武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

過去の記事(13)

2024年04月16日 03時18分07秒 | 過去の記事

⑬ 消費税・増税論に騙されるな!   金太郎アメ。 デジタル的思考の浅はかさ 。 野焼きと御殿場“魔の空”。  記者の“お見合い”。 「18歳選挙権」を大歓迎。  日本人の弱点。  冤罪(えんざい)。  T社長のこと。 自衛隊は憲法9条に違反する。ただちに憲法を改正せよ!

消費税・増税論に騙されるな! 

わが国に消費税が導入されてから21年になる。消費税がスタートした時、当時の自民党政権は何と言ったか。「これから日本は少子高齢化社会を迎えるので、その“財源”として消費税を導入する」と言ったのだ。あれから21年、日本は確かに少子高齢化社会になった。この点は、自民党政権の見通しは非常に正しかった。
しかし、これまでの220兆円に及ぶ消費税収入は全て、高齢者の医療や介護、福祉といった社会保障に使われてきたのだろうか。これが全く怪しい。
それどころか、介護保険制度や後期高齢者医療制度など、国民に負担を強いるものばかり出来て、保険料も次々に引き上げられてきた。21年前の、少子高齢化社会の財源にすると言ったあの約束は“ウソ”だったのか。それともこの間、老人だけが予想以上に増え過ぎたとでも言うのか!
 
誰が考えてもおかしいだろう。消費税収入が全て社会保障に使われていれば、介護保険制度などつくる必要はなかったはずだ。高齢者の介護は全て国が面倒を見ることが出来たはずである。220兆円の消費税収入は、一体どのように使われたのか。どこへ消えたのか! その点を検証すべきだろう。ちなみにこの間、法人3税(法人税、法人事業税、法人住民税)は相次ぐ減税などで、180兆円以上も減っているのだ。
この問題は別にして、菅・民主党政権は財政赤字を解消するためか消費税の10%引き上げを提言し、先の参院選で大敗した。何を血迷ったか知らないが、実にお粗末な菅首相の提言であった。選挙で敗れたから消費税論議を引っ込めた形になっているが、消費税引き上げ分を具体的に何に使うのか、社会保障の何にどのように使うのか一言も説明がなかった。こんないい加減な増税論があるだろうか。余りにも馬鹿げているので、菅政権も暫くは何も言わないだろう。
 
さて、私は税制の専門家ではないから、税制論議は財務省の賢い(悪賢い)役人に任せよう。ただし、一言云っておきたい。財政赤字を解消したいのなら、他にも多様な税があるではないか。その前に景気回復が第一だと思うが(税収が増えるから)、もし増税するというなら消費税だけではないはずだ。もっと知恵を出して欲しい。
弱者イジメの消費税ではなく、例えば土地税制の見直しは考えられないのか。日本の土地や不動産に関する課税は、国際水準から見ると非常に低いと聞いている。ほんの少し引き上げるだけで、莫大な税収が見込まれるのだ。むろん、住宅建設などへの影響は考慮しなければならないが、地価税などは1000平方メートル以下の住宅地は非課税となっている。いろいろな配慮がなされているのだ。
いや、税制の素人が余計なことを言ってしまったが、財務省の賢い(悪賢い)役人ならもっといろいろな知恵を出せるだろう。
 
最後に、IMF・国際通貨基金が先日、日本の消費税は来年度から最大15%へ引き上げるべきだと提言したが、全く余計なお世話だ! と言いたい。
ネットで調べたら、IMFのストロスカーン専務理事は先月末、日本の財政は「差し迫ったリスクはない」と言明したばかりではないか。(以下を参照・http://www.asyura2.com/10/lunchbreak40/msg/693.html
なお、ツィッター記事によれば、IMFの日本人専門職員43人のうち、何と3分の1の14人が財務省官僚で、副専務理事や理事などの要職を占めているという。そう考えると、このIMF提言なるものも実に怪しいではないか。善良なる日本国民よ、消費税・増税論に騙されるな! と言いたい。いや、もう余計なことを言うのは止めよう。(2010年7月17日)
 

 金太郎アメ

1) 2月下旬のある日、私は湯島天神に出かけた。 梅の名所だというので、初めての参詣に赴いたのである。 晴天のもと、数多くの白梅が可憐な花を咲かせていた。所々に、紅梅も美しい姿を見せている。 300本ほどの梅の木があるのだそうだ。

 ウィークデイの昼下がりだというのに、境内は梅の見物客で賑わっていた。 ほとんどが中年から年配の人達で、女性が圧倒的に多かった。 梅の花にカメラを向ける人もかなりいる。 “学問の神様”菅原道真公を祭っているだけあって、合格祈願の絵馬の多さには驚いた。至る所に鈴生りになっているのだ。

 境内を散策していると、露店の列が目についた。 別に買いたいものがあるわけではないが、近寄って見ると、昔なじみのいろいろな玩具や甘酒などが売られていた。 しばらく行くと、私はハッとして立ち止まった。“金太郎アメ”が売られているのである。

