異世界こぼれ話 その二十七「ロズウェル事件の真実 前編」 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

ロズウェルの消防士ダン・ドワイヤーDan Dwyerは、墜落現場に行って円盤と宇宙人を見たと言います。と言っても、彼はロズウェルの研究家たちの目を引く前に他界しました。彼に直接インタビューできたのは、懐疑的な研究家として名高いカール・フロックだけです。しかし、ドワイヤーがそこで何を言ったか、フロックは明らかにしていません。

 

現在判明しているドワイヤーの話は、その娘であるフランキー・ロウFrankie Roweと、当時消防署に勤めていた人の証言に寄ります。ケヴィン・ランドルによると、彼とシュミットがロズウェルで講演をした際に、終わってから彼女が話しかけてきたそうです。正確な年はわかりませんが、2017年に彼女が亡くなった際、四半世紀ほど前に会ったとランドルがブログに書いているので、1980年代に出会ったのでしょう。

(フランキー・ロウ。ランドルのブログより)

 

このブログによると、彼女は最初、不思議な物質を見たことと、軍に脅されたことを言っていたようです。しかしあるとき、彼女は興奮してランドルに電話してきました。電話会社が彼女の電話を修理に来た際、盗聴器のようなものを見つけたというのです。おそらくそこで、彼女は切れたのでしょう。その後、彼女は2時間ほど、全てを語り出しました。そして彼女の父親が体験したであろうこと、軍の脅しはそれまで言っていたのよりも実はずっとひどかったことなどが判明してきたのです。

 

その詳細に入る前に、フロックの調査結果に触れておきましょう。彼の調査では、問題の日に、ロズウェル市外への消防車の出動はありませんでした。しかも否定派の人で、調査したけれどダン・ドワイヤーという消防士はいなかったと言い出す人がいて、フランキーは一時期、とんでもない嘘つき呼ばわりされていました。でも、彼女を発掘したランドルは、研究家のアンソニー・ブラガリアとともに真実を追い始めたのです。

 

彼らはフロックもインタビューしたという、当時の消防署にいたJ・C・スミスJ. C. Smithに、2009年に話を聞きました。とりあえず、1947年のその日は、基地からある大佐が来て、未確認のものが墜落したけれど、基地で面倒を見るので君たちは出動しなくてよい、と言った話を聞かされました。つまりその日の消防車の出動はなかった。フロックがレポートしているのと同じです。しかし彼らはその後に、ダン・ドワイヤーを知っているかどうか聞きました。するとスミスは、ドワイヤーを知っているし、彼は自分の車で現場に行ったと証言したのです! フロックはこの質問をしていなかったのですね。

 

結局研究家は、自分の導きたい結論を得るために情報を集めるのです。だから、異星人の存在など否定したいフロックにとっては、最初の発言だけで十分だったわけです。ちなみに、ブラガリアの2009年3月の記事に寄ると、スミスはドワイヤーから現場の異常な状況を聞き、大佐の命令に背いて、彼もまた自家用車で現場に行ったそうです! 彼はブラガリアに、墜落したのは何だったかと思うと聞かれ、未確認飛行物体と答えています。また、ロズウェルの市政担当官(ブラガリアの調査によるとC・M・ウッドベリーC.M. Woodbury)が消防署に来て、この墜落について何も言わないように言ってきたことも述べています。

 

さて、フランキー証言の信憑性が増してきたところで、ドワイヤーに何があったのかを改めて書いてみましょう。

 

1947年7月のある日(おそらく3日か4日)の夕方、ロズウェル市の北西に何かが墜落したのを、軍のレーダーが捉えました。墜落現場が分かって、消防署に無線連絡が来たのは、もうかなり遅い時間だったようです。ドワイヤーが駆けつけたときには立入禁止テープが張られていて、あちこちに怒号が飛び交っていました。見ると兵士たちが何かを囲んでいます。三角形の乗り物です。彼らは慣れないクレーンを使いながら、それをトラックに載せようとしていました。現場にはかなりの明かりが集中していて、乗り物ははっきり見えました。ドワイヤーはそれが基本的に無傷だったことを言っています。

 

