異世界こぼれ話 その十五 「空を飛んだD・D・ヒューム」 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

1869年4月20日木曜日。

ロンドンで今でも発行が続いている「The Guardian」という新聞に、「ロンドン弁証法協会に任命された、物理心霊現象調査委員会の会合において、興味深いレポートがあった」という見出しがあり、次のようなことが書かれています。

ジェンシェン弁護士は、霊媒の身体が宙に浮かぶ空中浮揚現象のレポートを、興味深く読み始めました。ヒューム氏は生涯において、100回以上の空中浮揚をしています。その中でももっともすごいのは、浮かび上がったヒュームがアシュレイ・ハウスの3階の窓から外に出て、隣の部屋の窓から帰ってきた件です。

さて、このヒュームというのは何者なのでしょうか。


ダニエル・ダングラス・ヒュームは、ヒュームの部分がHomeと綴られるため、しばしばホームと表記されることがあります。でも正しい発音は「ヒューム」です。彼は1833年の3月、スコットランドのエディンバラで生まれました。母親のエリザベスにとってヒュームは3人目の子供で、ヒュームは生まれてからすぐ、彼女の姉妹で、子供がいなかったクック夫人の元に養子に出されることになりました。ヒュームを加えたクック一家は、1842年にアメリカに移住します。

 

そして叔母たちと暮らしていたのですが、13歳のとき、離れた場所に住んでいる友人エドウィンの死のヴィジョンを見ました。これは翌日クック家に、エドウィンが3日前に病気で亡くなったと手紙が来て、真実だったとわかりました。実はヒュームの母親は評判の予言者で、彼もそうした素質を受け継いでいて、ラップ音などの現象は幼い頃から起きていたそうです。

 

次にヒュームが他人の死を言い当てたのは4年後です。1850年、母親のエリザベスも一家でアメリカに移住してきていました。ある日、エリザベスが友人の家を訪ねているとき、身体の弱かったヒュームはずっとベッドにいました。しかし、突然夜中に叫びだしたのです。駆けつけたクック夫人の前でヒュームは肩を落としながら、「母が12時に亡くなった」と言いました。

 

この母親の死がきっかけで、クック家のラップ音は激しくなり、近所にも知れ渡るようになってきました。ちなみに1850年といえば、ハイズヴィル事件の2年後。コリンシアンホールでの大規模なデモも終わった年です。フォックス姉妹と同様に、ヒュームもまた、霊たちから伝道師の役割を与えられたのでしょう。とは言え、クック夫人は、ラップ音などは悪魔の仕業だと思っていました。教会関係の人達もそうです。そして、ついに耐えられなくなったクック夫人は、18歳になったヒュームを、家から追い出すことになったのです。

 

その後ヒュームは、表立って金銭を要求することは決してしませんでしたが、貴族や王族たちに認められ、結局は死ぬまでずっと、心霊現象を見せることによって暮らしていきます。当時彼が見せていた物理心霊現象には、例えば下記のものがあります。

  1. ラップ音が部屋中から、天井からも聞こえる。
  2. ものが浮かび上がって動く。ピアノや、数人が上に乗ったテーブルも浮かんだ。
  3. テーブルの上のものは動かないのに、テーブルのみが傾いたり、鋭く動いたりする。
  4. ものの重量を変化させる。これは科学者によって計量されている。
  5. 部屋中の各所から光が現れる。
  6. 人体、またはその一部が物質化する。
  7. すべての出席者の手がテーブルに置かれているのに、触ったり、引っ張る、つねるなどの、明らかに手による感触が感じられる。
  8. 声や、楽器がないのに部屋のあちこちから演奏が聞こえる。
  9. 該当するものがないのに匂いが出る。
  10. しっかりとした部屋で地震を感じる。
  11. アコーディオン、ギターなどの楽器を、手を触れずに、ときには明るい中で浮かび上がらせながら演奏する。
  12. 熱く燃えている石炭を手でつかみ、他の人にもその能力を伝える。
  13. 身長を30cm以上伸ばす。
  14. 宙に浮かび上がる。これは一度だけ、昼の光の中でも起きた。

