武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

青春流転(5)

2024年03月25日 04時47分06秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

5)マルクス主義

 敦子がアメリカへ行ってから、行雄は虚脱したような毎日を送っていた。 夏休みも終りに近づき、行雄は不承不承、学校の宿題を片づけるようになったが、その合間をみて向井の家に遊びに行ったり、自転車に乗って荒川べりにくつろぎに出かけたりした。

 土手の草むらに寝転がって青空に浮かぶ雲を見ていると、その中から敦子の白い顔が幻となって現われてくる。 彼女は今頃、もうシカゴに着いているかもしれない。そして、民間の篤志家の家に入って、新しい生活を始めているだろうか。彼女が特訓に励んでいた英会話は、上手くこなしているだろうか・・・

 目を閉じていると、夏草の香りとともに、敦子との甘い交遊の思い出が蘇ってくる。 彼女の暖かく湿った手や、熱く燃えたしなやかな身体の感触が、昨日のことのように行雄の脳裏に思い出されてくる。 彼女はきっと、張りのある幸せな毎日を送っているだろう。 自分も暫く彼女のことは忘れて、何かに打ち込める日々を送りたいものだと思う。

 目を開けると、青空の彼方に無限の宇宙が遠く広がっているのを感じる。 まだ十七歳の自分にも限りない可能性が、この宇宙の広がりと同じようにあるはずだ。虚脱したような毎日の生活に区切りをつけ、自分の青春を何かに燃焼させることができるのなら、自分も敦子に負けないような素晴らしい人生を送れるかもしれない。

 なんでもいい。何かに自分の全身全霊を捧げ、この夏の太陽のように激しく燃えて生きたい。 しかし、そうした人生が自分には可能だろうか・・・いや、つまらない自分だからこそ、そうした燃えるような人生が必要なのだ。 生命の燃焼、そして死なのだ、と行雄は思う。

 雑草が頬にこそばゆく感じられて身体を起こすと、荒川のゆったりとした流れが日に映えて目に染みるようだ。 美しく安らかな自然・・・その中にいると、虫けらのように空ろな毎日を送っている自分も、蘇ってくるように感じられる。 自分というちっぽけな一つの命が、自然の中に生かされているのを感じる。

 誰も何事も、この命を妨げたり破壊することはできないだろう。十七歳の俺はこうして生きている。 行雄は土手の坂に沿って、草むらの中をごろごろと身体を回転させてみた。 そして、立ち上がると再び自転車に乗り、ペダルをぐいぐいと踏んでいった。夕暮れの爽やかな夏の風が頬をかすめていく。土手の一本道を、行雄は全速力で突っ走っていった。

 

 二学期が始まると、秋の学院祭へ向けて、行雄はフランス文学研究会のクラブ活動に熱中するようになった。 仏文研は学院祭で、モリエールの「守銭奴」をフランス語劇で上演することになり、行雄は主役のアルパゴンを演じることになった。

 皆で一つの劇を作り上げていくのは楽しいもので、行雄は来る日も来る日も練習に励んだ。 彼は中学時代から演劇が好きで、これだけは上手くこなせるという自信があった。だから練習にもおのずと熱が入ったが、仏文研の友人や後輩も、そうした行雄を温かく応援してくれた。

 演出役の船津二郎が、欲張りじじいのアルパゴンを印象深く見せるため、“すりこぎ”型の小さな黒い杖を用意してくれた。 その杖をつきながら行雄が演技すると、芸が一段と冴えてくるように見えるから不思議なものだ。

 いよいよ十月の初旬になって、学院祭が大学の大隈講堂で行なわれた。 仏文研の出し物「守銭奴」は、行雄をはじめキャスト全員の熱演で大成功を収めた。フランス語劇だから、大半の学生は意味がよく分からなかったようだが、金と女の間を血迷う欲張りじじい・アルパゴンの醜いユーモアは、それなりに理解されたようだった。