2) 金太郎アメを見るのは、何十年ぶりのことだろうか。 とにかく、いつ以来お目にかかったのか覚えがない。 このアメには、苦い悲しい思い出がある。

 私が幼稚園に入る頃だったと思うので、もう55年ほど昔のことだ。 当時は、終戦直後の極めて貧しい時代だった。ろくな食べ物がなかった。 我が家は、父が保険会社の某支店長をしていたので、平均的なサラリーマン一家だったと思うが、食べ物には苦労していた。

 その頃は、どの家庭でも苦労していたにちがいない。 私の一家は名古屋市内に住んでいたが、どの家も「買い出し」に明け暮れる毎日だったように思う。 若い人達は知らないだろうから説明しておくが、「買い出し」とは、金品を持って地方や郊外の農家の所に行き、食べ物と交換してもらうことだ。

 一体、あの頃は何を食べていたのだろう。よく覚えていないが、イモ、雑炊、すいとん、どんぐり粉、イナゴなどを食べていたと思う。 “銀しゃり”と言われた白米ご飯などは、ほとんど食べられない時代だった。 国からの配給食糧だけでは、とても生きてはいけなかった。買い出しをしたり、ヤミ市で物を買わなければ、生き長らえることは出来なかった。

 政府の言うことを聞いて、買い出しをせず、ヤミ市にも手を出さなかった実直な人達の中には、栄養失調で亡くなった人もいた。 至る所で餓死者が出た。街には、乞食や浮浪者があふれていた。 みんなが塗炭の苦しみを味わっていたのである。あの頃の日本は、なんと悲惨な時代だったのだろうか。

3) 丁度その頃だったと思う。 父がどこから手に入れたのか知らないが、“金太郎アメ”を箪笥の引き出しの中に隠していた。 幼児だった私は、10歳ほど年長の兄から、アメの隠し場所を教えられた。 ただし、兄は「絶対に食べてはいけないぞ」と私に言った。 アメやキャンデー、チョコレートなどのぜい沢品は、ほとんどなかった時代だから、兄の言うことは当然だったと思う。

 しかし、幼児だった私は、その金太郎アメが食べたくてならなかった。 その頃だから、きっとひもじい思いをしていたにちがいない。ましてや、滅多に見ることの出来ない美味しそうなアメである。 「食べてはいけないぞ」と言われていたが、幼児はついにアメに手を出したのである。

 私は箪笥の引き出しを開けて、小さな手で恐る恐る金太郎アメの端を折った。その端切れを口に入れて味わった。 その味は今では覚えていないが、もちろん美味しかったにちがいない。 私は残りのアメをそっと引き出しの中に戻し、子供心にバレないように細工したつもりだった。 しかし、その後は、恐怖心で一杯だったように思う。

 その晩のこと、父が帰宅して、私が金太郎アメを食べたことは直ぐにバレた。 父はものすごく怒った。怒って私を叱った。なんて叱られたか覚えていないが、父の激しい剣幕に私は泣き出した。相当泣いたと思う。泣きじゃくったことは、今でもよく覚えている。

4) “金太郎アメ”には、そういう悲しい思い出がある。 私は露店を離れて、湯島天神を後にし不忍池へと向かった。

 55年前の時代は、あまりにも悲惨だった。 庶民は、敗戦直後のどん底生活にあえいでいた。ろくに食べるものもなく、毎日毎日が苦しみの連続だったと思う。 当然、人々の心は苛立ち、とげとげしくなっていたと思う。 あの頃に比べると、今はなんと豊かで、物が有りあまっていることだろうか。

 昔の話をすると、「また年寄りがなにか言っている」と、笑われそうだ。 しかし、私は断じて言う。今ほど豊かで、素晴らしい日本はない、と。 ただし、そう感じる人が減っているだけなのだ。 今や、我々はすっかりぜい沢に慣れてしまった。かく言う私も、マイカーを乗り回し、ファミリーレストランにもしょっちゅう行っている。

 そんなことは、私らの少年時代には夢にも考えられないことだった。マイカーを持てるなんて、アメリカ人ぐらいだろうと思っていた。 どうして、こんなに豊かになったのだろう。「100円ショップ」に行くと、物が有りあまっている。 どこにも、貧困の影はないではないか。

5) 人間の欲望には、限度がない。 だから、いくら豊かになっても、豊かさを実感できない人が大勢いる。 金が入ると、もっと金が欲しくなる。 金があるのはいいが、世の中の生活レベルが向上していくと、かえって自分の“貧しさ”を感じやすくなってしまうのだ。 そして、心の“豊かさ”を失っていくと、これは不幸なことだ。 繁栄の中の貧困と言うのだろうか。

 昨今、不況がどうだとかデフレがどうだとか、経済問題がいろいろ取り沙汰されている。 深刻な不況は、もちろん良くない。早く景気を回復させて欲しい、と願うばかりである。 しかし、私などは分かっていても、「デフレのどこが悪いのか」と、つい言ってしまいたい気持になる。 年金生活者にとっては、「インフレよりは、ずっとマシではないか」と。