そこには警官たちもいました。彼らとMPらしき男との会話が聞こえてきます。「君たちはもう帰っていい。現場の安全は確保した」と兵士が言うと、警官は「負傷者は?」と聞きました。それに兵士は「負傷者はいない。もう全てコントロールできている」と答えたのですが、ドワイヤーの位置からでも、小さな人を軍の護送車に運んでいるのが見えます。すでに遺体袋に入れられているのが2,3体と、もう1体は直接ストレッチャーに縛り付けられていました。その1体は動いて、生きているように見えます。

 

警官にもそれが見えていたので「彼らは?」と聞くと、兵士は「早く乗せろ!」と作業しているものに言い、警官たちには「君たちは今夜ここで何も見なかった」と言い出したのです。警官たちはすぐには引き下がりません。しかし兵士は「あとで基地から誰かが説明に行くから関わらないでくれ。これは完全に軍の管轄だ」と言って、彼らを追い出しました。

 

ドワイヤーは立入禁止区域の周りを、歩き始めました。MPがたくさんいるものの、現場は非常に混乱していて、誰も彼を気にしようとしません。現場にはあのジェシー・マーセル少佐と、よく街に来ている、知っている将校が見えました。また、何かの残骸がたくさん散らかっています。彼は護送車になるべく近い位置に行ってその小さな人をよく見ようとしました。子供みたいなサイズですが、明らかに子供ではありません。目はとても大きく、鼻と口は小さなスリットにしか見えません。耳は大きな頭についたくぼみにしか見えません。肌はグレーがかって見えて、髪の毛はありません。

 

その生き物の目がドワイヤーを見つめたとき、音はしなかったのに、何故かその生き物が「自分はもうだめだ」と考えているのが分かりました。ドワイヤーは唖然として立ち尽くしました。しかし、その生き物を車に乗せた兵士が彼を見つけ、ここで何をしている、と言ってきて、ドワイヤーは正気に戻りました。彼はすぐに車に向かって戻り始めましたが、途中で金属の布のような残骸を見つけました。彼はそれを手の中に丸め、そして開くと、しわもなく元の形に戻ったのです。こんなものは誰も見たことがないだろうと思い、彼はそれをポケットにしまいました。

 

そのとき、一人の軍曹が「ここで一体全体何をしてる?」と言って近寄ってきました。ドワイヤーはあくまで何も知らない風を装い「消防の要請を受けたので来ました」と言いました。すると軍曹は「車に乗って早く立ち去れ」と言いつつも、「何も取っていないな?」と聞いてきたのです。ドワイヤーが緊張して「取っていません、サー」と言いましたが、軍曹は彼を、まるで逮捕でもするかのように、強引にマーセル少佐のところに連れていきました。

 

「残骸のところでうろついていた消防士を捕まえました」と軍曹は少佐に言いました。

 

マーセルとドワイヤーは特に友人というわけではなかったのですが、マーセルは彼を誰だかわかったようです。そして苦虫を噛み潰したような顔で「すぐに出ていきなさい。ここにいたこと、ここで見たことは誰にも言ってはいけません」と言いました。彼がうなづくとマーセルは、そのうちに誰かが、どういう風に言えばよいかを教えるから、それまでは何も言わないように、と続け、軍曹に彼を車まで連れて行くように命令したのです。

 

彼が持ち帰った残骸を誰かに見せたかどうかはわかりません。しかし、娘のフランキーが消防署に遊びに来ているとき、州警察の警官がやってきて、ドワイヤーに向かって、署員に見せたいものがあるから集めてくれ、と言ってきたことがあります。その彼は、皆が集まってから、ドワイヤーが持ってきたのと同じタイプの残骸を見せ、自分がそれを持っていることを知られたらすぐ、軍に没収されてしまうから、その前になるべく多くの人に見せたい、と言ったそうです。この残骸はもしかしたらドワイヤーが持ち帰ったもので、州警察の警官は、カモフラージュとして呼ばれたのかもしれませんね。

 

フランキーはそれを手にとって、5分ほど遊んでいました。「手に持っても、質感が感じられないほど軽くて薄いものでした。丸めても、すぐに水が流れるように広がったんです」と、彼女はその物体を形容しています。

 

