元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

文京区deep---千駄木駅から上野駅へ

2019-11-09 12:29:02 | ウォーキング

実施日:2019-11-07
天気:晴れ後曇り
同行者:鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、メンバー5人

徒歩コース&タイム--9:40~14:50  /徒歩 9.5キロ
 千駄木駅(9:40)→(9:45)岡倉天心記念公園(9:55)→大円寺(笠森おせん・鈴木春信)→(10:25)全生庵(山岡鉄舟・円朝)(10:55)→延寿寺(足腰守護)→ねんねこ屋(ねこ雑貨)→弥生通り→(11:50)十二番倉庫[ランチ](12:20)→安田講堂→三四郎池→赤門(13:30)→麟祥院(春日局)→下町風俗美術館前→(14:50)JR上野駅(石川啄木歌碑)

[地図]以下の地図は、GPS logger, G-porter の軌跡をGoogle Map に移しとり、
   ソフトの「ペイント」で上書きして作成したものです。 

 
[全体地図]


地図①--千駄木駅~全生庵


地図②--延寿寺~ねんねこ屋~十二番倉庫{ランチ]
地図③--弥生坂~東大・弥生門


地図④--東大構内

 地図⑤--東大~麟祥院~JR上野駅


岡倉天心邸宅跡を公園にした。


岡倉天心といえば、近代日本美術界の開拓者だ。東京美術学校(現・東京芸術大)や日本美術院の創設など、その功績は燦然と輝く。


六角堂


大円寺。此処に茶屋の笠森おせんと彼女を錦絵にした鈴木晴信の碑がある。

全生庵には山岡鉄舟などの墓がある。↓


山岡鉄舟という人は凄い人だ。江戸城無血開城の立役者である。参考→「山岡鉄舟の危機を救った藤屋・望嶽亭」。私も過去のブログで鉄舟のことを書いている→日暮里から鶯谷周辺の墓地を歩く


剣良し・書良し・心良し。名誉も要らず命も要らず、西郷を困らせた人物。
西郷と海舟の推挙で明治天皇の教育係を貫いた人。

なお、鉄舟と円朝は大の親友で、円朝の墓碑銘は鉄舟の書である。二人の墓が
並んだ場所にあるのは当事者たちの意志であろう。


 
                   金色の観音像、北村西望 作

 

 
大名時計博物館。工事中で入館できなかった。


時計博物館の庭

↓ 以下は足腰祈願の延寿寺境内で撮影。

江戸時代には、かなりの人が祈願に訪れたようだ。現代人にもアスリートを中心に人気があり、絵馬を読むと人それぞれの願い事が書かれてあった。
私も二カ月半に及ぶ(肺炎の)闘病生活で、すっかり足踵が弱り、駅の階段も一気に上れない。藁にもすがる思いがあったので、当所祈願にこだわった。 

 

 
三浦坂の狭い下り道にあった「ねんねこ屋」。店内には猫好きが夢中になる猫雑貨が
あるそうだが入店はパスした。なお、上から見て左側は寺の塀が続き、中へは入れない。あとで臨江寺に寄ったが、蒲生君平と徳田秋声の墓がある。
この辺り、江戸時代に三浦備後守の下屋敷があり、この狭い道の名が三浦坂になったそうだ。

十二番倉庫→大衆炉ばた 十二番倉庫(地図/写真/根津/居酒屋) - ぐるなび
 バス停弥生2丁目に向かって弥生坂を登りながら、そろそろ昼食時間かなと時計を
見た。十二時前だったが、ちょうど目の前に食事処があった。どうやら、居酒屋ら
しい。空いているので入った。夕方からが本業らしいが、ランチは800円と書いてある。
 一言でいえば、入って良かった。私は豚生姜焼きを注文。肉の大きさが半端でない。こんな大きいのが数枚載っているではないか。味噌汁付きで、お新香が小皿2枚。牡蠣揚げを注文した仲間もいる。奥で店主と息子(?)が二人で揚げている。
 出来立てほやほやのが運ばれてきた。この店の唯一の欠点はテーブル席が狭い。
カメラを出して料理を撮りたかったが、上着やザックを置き、voice recorder や
G-porter を仕舞ってカメラを構えることができなかった。
 料理の様子は上記のぐるなびで勘弁してください。 

バス停「やよい2丁目」付近は弥生土器の発掘場所で、地名・弥生ゆかりの地。

 

 


さんざん道に迷って、ようやく竹久夢二美術館を見つけた。
東大弥生門の前ではないか。諸事情により美術館をカット。


安田講堂の前で、本日の仲間。

 
予想以上に三四郎池は良かった。鬱蒼とした樹木に覆われ、池の周囲には素敵な遊歩道というか散策路が巡らされていて、まるでハイキングの雰囲気だ。


通称は赤門だが、もと加賀藩前田家上屋敷の御守殿門。

春日通りを上野駅方面に向かう。本郷署の先の信号左手に麟祥院があり、春日局像
が迎えてくれる。

春日局は乳母か--→上野の山は歴史がいっぱい  

学校歴史では「家光は秀忠の子」と教わった。だが、それでは不可解なことが多すぎる。家光は幼少時には両親から疎んじられ、自殺を図ったこともある。さらに、長じて将軍跡継ぎ騒動の時には、春日局が静岡の家康のところに談判に行って、家光を将軍にする約束をさせている。一介の「うば」が「出女に入り鉄砲」の時代にそんなことができるはずがない。切腹・(実家の)お家断絶は明らかだ。  
それが出来るのは、彼女が家康の女だからだ。ずばり言って、家光は、家康と彼女の間にできた子。彼女が家光の母親だからこそ、大奥に君臨し、大老や老中をしかりとばしていたのだ。家康が秀忠に向かって、「お前の子として、預かっておけ」ということにしていたのではないか。


麟祥院本堂

麟祥院を出て不忍池沿いに歩いた。下町風俗資料館の前に出たが、時間の都合でカット。「ああ 上野駅」歌碑もカットし、JR上野駅に入る。15番線と16番線の間に啄木の歌碑がある。↓


啄木の歌は沢山ある。人それぞれ好みはあろうが、私は、この歌がベストと評価して
いる。「そ」→「それ」。啄木の時代には上野駅が東北人達の(東京の)玄関口だ。


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