異世界こぼれ話 その三 「世界三大宗教の発生」 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

最初に、この文章はあなたの宗教を冒涜したり、改宗を迫る目的で書いているのではないことを明言しておきます。単に、ひとつのあり得る解釈を述べているだけなのです。

 

現在の文明に直接つながる最古の文明は、紀元前5,000年頃に発生したシュメール文明だと思われます。その最初の都市、エリドゥは、シュメール神話によると神エンキにより建設されたと言います。シュメール文明は多神教で、アヌ、エンリル、ニンフルサグ、エンキの4柱の神々に加えて、いろいろな神が存在します。

 

シュメール文明というのはおそらく、現在の人類をクローン、または遺伝子操作で作った異星人たちが、積極的に作り上げた都市国家なのではないでしょうか。異星人が人間を組織化し、自分たちを信仰しろとしたわけです。似たようなことが後に、エジプト文明においても起こります。ただ、シュメール文明に関わった異星人と、エジプト文明のそれとは、同じなのかどうかはわかりません。シュメール文明に関わった異星人たちが後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった、アブラハムの宗教を始めたと思われます。

 

シュメール文明における有名な物語に、ギルガメシュ(ギルガメッシュ)叙事詩があります。これには、旧約聖書やクルアーン(コーラン)に書かれている、ノアの洪水を思わせる記述があったりして、世界中の神話の元祖と考えられています。主人公のギルガメシュは3分の2が神、3分の1が人間とされていますが、要するに、今の人間を作り出した異星人と、作り出された人間との混血なのかなと思います。

 

要は、昔、異星人たちは人間と一緒に暮らしていたわけです。そして、人間に比べれば遥かに進化した彼らは神とみなされた。とは言え実態は単なる異星人なので、お互いに争い、殺し合ったり、人間と結婚したりもするわけです。ところが異星人たちはどこかの時点で、故郷の星に撤退したか、この次元よりも上の次元に行きました。そうして人間だけになってから、現在の宗教が始まります。

 

世界三大宗教はキリスト教、仏教、イスラム教だそうです。このうちのキリスト教、イスラム教につながるユダヤ教が、最初に成立します。BC1,280年頃にモーセがシナイ山で神ヤハウェと契約を結んだのが、ユダヤ教の始まりです。ユダヤ教は旧約聖書を聖典とする宗教で、モーセと神との契約が、いわゆる十戒ですね。宗派によって多少表現が違うようですが、一般的な十戒を書いてみましょう。

  1. 主が唯一の神であること
  2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
  3. 神の名をみだりに唱えてはならないこと
  4. 安息日を守ること
  5. 父母を敬うこと
  6. 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
  7. 姦淫をしてはいけないこと
  8. 盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
  9. 隣人について偽証してはいけないこと
  10. 隣人の財産をむさぼってはいけないこと

旧約聖書には、地球が始まってから今までの、時に血なまぐさい歴史が書かれています。それもそのはず。そこには、異星人と人間が一緒に暮らしてきた時代の、異星人たちの争いや、作りそこねた人間を全滅させる話などが載っているわけですから。しかし異星人たちは少し違った形で人間と関わり始めました。そして代表となったのがヤハウェなのだと思われます。


ヤハウェにはこれ以外にエホバやアドナイなど、色々な読み方がありますが、それは一旦置いておきます。それとは別に、旧約聖書にはヤハウェのことを指していると思われる下記の語があります。


エル(単数形)
エロヒム(複数形)

 

これらが皆「God」、「神」と訳されているのですが、ここがそもそもの間違いという気がします。エロヒムというのが、シュメール文明を起こした、異星人のひとつの種族でしょう。その中の一人としてヤハウェがいたのではないでしょうか。

 

シュメールのときは、エロヒムも人間も一緒に暮らし、あろうことか混血児まで生まれています。しかし時代が変わり、そんな風に一緒に暮らす時代は終わりました。エロヒムたちはこの世で暮らすのを止めて、ひとつ上の次元に移行したのだと思われます。その次元からこの世に姿を表して、ユダヤ人に対し上から目線で、「自分たちを信じるのなら庇護しよう、だからあまり野蛮になるな」と言ったのが十戒なのかもしれません。さて、ここで一旦話を仏教に持っていきます。