これほどの霊媒だったので、ヒュームの名前は、当時の新聞によく出てきていましたし、ヨーロッパはもちろんのこと、アメリカ、ロシアでも有名となっていました。そのため、化けの皮を剥いでやるとある科学者が立ち上がりました。

ウィリアム・クルックスは王立協会会長に就任するほどの人物。王立協会はwikiによると「この会は民間科学団体ではあるが、イギリスの事実上の学士院(アカデミー)としてイギリスにおける科学者の団体の頂点にあたる」と書いてあります。つまり、それほどの名士だったわけです。そのクルックスがある日、ヒュームという胡散臭い霊媒がいるけれど、「すべては迷信か、もしくは未知のトリックだろう」と言いながら、調査を始めたのです。

 

クルックスが1874年に出した「Researches in the Phenomena of Spiritualism(スピリチュアリズム現象の調査)」によると、彼は1870年から様々な装置を作って、ヒュームの能力を確かめ始めました。例えば、手を触れない、または蛇腹だけを持った状態でアコーディオンを演奏するのを確かめるのに、クルックスは下図の銅線でできたかごを作りました。

クルックスはまずアコーディオンを買ってきて、それからヒュームのアパートに行って、彼が服の下に何か隠していないかどうかを調べるために、服を監視のもとに着替えさせました。そして自宅へと招き、アコーディオンを入れたかごをテーブルの下に置き、ヒュームはこんな感じで、蛇腹の方を持った状態になりました。

鍵盤には全く触っていません。机の下は助手達によって見張られています。しかしこの状態でも、次は銅線に電流を流しても、アコーディオンは演奏されました。

 

クルックスは他にもいろいろな機械を作りました。

どんな測定器だったのか書きませんが、まあとにかく、こういった一連の実験の結果として、クルックスは未知の力を発見したと結論したのです。しかも、1871年7月30日にこんな事が起きました。ふたつのアルコールランプの明るい光の中で起きた出来事を、クルックスはこんな風に記録しています。

ヒューム氏はそれから、I夫人の椅子とサイドボードの間の広い場所に行き、そこで静かに直立しました。そして「浮かび上がっている。私は浮かび上がっている」というと、皆、彼が床をゆっくりと離れ、6インチ(約15cm)ほどの高さに上昇し、10秒ほど静止して、そこからゆっくり通りてくるのを見たのです。

(Notes of Seances with D. D. Home ウィリアム・クルックス著-1889年より)

 

そしてクルックスは新しい力、「心霊力」を発見したと大々的に宣言するのですが、それは当然、科学界には受け入れられません。その結果、同様に心霊現象を研究し始める科学者が相次ぎ、1882年イギリスにおいてThe Society for Psychical Research(心霊現象研究協会)、通称SPRが結成されることになります。この協会は、このシリーズにこれから何度も出てきます。

 

ちなみにヒュームは何度も空中浮揚をしているので、その写真がないか探しましたが、残念ながらないようです。でも、その情景を描いた絵が残っています。1887年に出版された、Louis Figuierの「Les mystères de la science(科学の謎)」に、ヒュームが1852年8月、マンチェスターのWard Cheneyの家で、天井近くまで浮かび上がったときの情景が載っています。

 

でも、こんな絵で良ければ、もっと昔に空を飛んだと言われている牧師さんがいます。

1603年生まれの、コペルティーノのジュセッペと呼ばれる人は、ミサの最中に宙に浮かんだりしていたとのことです。日本にも昔空を飛んだ子供がいたらしいです。平田 篤胤(1776年 - 1843年)が寅吉という少年から、修験道系なのか、仙術の修行をして、師匠と一緒に空を飛んだりしたという体験を聞き取って、それを「仙境異聞」という本にしています。

 

空を飛んだという人は意外に、他にもいるのかもしれません。私も3人会ったことがあるし。とは言え、そんな人がいるのなら写真を見てみたいですよね。次回は、宙に浮いている場面の写真が残っている、カルミネ・カルロス・ミラベリを紹介しながら、超常現象に必ずと言ってよいほどつきまとう「ある」謎に迫ってみたいと思います。