あの空き缶分別装置を発明した小学生の発明家が
「株式会社やくにたつもの、つくろう」を設立し、
中学生社長になっています。
このように発明は、起業のきっかけになり得るものです。
今回は主婦の発明家が社長になった話しです。
発明のきっかけになったのは、1995年の夏のことです。
当時39才の福井泰代さんは、子供二人を持つ主婦です。
“その日、福井さんはJR西日暮里駅のホームで途方に暮れていた。
荷物を持ち、まだ赤ん坊だった下の子供をベビーカーに乗せていた彼女は、
改札口に向かうためにエレベーターかエスカレーターを探していた。
だが見当たらない。汗をかきながらホームの端から端まで歩いた挙げ句、
ようやく見つけたエスカレーターはホームの中央にあった。
(なんだ。前もって、車両の真ん中に乗ればいいって知っていれば、
無駄足しないですんだのに)
そう思った途端、浮かんだのが、
「不便だと思ったら、そこにビジネスチャンスがあると思え」。
その当時、趣味でやっていた発明の講習会で教えられた言葉だった。”
(出典:女の転職、時代を作った女性たち)
そこで、福井さんは、都内256駅(現在は274駅)の地下鉄の駅を
土日に5ヶ月間かけて調査し、どの車両に乗れば、降りる駅の
エレベータの近くに停車できるかなどが分かるマップを考えました。
どんな風にマップが作られているか、知りたい方は
ホームの柱を見ていただきたいと思います。
(写真の出典:株式会社ナビットのホームページ)
「不便だと思ったら、そこにビジネスチャンスがあると思え」は、
発明教室の参加者にも是非伝えたいメッセージですね!
データをまとめてガイドブックにしたいと考えていた彼女は、
出版社に片っ端から売り込んだが、「興味がない」と手応えは
ほとんどゼロで、その数は50社を超えたそうです。
断られても心が折れないメンタルはどこから来ているのでしょう?
子育てで鍛えられたのかもしれませんね。それとも、同じ子育ての
親を助けたいという社会貢献の意識からでしょうか?
商品化には苦労が伴うものです。
商品化するまで諦めない気持ちが大事ですね!
会社設立までの経緯は以下のとおりです。
1996年5月24日:「車両番号を基準として構内出口図示表記」を特許出願(その1)
1996年7月31日:「車両番号を基準として構内出口図示表記」を特許出願(その2)
1997年2月:「地下鉄のりかえ便利マップ」が株式会社日本能率協会の手帳に採用
されたのを機に有限会社アイデアママを設立。
1998年2月:帝都高速度交通営団で採用。駅構内に掲示。
2001年1月:株式会社アイデアママから交通コンテンツ関連事業を譲り受け、
コンテンツの企画・制作・販売を目的に、株式会社ナビットを設立。
2018年9月:600万円でスタートした同社の資本金は現在1億4850万円となり、
15名の従業員を抱える。
「地下鉄のりかえ便利マップ」に関する特許出願を
2件(上記のその1、その2)しましたが、
審査請求をしなかったために取下げとなり、
権利化できませんでした。
権利化できなかったのなら起業するのに
特許出願は不要と考えるのは早計です!
審査請求の期限は出願から3年後の1999年5月24日ですので、
期限が来る前に日本能率協会と交渉して手帳に採用されています。
交渉の過程で特許出願中であることを担当者に伝えている筈です。
担当者はいずれ特許になるアイデア、又は特許にならなくても
特許に匹敵するアイデアだと思い、採用したと思います。
権利化できると、もっとよかったかもしれません。
本人で書類を作成し、弁理士に出願を依頼していなかったようです。
会社を設立した後は、9件の特許出願をし、
そのうち5件が特許になっています。
いずれも弁理士に依頼して出願しています。
60億円を売り上げた中澤さん考案のダイエットスリッパも
意匠登録出願から特許出願に変更した後、拒絶査定になり、
その後、特許出願から意匠登録出願に変更しましたが、
結局権利化できませんでした。
福井さんにしろ、中澤さんにしろ、最終的に権利化できませんでしたが、
特許出願し、出願中であることをアピールすることによって
模倣を牽制でき、ビジネスになったのではないかと思います。
新しいアイデアを起業し、あるいは事業として実施する場合には、
特許出願(又は意匠登録出願)をすることが必要ですね!
※追伸
◆アイデアで起業を考えている方、
アイデアを形にしたい方、
発明力を付けたい方、