿観音(14:30)→バス停---[バス]---(14:55)高坂駅 
     *この先通行止め有り

下の地図は2011-02-08発表の地図を、右半分利用しました。
参考: (源氏ゆかりの)将軍沢の里から笛吹峠を経て嵐山渓谷へ

    


カシミール3Dの地図を下敷きにして、ソフトの「ペイント」で上書きして作成。


goo地図に上書きして作成。 


武蔵嵐山駅から嵐山バイパスに向かう一行


先の台風で上流が氾濫した都幾川。学校橋の上から。


大蔵館跡には寄らなかった。

 

源義賢は木曽義仲の父だから、その所縁の地に立ち寄った。大きな記念公園といってもいい。「平治の乱」に敗れた源義朝の母親違いの弟が「よしかた」だ。義朝の子には頼朝・義経・範頼がいる。義仲は2歳の時に父を失ったので、木曽に預けられ、源→木曽と姓が替わった。世にいう旭将軍だ。

義仲といえば、倶利伽羅峠の戦いを思い起こす。この攻撃で義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放ったという。


向こうの鳥居の先に義賢の墓がある。


源義賢(よしかた)の墓

上記の場所から少し峠へ歩むと下記の縁切り橋に着く。坂上田村麻呂だから、時代はかなり遡る。彼の一群も此処を通ったのだろうか。

 


笛吹峠にかなり近い。

畠山重忠の軍勢も、新田義貞の軍勢も、鎌倉目がけて此処を通った。 


物見山へ向かう山道。標識も何も無い。静かな尾根道だ。この日は、山中で誰にも遇わなかった。


かなり歩いたが、なかなか建造物は現れない。


やっと視界が開けて広い道路に出たと思ったら、そこが地球観測センターの前だった。

小休止をしてから坂を上って行くと、広い道路は右にカーブした。左を見ると、
何やら進入禁止の木柵が見えた。ちらっと見て右カーブの道路を進むと、S君の
ストップがかかった。しきりとタブレットを見ている。少しして声がかかった。
「先生、逆ですよ」と。----ここから後は、あまり語りたくない。
カシミール3Dの地図をよく見てください。

崖の崩落個所が幾つかあった。そこを通過して、ようやくトイレのある休憩所に着いた。↓


休憩所を出て、物見山方面へ向かう。この辺りから、しっかりした案内標識が出てきた。


物見山は、(西側を除いて)遠くまで良く見える。標高が135mだというのに。


ところどころ、色づいてきた。

立派な手すりを頼りに山を下り、道路の向かいにあるトンネル道から岩殿観音に行った。この大銀杏は未だ色づいていなかった。


岩--というから、背後の岩壁に注目した。蔦が岩に張り付いて、まるで翼を広げた大きな鳥みたいだ。


本尊

岩殿観音からは、高坂駅まで歩くつもりだったが、大東文化大前からバス便があった
ので、駅まで利用した。急行池袋行き電車に乗ったのは丁度午後3時だった。


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