 そう言うと叱られそうだが、安い物が無尽蔵にあふれているような当世は、“豊かさ”以外の何物でもない。 問題は、そう感じるかどうか、ということである。そう感じない人は不幸である。 経済とは、「消費するために」あるのではない。

 今の子供達は、金太郎アメには見向きもしないだろう。もっと美味しいものが沢山あるからだ。 しかし、豊かになったからといって、それが“幸せ”に結びつくものではない。 それにしても、幼児の時の私は、金太郎アメをたっぷりと味わいたかった。 (2002年3月16日)

 

デジタル的思考の浅はかさ 

一般に、物事を白か黒か、イエスかノーか、オール オア ナッシングで考えようとするのをデジタル的思考と言う。これに対して、物事を割り切らずに、全体的に捉えようというのがアナログ的思考と言えるだろう。どちらにも長所、短所があると思うが、世の中はデジタル化が進んでいるためか、思考法までデジタル的になってきたようだ。
例えば「勝ち組」「負け組」という言葉がある。最近はマスコミもそういう表現を自粛しているようだが、私はこの言葉が大嫌いだ。何を基準にして「勝ち組」「負け組」と言うのか。スポーツやゲームなら、勝った負けたは一目瞭然だが、人間の人生をそんなに簡単な言葉で定義できるのだろうか。
地位が高く年収も多い人は勝ち組で、そうでない者は負け組なのだろうか。ところが実際は、勝ち組でも負け組でもない中間層の人が大勢いるのだ。しかし、デジタル的思考が進むと、中間層の人たちまで勝ち組か負け組に仕分けされかねない。世の中は「格差社会」が進行しているから、少数の勝ち組と多数の負け組に分化されるかもしれない。全てのものを0か1か、白か黒かで判断しようというデジタル的思考とはそういうものだろう。
ところが、白と黒の間には膨大な“灰色”があるのだ。アナログ的思考はこの灰色の部分を重視する。先ほどの例でいくと、勝ち組でも負け組でもない中間層の存在を大切にするのだ。つまり、デジタル的思考は白か黒かだが、アナログ的思考は白か黒か以外に、灰色の存在を認めるのだ。

だから、アナログ的思考の人間は分かりにくく曖昧だと言われる。イエスなのかノーなのかはっきりしない。一方、デジタル的思考の人間は分かりやすい。時代がデジタル化しているから、余計にこういう人間は増えてくるだろう。しかし、それが世の中にとって良いことだろうか。単純で単細胞の人間だけが増えてくるような気がしてならない。クイズ番組ではないが、何もかも「ピンポン」と「ブー」で仕分けする風潮にあるのだ。物事をじっくり考えるという姿勢が失われつつあるように思えるのだ。

ここで少し視点を変えるが、アメリカは最もデジタル的思考の強い国である。彼らの考える経済的「グローバリズム」というのは、世界を合理化、効率化、市場化しようというものだが、この価値観だけで全てを律しようとしているようだ。しかし、経済にも色々な価値観があって、アメリカ型資本主義が全てではない。国によって資本主義のあり方はさまざまである。特に発展途上国やアフリカなどの最貧国では、急激な市場化や効率化などは無理な状況がいくらでもある。ところが、アメリカという国はよほど自信があるのか、自分の価値観を「イエスかノーか、白か黒か」と押し付けてくる所がある。 しかし今回、アメリカ発の金融パニックで、アメリカ人が考える資本主義、特に金融資本主義がいかに危険であるかを全世界に示したのだ。これはデジタル的思考の失敗だと言える。

効率化、合理化は企業にとって良いものだ。また、規制緩和や構造改革も良いだろう。しかし、社会全体にとってそれが全てであろうか。国や社会は、効率化や合理化だけで律することはできない。国や社会は「企業」ではないのだ。さまざまな要素を抱える「共同体」なのだ。したがって、デジタル的思考で白か黒か、イエスかノーかで律することはできない。もし、そういう思考法だけでやっていこうとすれば、何もかも優勝劣敗、弱肉強食の世の中になってしまうだろう。それは社会不安をもたらすだけである。
このように考えると、戦争とか大地震などの緊急事態には“デジタル的思考”は効果をあげるが、平時においては、いつも全体を捉えようとする“アナログ的思考”の方が優っていると言えよう。もう一度はっきり言う。物事は白と黒だけではないのだ。その中間に膨大な「灰色」があるということを認識すべきである。(2008年11月15日)
 

野焼きと御殿場“魔の空”