 劇が終ると、行雄は多くの学友から熱演を誉められた。 ふだんクラスメートから離れがちで、うさん臭く見られていた行雄にとっては、これは大きな自信となるものだった。 やれば出来るのだという思いが高まり、大学進学の際は仏文科か演劇科に入ろうという気持になった。

 気を良くしていた彼だったが、唯一不満だったのは敦子から手紙が来ないことであった。 彼女が渡米してから行雄は、三度、四度とシカゴに手紙を出し、自分の生活ぶりを逐一知らせていたが、敦子の方からは無しのつぶてで、国義と久乃宛に簡単な礼状が一通届いただけだった。 両親には手紙を寄こしておいて、どうして自分にはなんの便りもくれないのだろうか。

 敦子は慣れないアメリカできっと忙しいだろうとは思ったが、自分が無視され、馬鹿にされた感じで行雄は極めて不愉快だった。 優等生の彼女に対する、嫉妬の入り交じった怒りが彼の心に充満してきた。 恋い焦がれている女性から冷たくされるほど、癪にさわることはない。ついに行雄は怒りを爆発させた。

 彼は五度目の手紙の中で、敦子のことを「冷血漢」「エゴイスト」「女天狗」などと罵倒し、もう君とは絶交すると書いてしまった。 横浜港で別れる時、多くの人達の歓声と激励の中で、敦子は行雄のことをまるで忘れたかのように陶然としていたではないか。

 そして、腹立たしく見送っていた俺の姿を目にとめると、彼女はまるであざ笑うかのように、顔を天に向けたではないか。 それらのことを思い出すと、行雄は“めまい”がするほど悔しさで胸が一杯になった。絶対に許すものかという気持で一杯になった。 断固とした決別の手紙を敦子に出すと、彼は暫くのあいだ悲壮な興奮に酔っていた。

 

 学院祭が終って数日たった頃、尊敬しているクラス委員の大川勇が、放課後ニコニコ笑いながら行雄に話しかけてきた。「この前の村上君のフランス語劇は、素晴らしかったね。意味はよく分からなかったけど、あんなに力のこもった熱演は見たことがないよ」 大川にそう言われて、行雄は「そんなことはないよ」と謙そんしたが、内心は嬉しかった。

「ところで、大川君は相変わらず全学連の行動に参加してるの?」と行雄が尋ねると、彼は待ってましたと言わんばかりに、「もちろん、参加してるよ。 実は君にもこのパンフを読んで欲しいんだ」と言って、カバンから青い表紙の薄っぺらなパンフレットを取り出し、行雄に手渡した。

「これは、全学連が安保条約改定反対のために発行したパンフだけど、全学連に賛同するかしないかは別として、これを読んでもらえれば有り難いんだがね」 日頃尊敬する大川にそう言われて、行雄はパンフレットを受け取った。

「僕はこれから、高田馬場へ行く用があるので失敬するけど、明日、できたら君の意見を聞かせて欲しいんだ」 大川は微笑んで軽く手を上げて立ち去った。いつもの軽快で颯爽とした立ち居振舞いだった。

 行雄は、オルグされていると思ったが、少しも嫌な感じを受けなかった。 その晩、彼は帰宅すると全学連のパンフレットに目を通した。 日米新安保条約粉砕や岸反動内閣打倒、そして安保反対闘争を通じて、全学連が社会主義革命の突破口を切り開いていくことなど、戦闘的な言辞が至る所に記されていた。

 その中で、行雄が特に惹かれたのは、「いま、われわれ全学連が闘争に立ち上がらなければ、それだけ日本の独占資本は強化され、それだけ日本プロレタリアートの解放は遅れ、それだけ社会主義革命は遠のく」と断定した文章であった。

 その確信に満ちた文章は稲妻のように行雄の心を貫いた。 社会主義とはなにか、また革命とはなにか、プロレタリアートの解放とはなにか? 彼は心の中に、急速に問題意識が浮上してくるのを感じた。 勿論、資本主義に対する社会主義の概念ぐらいは知っていたが、それが、この平和な日本にいま必要なのだろうか? 問題意識が、巨大な雲のようになって行雄の心を覆ってきた。