ここで円盤の墜落現場情報を整理しましょう。

ロズウェル市が右下に見えています。新聞報道の元になったフォスター牧場はA地点です。B地点はバーニー・バーネットとアンダーソンが円盤と異星人を目撃したところ。C地点は、ディー・プロクターとブラゼルが異星人の死体を目撃したと思われるところ。ここに新たに、数日前に円盤が落下し、軍がすぐに回収に向かったという地点Dが出てきたわけです。円盤はもしかしたらAとCで墜落しそうになって、残骸と一体の遺体を撒き散らし、そしてD地点に不時着したのかもしれません。


唐突ですが、ロズウェル付近の宇宙船墜落現場は、これだけではないようです。実は、他の墜落事件は基本的に隠されていて、今まで述べてきた件はたまたま新聞報道がされてしまったために、有名になっただけなのです。1950年9月にジャーナリストのフランク・スカリーFrank Scullyが、「Behind The Flying Saucers(UFOの内幕)」という本を出版しています。

この表紙を見ると、真実よりもエンターテインメントを重視しそうな感じがしますが、それはともかく、その中に興味深い話が載っています。本の冒頭に、その年の3月8日に、コロラド州のデンバー大学で、墜落した円盤と機内にいた異星人の遺体を調査したという科学者が行った講演の内容が紹介されています。

 

この科学者は匿名で15分だけの講義をすることになっていて、事前に、正確な年月は教えられないとの前置きがありました。その彼が言うには、1950年から10年以内くらいに、デンバーから半径800キロ程度のエリアで、4基の円盤が着地しています。一度目と二度目はかなり大きな機体で、中にはそれぞれ16人の死体がありました。3機目は小さくて二人だけ。ここまでの34人は、身長は90センチから1メートルくらい。肉体年齢は35歳くらい。色白の肌で、私たちと何ら異なるところがなかったとのことです。制服のようなものを着ていたけれど、記章の類はついていませんでした。4機目は、近づこうとしたら小さな人が乗り込んで、そして消えてしまったそうです。

 

この本にはさらに、ジーGee博士と呼ばれる人が登場していて、スカリーに、ロズウェルと同じニューメキシコ州のアズテック付近で墜落したUFOの中から、小冊子のような、中身に何が書いてあるのか読めないものが見つかったと言っています。それは、象形文字以前の、ピクトグラムのようなものでした。

 

この本はかなり反響を呼び、その追跡調査をする人も出てきました。しかしその調査を行ったJ・P・カーンJ.P.Cahnによると、まずその科学者というのはサイラス・ニュートン Silas Newtonという石油王で、単にUFOの話を集めている人でした。そしてジー博士の本名はレオ A. ジュボエLeo A. Gebauerで、電子工学の知識を持っていて、ラジオエンジニアリングの会社を所有していることがわかりました。ニュートンは科学者ではありませんが、ジュポエは一応科学者だったわけです。

 

さて、このニュートンとジュボエですが、怪しげな、油やガス、金を見つけられるという装置を、空飛ぶ円盤の墜落から得た異星人の技術に基づいていると言って売っていたのです。二人ともかなりの金持ちだったと思えるので、なぜこんな危ないことをしたのか、理解に苦しみます。彼らは詐欺で捕まり、当然、彼らが語ったこの上記の話も、全て嘘だと思われてきました。

 

ところが70年代後半に著名なUFO研究家レナード・ストリングフィールドLeonard Stringfieldが、アズテックに1948年3月、UFOが落ちているのは確かだと主張し始めました。これは現在アズテックUFO事件と呼ばれ、実際に起きたと見る研究者が多くなっています。ちなみにこのUFOはかなりの大型で、16人のヒューマノイドの死体が回収されたと言われています。

 

1940年代の著名な、USにおけるUFO墜落事件に、1941年4月に起きたケープ・ジラードCape Girardeauの墜落事件があります。この事件はロズウェルと同様に、やっと全貌が見えてきていて、「The Cape Girardeau 1941 UFO Incident(1941年、ケープ・ジラードUFO事件」という本が2013年に出ていたりします。

 

このUFO事件では、それを目撃したというウィリアム・ハフマンWilliam Huffmanによると、二体の遺体が宇宙船の近くにあって、もう一体は若干離れたところにあったとのことです。その遺体は、髪がなく、大きな頭と目、小さな口と耳を持っていて、慎重は1mと少しぐらいだったと言います。

 