野焼きは早春の風物詩である。私はやったことがないが、なかなか良いものだと思っていた。ところが3日前の20日、静岡県御殿場市の陸上自衛隊東富士演習場で、野焼き作業中の3人が炎に巻かれ焼死する事故が起きた。3人はいずれも30代の男性で、ボランティアとして野焼きに参加していたという。まことに痛ましい事故である。
 主催者側の発表によると、当日は良い天気で風もほとんど無く、状況は非常に良かったので野焼きを実施したという。このため午前9時半前に点火の指示を出したが、10時頃になって風が強くなり、風向きも変わったため点火を見合わせるように指示した。しかし、その時には上記の3人は突然の逆風に巻かれすでに焼死していたという。
 また、同じ頃、演習場内の別の場所(裾野市)では野焼きの火が飛び火し、山林火災を起こしていた。これらの話を総合すると、この野焼きは明らかに無謀だったということになるが、恒例の行事だけに主催者側もやらねばと思ったのだろうか。
 
ところで昨日、この事故の報道をテレビで聞いていたら、気象予報士が「御殿場の気象は特殊だ」と言った。なぜかと言うと、西風であろうと南風であろうと、風は富士山に当たって複雑な気流を起こすのだそうだ。それがちょうど御殿場の上空辺りで、思わぬ風が吹いたり風向きが変わったりするのだという。
 そこで、私がハッと思い出したのが、44年前(1966年)の3月に御殿場上空で起きた航空機の空中分解事故である。
 覚えている人はもう少ないだろうが、BOAC(イギリス海外航空)のボーイング707型機が御殿場上空で“乱気流”に遭遇し、右翼が引きちぎられて機体は空中で分解、乗客乗員124人が死亡するという大惨事が起きた。
 ちょうどこの事故の前日(3月4日)、羽田空港でカナダの航空機が濃霧のため着陸に失敗して炎上、64人が死亡するという大惨事があったから、2日連続の航空機事故で、テレビ局報道部員だった私は狂ったように忙しかったので絶対に忘れられない思い出だ。
 
話がその当時の事にそれてしまったが、御殿場上空ではそれより数年前、自衛隊機2機がやはり乱気流に巻き込まれ墜落事故を起こしていたため、このBOAC機の事故を契機に富士山には絶対に近づかないという「掟(おきて)」が出来たと聞いている。それまでは、特に外国の航空機は乗客への“サービス”のため、富士山に近づいていたのだ。
 どんなに快晴であろうとも、富士山付近、また御殿場の上空は上昇気流と下降気流が複雑に入り混じり、乱気流を発生させるのだ。魔の空域である。
 そんなことは地元の人だったら知っているはずなのに、今回の野焼き事故は少し油断したのだろうか。警察は業務上過失致死の疑いで調べるという。また、3人の犠牲者への補償問題も当然起きるだろう。
 野焼きは良いが、御殿場のような所は十分に注意しなければならない。(2010年3月23日)

 

記者の“お見合い”

 先日のTBS「サンデーモーニング」で、小沢元民主党代表の秘書3人が有罪判決を受けたことについて、レギュラーの毎日新聞主筆・岸井成格(しげただ)氏が「これは市民や一般人の常識に裁判官が近づいた名判決だ」と述べ、大いに持ち上げたという。私はその番組をたまたま見ていなかったが、発言が事実なら猛反対である。
 ここで、いわゆる「小沢裁判」についてあれこれ言うつもりはない。いずれまた論じたいと思う。今日はヒマなので、有名なジャーナリストである岸井君(私より3歳年下なのでそう呼ばせてもらう)の昔話でも語ろう。
 もう40年ほど前になろうか、私がフジテレビの政治部記者だった頃、岸井君も毎日新聞の若手記者として活躍していた。その頃はテレビ局なんてまだ弱小で、大新聞や通信社の記者から“格下”に見られていた。それも仕方がない。取材の伝統も浅いし、記者の資質もまだ十分ではなかったと思う。
 だから、新聞記者らはやや小馬鹿にした感じで、テレビ記者を見下していたようだ。ところが、岸井君は若かったせいもあるか、われわれテレビ記者に対しとても親切で優しかった。彼とはすぐに仲良くなれたし、他のテレビ記者もそうだった。やはり、人柄が良かったのだろう。私は自民党の保利茂という政治家(後に衆議院議長)の所でしか彼と一緒ではなかったが、当時の好感度は今でも続いている。
 
ところで、それから暫くしてある信頼できる筋から、岸井君がアイドル歌手の小柳ルミ子と“お見合い”をしたという話を聞いた。え~~! 私はびっくり仰天した。小柳ルミ子と言えば『わたしの城下町』などが大ヒットし、そのころ最も人気のあるアイドル歌手だったのである。私も大好きな歌手で、彼女がテレビで歌う時はいつもうっとりとして聴き入っていたのだ。
 さらにある筋に聞くと、なんと当時の佐藤栄作総理大臣の奥方・寛子(ひろこ)夫人が、岸井君と小柳ルミ子の間を取り持ったという。へえ~~! 私はまたも仰天した。しかし、よく考えると、こういうお見合いというのはままあることだ。
 私も独身の記者時代、政治家から2~3回、見合い話を持ちかけられたことがある。その時は、何かの拍子で政治の道に引きずり込まれては厄介だと思い、いずれも断った。「いま、付き合っている女の子がいますから」とウソを言って断ったのである。
 しかし、小柳ルミ子や吉永小百合が相手だったら、それは違う。どうなろうとも、人生の一つの思い出になるではないか。残念ながら、私にはそういう“オイシイ話”はなかった(笑)
 