BC1,000〜BC500年頃、インドで一連の宗教文書ヴェーダが編纂されました。ところで、この文書の中にはまるで核戦争のような記述があります。旧約聖書の「ソドムとゴモラの話」も、実は核戦争だという人もいますね。興味が出た方は是非「古代核戦争説」でググってみてください。また、ヴェーダにはヴィマナという空を飛ぶ乗り物も出てきます。2015年にムンバイで開催された第102回インド科学会議では、ヴェーダ時代に航空機が発明されていたという内容の論文の発表に対し、様々な分野から抗議の声が上がりました。ある意味、ヴェーダのほうが旧約聖書より正しい歴史を伝えているのかもしれません。

そう言えば日本に竹内文書という変な歴史書があって、そこには天皇が空を飛ぶ船に乗って世界を回ったという記述があります。という話をしていると、話が広がりすぎるので、ヴェーダに戻りましょうか。。。

 

ヴェーダにはブラフマンという、宇宙の源であり、神聖な知性、全ての神々の元になる存在が出てきます。また個人の真我であるアートマンはブラフマンと等価であるとの考えがあります。そこから、個人の肉体が死を迎えても、自我意識は永遠に存続するということとなり、輪廻の思想も出てきます。こうした文書が伝わるインドでBC500年頃、お釈迦様が悟りを得て、彼なりの教えを始めました。そこからアートマンの考えが変化していったりしますが、難しいことは置いておきましょう。大事なのは、仏教にはエロヒムの影は見えず、宇宙が始まってからの真理を引き継いでいる感じに見えることです。さあ、現代的な仏教が釈迦によって成立すると次はキリスト教の番です。

 

イエスのような人が生まれるのは旧約聖書で予言されていました。ということは、キリストはエロヒムの一味なのでしょうか。

 

キリストが主と呼んでいるのはヤハウェのことだと言われていますが、私はこれに同意できません。イエスは明らかに、もっと大きな、原理的な存在をそう呼んでいる気がします。むしろ、ブラフマンに近い存在です。また、初期のキリスト教には転生の考えがあったようです。

 

もしかしたら、エロヒムの中にヤハウェ派とそうでない派閥がいて、イエスに宿ったキリストはこの、アンチ・ヤハウェ派に合意したとか? もしくはエロヒムたちのやっていることを見過ごせなくて、キリストは単独で降りてきたとか? とにかく、ヤハウェとキリストは、宗教関係者が言うような父と子の関係では全然なく、単に対立しているのではないかと思っています。

例えばハンムラビ法典にある「目には目を、歯には歯を」の教えがユダヤ教には生きていて、これが人を殺しても良いという考えの後押しをしています。人殺しをした人は殺されてもしょうがないというわけです。この考えを改めたのがキリスト教です。イエスは「目には目を、歯には歯を」の考えは間違っていて、むしろ、右の頬を打たれたら左の頬も打たせなさいと言っています。そして新約聖書ができました。

 

しかしキリストをヤハウェ派は快く思っていなく、改めて610年頃、ヤハウェ派はムハンマド(マホメット)に啓示を授けたのではないでしょうか。ユダヤ教もイスラム教も、人類を作ったエロヒムこそが絶対で、私達が敬うべき対象はエロヒムであり、ヤハウェなのだと彼らはしたいわけです。キリストが言うような、それより上の存在は認めたくないのです。

 

ちなみにイスラム教では旧約聖書、新約聖書ともに聖典としていますが、実際にはクルアーンのみが絶対という人が多いようです。そして、クルアーンの中のイエスの記述は結構違っていて、そんな人がいたけど所詮、ムハンマドより前にいた預言者の一人、みたいな記述らしいです。キリストなんかより、ヤハウェ至上主義な訳です。
 

こうして世界三大宗教が揃いました。この中で仏教は徹底した不殺生主義。人に限らず、生き物を故意に殺してはならないとしています。キリスト教もそう。イスラム教は基本的に殺してはダメだけれど、誰かを殺した人は別という主義です。さて、ここから考えると、その後の宗教戦争や魔女狩りの説明がつきません。宗教の名のもとにたくさんの殺人が行われています。それはなぜなのでしょうか。

 

その辺を次回は書いてみたいと思います。

また、エロヒムという宇宙人が人類を作ったと主張する、私とはまた微妙に違う主張のラエリアン・ムーブメントも紹介しましょう。