 あの砂川基地反対闘争や、日教組の勤務評定反対闘争などに、全学連が積極的に参加していったことはよく覚えている。 しかし、全学連の本当の目標は、社会主義革命の達成にあるのだろうか。 社会主義とはなにかなど、行雄はそれらのことを一刻も早く知りたいという衝動に駆られた。

 とにかく早く知りたい。そして、それらが善であり正義であるなら、全学連の運動に全身全霊をなげうちたい。 崇高な正義の闘いに、このちっぽけな命を燃焼させよう。正義のために生き、正義のために死ぬのなら本望だと行雄は思った。 行動への矢も楯もたまらない衝動というのか、それは彼がフランス語劇に熱中し没頭したのと、同じ次元のもののようであった。

 翌日、行雄はパンフレットを大川に返し、授業が終ってから彼と一緒に帰ることになった。 二人はじっくり話し合おうということで、上石神井駅に至るいつもの通学路を帰らず、遠回りをして上井草駅まで歩くことにした。

 いつの間にか秋たけなわといった季節になり、行雄は学生服を着ていても暑いとは感じなかった。 彼が社会主義とはどういうものかと聞くと、大川はマルクス、レーニン、トロツキーなどの言葉を引用して熱心に説明を始めたが、その声は甲高く強く響くものがあった。

「この現実の社会、それは村上君も知っているとおり資本主義社会だ。 私有財産が認められ、一見、全ての自由が保障されているようだが、はたしてそうだろうか。 事実を率直に言わせてもらえば、それは一部の財閥や富豪、資本家だけが生産手段と富の大半を所有し、本当の自由というものは、そういう少数の人間や階層に握られているのだ。

 われわれは彼等をブルジョワジーと呼ぶが、現実の国家というものは、そのブルジョワジーの富や権力、自由を保護し、それらをより強固なものにするために存在しているのだ。 一方これに対して、労働力しか持たず、生産手段や富をほとんど持っていない、非常に多くの労働者階級というものがある。

 われわれはこれをプロレタリアートと呼ぶが、彼等は日々、ブルジョワジーに搾取されながら労働に従事している。搾取とは、要するに利益をしぼり取ることなんだ。 プロレタリアートは、いわばブルジョワジーの鎖につながれており、みずからその鎖を断ち切らなければ、本当の自由を獲得することができないのだ。

 君はあの悲惨な炭鉱労働者や、近江絹糸の女工の痛ましい話しはよく知っているだろう。 あれほど悲惨でなくても、多くの労働者は資本家の貪欲な利潤追求のために、細々とみずからの労働力を売って、その日暮らしの賃金をもらって生活しているに過ぎない。 こうした現実が許されてよいと、誰が思うだろうか。 資本家を除いて、誰もそうは思わないだろう。

 大多数のプロレタリアートが資本家の軛(くびき)から解放され、本当に自由で豊かな生活を獲得したいと思うなら、ブルジョワジーのためにある現在の国家を打倒し、プロレタリアートのための国家を樹立しなければならない。 そのためには革命が必要なのだ!」

 大川はここで一呼吸おくと、行雄の顔をまじまじと見て反応をうかがったが、行雄の方はただ呆然として聞いていたので、表情にはなんの変化もなかった。 大川は更に話しを続けた。

「マルクスは、資本主義社会における歴史の原動力を、プロレタリアートに見い出した。プロレタリアートこそは、明日のより自由な社会を実現させるための担い手なのだ。 そして、一部の資本家に握られている生産手段を国有化し、大多数の労働者、農民のための社会、つまり社会主義社会を実現することが、現代における歴史的な課題と言えるのだ。

 そのために、われわれ学生やインテリゲンチャは、側面から社会主義革命に協力し、それを支援していかなければならない。 いや、むしろわれわれ学生は革命の前衛となって、現在の国家を打倒し、プロレタリアートを解放するために、進んで先頭に立って闘わなければならないと思うんだ」