結局、岸井君とルミ子ちゃんのお見合いはうまく行かなかったようだが、こういう話というのは、関係者がいろいろ動き回る。昔は世話好きな人が大勢いて、やれ後援会だ、国会議員だ何だかんだが動き、最後は総理大臣夫人のお出ましになったのではないか。そうなると、記者も取材上の付き合いや人間関係があるから、嫌でも義理で一回会ってみようということになる。これは仕方がない。私も義理で何回も見合いをしたことがある。ただし、若い頃のルミ子ちゃんだったら、私は喜んで応じただろう(笑)
 岸井君の場合はどうだったか知らないが、義理だったら彼も大変だったろう。仲介役が総理大臣夫人では、断るのも出来なかったのでは・・・と推測する。岸井君とは「小沢裁判」で真っ向から対立する見解を持っているが、今日は裁判も政治も経済の話もしたくない。
 テレビで見ていると、彼の白髪や口ひげはなかなか良い。ロマンスグレーかと思う。いろいろな面で岸井君とは考えが違うが、これからも大いに活躍して欲しい。今日は彼の昔話を思い出し、まるで“芸能記者”になった感じで書いてしまった。どうも失礼。差しさわりがあれば公表を止めるが、まあ、40年前の話だから良いだろう。(2011年10月6日)

 

「18歳選挙権」を大歓迎

民主党政権がようやく前向きな施策に一歩踏み出した。これだけは評価したい。つまり、選挙権の年齢を今の「20歳以上」から「18歳以上」へ改正するというのだ。大賛成である。
 選挙権年齢の引き下げについては、法制審議会(法務大臣の諮問機関)がすでに成人年齢の18歳引き下げと共に「適当である」との結論を出している。 ただし、政治がこれまでもたもたして実行しなかっただけだ。野田内閣は公職選挙法改正案などを今国会に提出するという。
 選挙権年齢が18歳に引き下げられれば、成人年齢も当然その方向へ進むだろう。今日の産経新聞の記事によれば、成人年齢を18歳以上にしている国・地域は、世界187のうち141カ国に上るという。つまり、日本は世界の大勢から大きく遅れているのだ。 いわゆる“先進国”の中で「18歳」になっていないのは日本だけで、この点は“後進国”と言っていいだろう。
 それはともかく、選挙権が18歳に引き下げられれば、若年層にはとても良い刺激になるだろう。国の施策が激増する高齢者を中心に展開するだけでは、若者たちは取り残される危険性がある。若者たちの声を政治に反映させなければならない。日本の未来は青少年が築いていくのだ。
 
この件について私はずっと以前から主張してきたが、民主党も共産党も12年前の2000年頃から熱心に提唱していた。しかし、自民党政権は時期尚早だとか言って真面目に取り組んでこなかったのだ。
 今回、ようやく日の目を見ることができ実に嬉しいが、18歳選挙権は単に政治的な意味だけでなく、青少年の意識改革にも良い影響を与えるだろう。 ともすると、甘ったれで“パラサイト・シングル”と呼ばれていた若者たちが、早めに選挙権を得ることで覚醒することは望ましい。今の若者は就職難や低賃金で大変だろうが、どこかのんびりしている。 以前、成人式の日に「成人は22歳に延ばして欲しい」という声を聞いた時は、びっくりすると同時に呆れた。自立心が薄いのだ。
 人生80年の時代だからのんびりするのも分かるが、これを機に少しは自立心を高めて欲しい。もちろん、中にはしっかりした立派な若者も多くいるが。
 18歳選挙権が実現すれば、あとは民法上の成人年齢をいつ18歳にするかである。当然、その方向へ進むだろう。若者が早く大人の意識、成人の意識を持つことは良い。政治的にも社会的にも望ましいことだ。
 民主党政権には消費税増税やTPPなど問題があり過ぎるが、この18歳選挙権を実現すれば少しは見直したい気持である。おっと、それは甘いかな~~(笑) (2012年1月26日) 


 日本人の弱点

日本人は一定の「ルール」の中では、非常に優秀な成績を残す。それは勤勉でありよく努力するからだろう。その点は大いに誇ってよい。
 しかし、ルールを絶対視する傾向があるから、ルールの変更に慣れない面がある。
 ルールとは何か。平たく言えば、国の憲法だったりスポーツ競技の規則(ルール)などだ。
 憲法が現実社会とどんなに矛盾しようとも、それを変えたがらない。むしろその“ルール”に縛られようとする。無理をしてでもそのルールを守ろうとする。つまり、ルールを絶対視するのだ。
 それは日本人の性格だから仕方がないが、あまりにもルールを絶対視すると、とんでもない事態になることも想定すべきだ。
 