ロズウェル付近の墜落事故として、1945年、サン・アントニオSan Antonio、地図でいうとAとDの中間くらいの位置で見られたものもあります。例えばこちらのページで、wandering(さまよえる人)が、自分の叔父が経験した話としてその墜落事故のことを述べています。その叔父は、1945年8月のある日、空を爆音とともに飛ぶ、見たことのない物体を見ました。それは高度を下げながら過ぎ去っていったので、彼は墜落したかもしれないと思い、水と救急用品を持って現場を探し始めました。そして機体を見つけましたが、乗組員がいた形跡は感じられなかったとのことです。

 

後日、その叔父は軍に連れられてたくさん尋問されたのですが、その際にアインシュタインと友人であることを言ったところ、軍の態度が変わりました。彼とアインシュタインの関係を根掘り葉掘り聞くと、軍の人間は納得し、天文学者のリンカーン・ラパズLincoln LaPazと彼を引き合わせたそうです。そして、wanderingは叔父と一緒に、このラパズと何度か会ったことがあると、このページで言っています。なお、wanderingは自分が誰なのかを明かしていません。

 

ニュートンとジュボエの詐欺が、実は仕組まれたものだったのか、金持ちの遊びだったのかはわかりません。しかし、彼らは金持ちの特権で、一般人には得られない、それなりに正確な情報を得ていたのではないかと思えてきます。実は、ピクトグラムが書いてある小冊子についても、それを裏付ける証言が出てきました。ただし、これはアズテックの墜落UFOからではなく、1947年に、墜落場所の地図では下に隠れているホワイト・サンズWhite Sandsという地域に落ちた機体から得られたようです。

 

1947年3月、ホワイト・サンズで砂に埋まったUFOが発見され、回収されました。このUFOがどれくらいの間、砂に埋まっていたのかはわかっていません。とりあえずUFOは回収され、その中に象形文字のような文字が書かれた、羊皮紙みたいなものがありました。この内容がすでに解読されていて、しかもそれは初期のヘブライ語で書かれた旧約聖書だった(!)という話が、「The Black World of UFOs: Exempt from Disclosure(UFOの暗黒世界:開示の免除)」という2010年の本に載っています。

また、ムーの2017年7月号に下記が載っています。

ニューメキシコ州のホロマン空軍基地Holloman Air Force Baseに所属していた軍人が、「1948年に基地内で墜落UFOに関する報告書を見たことがある」と、退役後に家族にだけ打ち明けていた人物の証言内容が、公にされた。国家的暗号解読チームが取り組んだ結果、なんとそれは初期ヘブライ語で書かれた『旧約聖書』の写本であることが判明したというのだ!

この軍人が誰なのかわかりませんが、前述の本にはこんなことが書かれています。

 

当時の基地はアラモゴード空軍基地Alamogordo Army Airfieldという名で、ここを管轄していたのはポール・ヘルミックPaul Helmick大佐です。その彼があるときハリー・クーパーHarry Cooperに、円盤に関する報告書を清書(print up)するように命令しました。その報告書には未解読の文字に関する記述が含まれ、大佐に渡されたあと、ライトフィールド基地に送られたと言います。

 

確かにそのような報告書はあったわけです。ちなみにこの本は、ロバート・M・コリンズRobert M. Collinsが数人の寄稿者とともに書いていて、その寄稿者の中にハリー・クーパーの息子であるティモシー・クーパーTimothy Cooperの名前があります。本には、ティモシーがかつてヘルミックに電話をして、墜落の話や父親との関係を聞いたと書かれているので、上記の内容はティモシーから来ているのでしょう。

 

この本にはさらに、解読に関わったウィリアム・オルブライトWilliam F. Albright、その他の人たちの名前が書かれていて、解読途中の1949年の時点でバチカンに報告し、1955年に解読が完了してMJ-12に渡されたと書かれています。本には1962年のMJ-12文書の表紙が載っています。

案件として最初に、「NSA(アメリカ国家安全保障局)による異星人のコード解読」と書かれています。しかもプロジェクト名がやばいです。「ヤハウェ」という名のプロジェクトなのです。

 

なんだか、にわかには信じがたい話になってきましたが、これから紹介する情報を知った後なら、そんなこともあるかと思えてくると思います。次回は、同じホワイトサンズに1957年に落ちたUFOを熱心に観察し、さらにその付近で驚愕の体験を持ったコーソ中佐を紹介しましょう。