 大川の説明には、ますます熱が入ってきた。 その細くて小柄な身体から言葉がほとばしり出てくるので、行雄はただ引きずり込まれるように聞き入っていた。

「しかし、社会主義革命を達成した国の中にも、本当にプロレタリアートのためになっていない国があるのだ。 村上君、君は三年前のハンガリー動乱のことを、よく覚えているだろう。 ハンガリーの労働者、学生が真の社会主義社会を目指して立ち上がった時、ソ連はブダペストに戦車を繰り出し、プロレタリアートの正当な要求を武力で弾圧したのだ。

 これが、本当の社会主義国家のやることだろうか。これが、本当の革命的な行為と言えるだろうか。 それは断じて違う! それならどうして、社会主義革命の祖国であるソ連が、このように卑劣な反革命的な行動に出たのだろうか。

 その答えはこういうことだ。 レーニン、トロツキーが指導したロシア十月革命を、権力を手に入れたスターリンがねじ曲げ、裏切ったところに原因があるのだ。 レーニンの死後スターリンは、プロレタリア世界革命を放棄し、ソ連邦という一国だけの社会主義社会の建設に狂奔して、世界革命を裏切った。

 それを阻止できなかったトロツキーらにも責任はあるだろうが、スターリンはひたすらソ連だけの強大化を図り、他の国の革命を見殺しにしてきた。 ドイツやスペインの例が、そのいい見本だ。

 革命の祖国を守ることが唯一の使命だと、コミンテルンを通して誤った理論が幅を利かせたため、いつしかソ連だけが、全ての革命運動が擁護すべき目標となってしまい、その結果、ソ連絶対主義と社会帝国主義国家・ソ連邦の誕生となったわけだ。

 これは明らかに、スターリンの一国社会主義理論の誤りであり、ソ連の名のもとに、他の社会主義国家や革命運動が犠牲にされるという、とんでもない結果をもたらした。 だから、スターリン自身が、ソ連共産党の中で批判されるようになってからも、ソ連の社会帝国主義的な本質は一向に改められず、あのようなハンガリーの悲劇となって現われてくるのだ。

 これからも、第二、第三のハンガリー事件は十分に起こりえると思う。 つまり、ソ連共産党が今になっていくらスターリンを批判しても、彼等の体質は依然としてスターリニストの体質であり、そうである限り、われわれはそうした社会帝国主義とも断固闘わなければならないのだ。 われわれの旗印は簡単に言って、反帝国主義、反スターリニズムということになる。 村上君、どう思う?」

 大川はここでまた一呼吸おくと、行雄の顔色をうかがったが、行雄の方は頭の中に“竜巻”が吹きすさぶような感じがして、なにも答えられなかった。 大川は更に話しを続けていった。

「ところで、わが日本共産党のことだが、これはもはや、日本の社会主義革命の担い手ではなくなっている。 彼等は四年前の六全協決議によって、平和革命の路線を取ったが、これは根本的にマルクス主義とは相容れないものだ。

 もちろん、われわれだって、ブルジョワ民主主義社会における議会の存在価値を、全面的に否定するものではない。 われわれはブルジョワ議会を利用してもいいが、それに埋没し、それによって平和革命を達成しようなどと考えるのは、明らかに幻想でしかない。

 なぜなら、ブルジョワ議会こそ民主主義の名において、現在の社会体制を少しでも長く持続させるために創られたものだからだ。 ところが日本共産党は、みずからの火炎ビン闘争など暴力革命方式が上手くいかないと見るや、六全協でがらりと基本方針を変更し、今度は平和革命の名のもとに、ブルジョワ議会べったりの体制内政党に堕落してしまった。

 そして、“歌ってマルクス、踊ってレーニン”という、マルクスやレーニンが聞いたら恥ずかしくなるような、大衆追随の骨抜き政党に転落してしまったのだ。 もはや彼等には、社会主義革命を完遂していく前衛党としての、自覚もなければ力量もない。 彼等にできるのは、ブルジョワ議会選挙のための票集めぐらいのものだ。