スポーツ競技のルールはよく変わる。例えば水泳のバックストローク(背泳)でも、スキーのジャンプ競技でも何でもルールがよく変わる。別に日本が変えようとしているわけではない。いや、日本人はルールに最も忠実な民族だから、自ら変えようなどとは一切しないだろう。
 ルールを変えるのは、もっぱらアメリカやヨーロッパなどの国々だ。日本はそれにいつも振り回されているだけだ。憲法だって敗戦後、アメリカによって大きく変えられた。大日本帝国憲法から現行憲法に大きく変わったのだ。日本人は自国の憲法でさえ、自らの力で変えることが出来ないのだ。そういう民族である。
 
一定のルールの中では、日本人は非常に優秀な成績を残すと言ったが、それには誰も異論がないだろう。しかし、ルールの変更という面では、日本人ほど不得手で苦手な民族はいないと思う。
 与えられたルールを大切にする民族だから、スポーツ競技だろうが憲法だろうが、既存のルール・規則を後生大事に守ろうとする。それも結構だが、先にも言ったように、ルールというのは“永遠”のものではない。しばしばよく変わることがあるのだ。
 ある方のブログで読んだが、「ルールを制する者が勝利する」という言葉を最近知った。ルールを制するというのは、それを改正したり変更する力のことだろう。欧米人にはそういう視点があるが、日本人にはほとんどないのではないか。
 
一定のルールの中では日本人は非常に優秀だが、どこか「木を見て、森を見ない」ところがある。つまり、細かい規則や規準にはとても注意を払うが、全体のことを忘れがちになるのだ。だから、ある日突然「どうなってるの~っ!」と驚くケースがよくある。
 これは外交でも経済でもそうだ。例えば“ニクソン・ショック”がそうだった。ルールがガラリと変わってびっくり仰天してしまうのだ。
 1971年、ニクソン米大統領が中国訪問を発表したら、日本政府は完全に“頭越し外交”をやられ日本中が大騒ぎになった。同じ年、やはりニクソンによって「ドル・ショック」が起こり、1ドル・360円が1ドル・308円へと、ほぼ強制的に円の切り上げを実施させられた。ルールが全く変わってしまったのだ。
 アメリカは平気でルールを変更する。日本はただ振り回されるだけなのだ。つまり「木を見て、森を見ない」ところがあるから、ある日突然、驚いてしまうのである。
 
ニクソン・ショックはやむを得ない面があったが、事ほど左様に、日本人はルールの変更に不慣れで弱いのだ。しかし、ルールというのは人間が作ったものであり、いつ変更されてもおかしくはない。
 ルールを守るのは良い。しかし、それはいつか必ず変わるものだということを、日本人は認識しなければならない。そして、そういった事態を絶えず想定して、いろいろな準備を怠らないことが大切なのだ。
 つまり「木を見て、森を見ない」ということでなく、日本人はもっと“巨視的”な見方を体得すべきである。そうでなければ、いつ外国に裏切られるかもしれない。
 今日は少しえらそうなことを言ってしまったが、日本人の弱点とはそういうことである。日本の電車などの正確な発着時間は、いつも外国人を感嘆させている。それは素晴らしいことだが、それだけでは足りない。
 日本人はもっと巨視的な眼を持とうではないか。(2010年2月10日)


 冤罪

冤罪(えんざい)ほど忌まわしいものはない。これに比べればまだ、吉田松陰やソクラテス、イエス・キリストらが既成の秩序や権威を蔑(ないがし)ろにしたとして、処刑された事の方がよほど話が分かる。冤罪は全くの無実の罪なのだ。
 なぜこんな話をするかというと、たまたまアメリカ映画『ゾラの生涯』(1937年)のDVDを借りてきて見たら、後半が「ドレフュス事件」一色になっていたからだ。
 ドレフュス事件はご存知の方も多いだろうが、19世紀末のフランスを震撼させた一大冤罪事件である。アルフレッド・ドレフュスというユダヤ人のフランス陸軍大尉が対ドイツ“スパイ容疑”で逮捕され、軍法会議で有罪判決を受けて大西洋の彼方に島流しになった事件だ。
 ところが、ドレフュスのスパイ容疑は全く事実無根であったのに(後に真犯人が分かる)、軍部はそれと知りながらも自らの威信と権威を守るために、最後までドレフュス有罪を主張し続けた。
 そこで立ち上がったのが、小説「ナナ」や「居酒屋」の作家エミール・ゾラで、彼は有名な「私は弾劾する」の一文を新聞紙上に載せ、軍部の不正や虚偽を徹底的に糾弾してドレフュスを擁護した。著名な作家の弾劾はドレフュス事件を一躍フランス中に知らしめ、これ以降、フランスは国論を二分する“政治闘争”の場と化してしまった。
 ゾラ自身も裁判にかけられて有罪判決を受け、一時イギリスに亡命するなど辛酸をなめたが、結局、この事件はドレフュスの無実が明らかになり彼は無罪となった。真犯人は、同じ陸軍のエステルアジという軍人だったが、彼もロンドンに逃亡したのである。エステルアジは金欲しさにスパイ活動をしたという。
 
事件の背景にはユダヤ人・ドレフュスに対する偏見と反発があったようだが、これが問題を一層こじらせたと見るべきだろう。軍部当局は証拠類を隠したり、さらに証拠の改ざん・偽造までして自身の権威を守ろうとした。
 日本でも最近、検察当局が証拠類を改ざん・捏造する事件が起きたが、似たようなものである。既成の権威、既存の権力というのは、どんな事をしてでも自らの地位を保とうとする。その気持も分からないではないが、冤罪は駄目だ。許されない。
 起訴されても、有罪が確定するまでは「推定無罪」なのだ。それが原則である。いや、ドレフュスやゾラのように、いったん有罪になっても後で“無実”が判明することがある。だから、起訴されたからといって、その人が罪人になったわけではない。
 日本でもこれまで冤罪事件はけっこうあった。まことに残念である。人間がやることだから過ちは仕方がないかもしれないが、冤罪は少しでも減らしていかなければならない。 今日は「ドレフュス事件」と冤罪について考えてみた。(2011年2月17日)
 

 T社長のこと

今日は雑談になるので前もってお許しを・・・
 つい先日、フジテレビ社長のT君の夢を見た。よく覚えていないが、けっこう長く夢を見ていた。Tの側に2~3人社員がいたように思うが定かでない。 それはともかく、T君は私より7年後輩だが偉くなったものだ。フジテレビで毎週1回アルバイトをしている自分と比べると、まさに“月とスッポン”の差である。彼が社長になるとは夢にも思わなかったが・・・(笑)
 昔、報道にいた頃、Tを誘って銀座の土橋辺りで飲んだことがある。もちろん、こちらのオゴリだ。彼は学生時代にラグビーをやっていたので体育会系に見える。がっちりした体つきだ。風貌はごついが、なかなかの勉強家であった。本もずいぶん読んでいたようだ。
 その時、Tは入社間もなく人事部長と腕ずくの喧嘩をした話などをしていたが、話題は豊富だし面白かった。何かの拍子にトックビル(フランスの政治思想家)の話になった。私はトックビルの名前だけは知っていたが、どういう人物かさっぱり分からない。すると、Tは「矢嶋さんは、トックビルを知らないのですか」と言って、延々と話し始めた。彼の卒論のテーマだったのか? それでトックビルが少しは分かったのだが、なかなかの勉強家である。
 
Tは正義感の強い男で、報道の職場ではよく上司と喧嘩をしていた。上司から「会社に出てくるな!」と言われたこともある。昔、鹿内春雄(当時は副社長)という経営者がいたが、NHKから移籍してきた頼近美津子という美人アナと結婚して話題になった。そうしたら、Tは「会社の“商品”に手を出すとはけしからん!」と怒っていた。正義感が強いのは良いが、ズケズケとものを言うから時々失敗していた。その点は私と同じだが(笑)
 大笑いしたのは、彼が営業に移ってバリバリ仕事をしていた頃、通勤電車内でだらしない若い女性を見かけて注意した話だ。詳しいことは覚えていないが、Tが相当に厳しく注意したからか、その女性は怒って、別れ際にTの頭をバッグで思い切り殴りつけ逃げたというのだ。
 Tはその話を民放連の雑誌に載せていたが、ずいぶん正直な男だと思った。その後、社内で彼とばったり会った時、私は「若い女に殴られるとは・・・」と言って、冷やかしたことがある。とにかく正直と言うか、正義感の強い男である。
 もう一つ思い出した。10年ほど前、私が定年退職になった時、たしか報道が中心となって送別会を開いてくれたことがある。その時、もうほとんど交流がなかったのに、営業の担当重役になっていたT君も出席してくれた。
 それは嬉しかったが、挨拶に立ったTは、私が昔ある女性に想いを寄せていたことを暴露した。列席者は興味深く聞いただろうが、あれには参った。余計なことを言うな! と思った。
 
Tは報道にいた頃は大した仕事をしなかったと思うが、営業に移ってからめきめきと頭角を現わしたようだ。営業に向いていたのか。いつの間にか担当役員になり、アッと言う間に社長に昇格した。私とはえらい違いである。
 送別会で女性話をばらされたから、その仕返し(?)に彼の奥さんのことでも語っておこう。若い頃、新婚ホヤホヤのT君夫妻と地下鉄でばったり出会ったことがある。奥さんとは社内結婚とのことだが、彼女は実に可愛い人でお茶の水女子大卒の才媛だった。見れば見るほど“美女と野獣”という感じがした。
 後でT君に「まるで美女と野獣だな」と言ってやったら、苦笑いをしていた。とにかく面白い男である。こんな話をしても、T君と私は今や社会的地位では“雲泥の差”がある(笑)。
 今日はどうでもいい話をしたが、まあ、フジテレビ関係者なら少しは参考になったのではないか。(2011年5月3日)

 

自衛隊は憲法9条に違反する。ただちに憲法を改正せよ!