 だからこそ、今やわれわれは、堕落した日本共産党に代って、真に社会主義革命をやり遂げることができる、本当の前衛党を構築していかなければならない。 そのために、革命的な労働者、学生が結集して、新しい地平線を切り開いていかなければならないのだ」

 小柄な大川はここで、行雄の顔を見上げながら話しかけてきた。「村上君。 僕の言ったことは、君に全て分かってもらったとは思わないが、一番肝心なことは、搾取され虐げられているプロレタリアートを解放し、本当に自由で人間的な社会を創り出すことに、君も賛同してくれるかどうかということなんだ。

 もし君が、そういう素晴らしい社会を創り出すために情熱に燃え、理想にまい進するという気持が少しでもあるなら、僕は喜んで君と一緒に行動し、苦楽を分かち合いたいという思いで一杯なんだ」

 大川の熱烈で長い説明が終ると、行雄はこれまでに覚えたことのない感動に襲われていた。 これほど自信に満ちた、またこれほど確固として説得力のある“雄弁”を行雄は聞いたことがなかった。

 それと同時に、今まで漠然としか考えていなかった社会主義というものが、初めて行雄の頭の中に稲光りとなって差し込み、彼はその電気に打たれて身震いする思いだった。 彼は大川から救いの光を与えられたような感じがして、暫くの間、返す言葉がなかった。

 いま、行雄は自分の眼前に、希望に満ちた広い地平線が開かれてきたと思った。 彼は感動に胸を締めつけられながら、「大川君、ありがとう。 僕はもちろん君と一緒に行動したい」と答えた。

 二人はすでに上井草駅付近まで来ていたが、もう少しじっくりと話し合いたいと思い、駅の近くの喫茶店に入った。 社会主義をもっと知りたいという、溢れるような欲望が行雄の心に込み上がっていた。

 大川は勉強の基礎として、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」、「賃労働と資本」「空想から科学への社会主義の発展」や、レーニンの「帝国主義論」「国家と革命」、トロツキーの「裏切られた革命」などをリストアップしてくれて、彼らしく几帳面な注釈を付け加えた。

 現実の学生運動の話しに移ると、大川は「今月三十日に、全学連の安保反対統一行動があるから、君も良かったらデモに参加してはどうか」と誘ってきた。 行雄はデモの経験などはないので即答を避け、暫く考えさせて欲しいと答えておいた。

 二人はそれから、日米安保条約の問題や全学連の運動などについて意見を交わしたが、一時間ほどして喫茶店を出て、帰宅の途についた。 行雄はその途中、高田馬場駅で降りると早速古書店に立ち寄り、大川から教えられた社会主義の文献を、買えるだけ買いあさって帰宅した。

 まず「共産党宣言」から読み始める。 読んでいくうちに、行雄はその書物に吸い込まれていくようだった。凄まじい勢いで読んでいく。 それはまるで、渇ききった砂漠のような心が水分を限りなく吸いつくすように、また飢えた狼が獲物の肉に食らいつくように、メラメラと燃える炎が障子やふすまを焼きつくすような様であった。

 ページをめくるにつれて、行雄の心は大空に解放されていくような爽快な気分になっていた。 そして、最後の文章にくる。「プロレタリアートは革命において、鉄鎖のほかに失うべきものは何も持たない。 彼等は獲得すべき一つの世界を持つ。“万国のプロレタリアートよ、団結せよ!”」

 その結びの文を読んだ時、行雄は大声で「革命を!」と叫びたいような興奮と感動に酔いしれていた。 若き日のマルクスとエンゲルスの情熱が彼の心に“飛び火”したのだ。 俺はやる、俺は立つ、俺は闘うぞ、という気持で彼は一杯になった。

 そして行雄は、今日の大川との話し合いで、十月三十日の全学連統一行動への参加について、慎重な答え方をした自分が恥ずかしく思われた。 俺は必ずデモに参加する、必ずやると、心の中で固く誓ったのである。


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