1)自衛隊は憲法違反である。
日本国憲法第9条の2項では、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とある。
  自衛隊は仮に「陸海空軍」ではないとしても、「その他の戦力」に該当している。戦車や戦闘機、大砲は勿論のこと、イージス艦や潜水艦、ミサイルなど最新鋭の物凄い戦闘機能を大量に持っているのであるから、明らかに戦力を保持している。これは誰が見ても明白な事実であり、小学生でも分かることだ。よって、自衛隊の存在は憲法に違反する。
 昭和20年代の後半、警察予備隊から保安隊、自衛隊へと拡充していった頃は、自衛隊も極めてお粗末な軍事力しか持っていなかったので、「戦力なき軍隊」と言われ大多数の国民もそう理解していたと思う。 従ってその当時は、自衛隊の存在は憲法9条に抵触するとは思えなかったであろう。
 しかし、あれから約50年たった今日、自衛隊の戦力(戦争を遂行しえる力)は飛躍的に増強され、今や世界でも有数の戦力を保持するまでに至った。 どのような詭弁を弄しようとも、現在の自衛隊は近代戦を遂行できる戦力を保持しており、明らかに憲法9条2項に違反しているのである。

2)自衛隊の廃止か、憲法9条の改正か。
 それならば問題は次に移る。憲法違反の自衛隊を廃止するのか、それとも自衛隊を存続させるために、憲法の方を改正するのかという事である。
  この点については、国民の考えは大きく分かれるものと思う。 護憲の立場から自衛隊を廃止、もしくは改組すべきだという意見と、自衛のための戦力を保持する自衛隊の存在を認めて、憲法の方を改正すべきだという意見に分かれるはずである。
 例えば、2000年5月3日に発表された読売新聞の憲法改正第2次試案では、「戦争や武力の行使は、永久にこれを認めない」としながらも、「自衛のための軍隊を持つことができる」としている。
  勿論、読売新聞の憲法改正試案に反対する人も多くいるであろう。あくまでも現行憲法を擁護したいと思う人達も大勢いるはずである。 絶対平和の精神を高らかに宣言した憲法の意義は、実に大きいものがあり、また貴重なものであると思う。
  しかし、その思いと、憲法9条と自衛隊の存在の矛盾を放っておく事とは別である。
  戦力を保持する自衛隊の存在が、明らかに憲法に違反する以上、それを廃止もしくは改組するのか、今の自衛隊の存続を認めて憲法の方を改正するのか、日本国民はニ者択一を迫られているのである。

3)結論・ただちに憲法改正を!
  日本政府はこれまで、自衛隊は合憲だとか、憲法9条は個別的自衛権を認めているなどと苦しい解釈の答弁を重ねてきたが、憲法のどこに「自衛権」が認められているのか? どこにも認められていないではないか。 はっきりと条文化されていないのは、認められていないことと同じである。
そもそも「自衛権」とは、一般的に「外国からの違法な侵略、侵害に対して、武力を行使しうる国家の権利」と理解されており、国際法上、合法的と認められているものである。
 ところが今の日本国憲法では、第9条1項で「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としている。 つまり、今の憲法では、「自衛権」をも明らかに放棄しているのである。こんな事は小学生の国語理解能力があれば分かることだ。 これまでの政府の解釈は明らかに詭弁であり、ごまかしに過ぎない。 だから「解釈改憲」などと言われるのだ。
 憲法9条における自衛権の解釈を、あれこれ議論するのはやめよう! 解釈はいくらでも成り立つのだ。不毛の議論はやめようではないか。 こじつけやごまかしの議論は、もうやめよう! いつまでたってもラチが明かないではないか。 だから“神学論争”などと言われるのだ。
  今の自衛隊の存在が憲法に違反する以上、また「自衛権」さえ認められていない以上、それではどうしたら良いのか、次のステップの議論をしようではないか。

 憲法違反の自衛隊を廃止するのか、「自衛権」を回復するために憲法の方を改正するのか、ということである。 憲法と現実がこれほどまでに矛盾、乖離を生じてきている以上、我々国民は、もうそろそろ決着をつけなければならない。 憲法の条文を、もっと分かりやすいものにしようではないか。 「あいまいな日本」で50年以上たってきたが、もうこれ以上は「あいまいさ」が許される状況ではない。二者択一が迫られているのである。
 日本は独立国である。これは誰しもが認めるものである。他の国の属国でもないし、保護国でもない。
 独立国であれば、他国の侵略から自国を守るために、自衛のための最小限の武力(戦力)を保持していて、当然である。 これは国際法上からも認められているものである。

それならば、もはや議論の余地はない。自衛のための武力(戦力)の保持さえ認めていない今の憲法をただちに改正して、「自衛力の保持」と「自衛権の行使」を明文化すべきである。 そして、「侵略戦争」は絶対に放棄することを明記すればよいのだ。 その上で、年間5兆円に近い今の自衛隊の予算が多過ぎるのかどうか、もっと少ない予算で効率的な防衛力の整備ができないものかどうか、といった議論を進めるべきである。(2001年12月23日)


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