武弘・Takehiroの部屋

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「角さんは天才、福田は秀才」

2024年03月18日 04時21分15秒 | 政治・外交・防衛

<以下の記事は2013年12月に書いたものですが、そのまま復刻します。>

      田中角栄元首相

福田赳夫元首相

田中角栄元首相が亡くなって今月でちょうど20年だそうだが、ふと、昔のことを思い出した。もう40年以上も前だが、当時、私は某テレビ局の政治記者をしていた。そして、福田赳夫氏(元首相)がリーダーである清和会(自民党福田派)を担当していたが、ある晩、福田邸へ取材に行った。
たまたまその晩は福田さんと2人きりになって話したが、彼は御手洗辰雄氏の話として、「角さんは天才、福田は秀才」というのを紹介した。御手洗氏というのはその頃 有名な政治評論家で、角さんというのはもちろん田中角栄氏(当時の首相)のことである。話のトーンとしては、しょせん秀才は天才に勝てないというものだが、自民党総裁選で田中に負けた福田はやや自嘲気味に、角さんには勝てないというニュアンスで語ったのである。2人の争いを、当時は「角福戦争」と呼んだ。
田中角栄が“天才的”であったことは間違いない。戦後の政治家の中で最も傑出した人物ではなかったろうか。もちろん、吉田茂をはじめ多くの有能な政治家はいた。しかし、好き嫌いや善し悪しは別にして、田中の右に出る人物はいなかったと思う。
ここで田中の功績を詳しく語る時間はないが、福田との比較で簡単に述べたいと思う。田中首相当時の最大の功績と言えば、今は関係悪化で緊張している中国との国交正常化だろう。当時は対中関係が最大の政治課題だった。
1971年、アメリカのキッシンジャー特使は極秘に中国を訪問し、米中和解の道筋をつけて世界中をアッと言わせた。日本は完全に“頭越し”にされたのである。このため、1972年に首相に就任した田中は、今度はアメリカより早く日中国交回復を実現した。まことに電光石火の早業である。
当時、逆に日本に先を越されたキッシンジャーは歯ぎしりして口惜しがったという。(キッシンジャーはこの時口惜しがって、「ジャップ、ジャップ!」と叫んだそうだ。米中の国交正常化は1979年1月になる。) この結果、田中はアメリカに“要注意人物”とにらまれ、後のロッキード事件発覚へと結びついていく。
この頃、福田は“親台湾派”ということで、日中関係正常化を冷ややかに傍観していたようだ。当時、田中は“日本列島改造論”をぶち上げ、得意の絶頂にあった。「決断と実行」が彼のキャッチフレーズであり、マスコミは田中を今太閤(いまたいこう)とか“コンピュータ付きブルドーザー”“人寄せパンダ”などと持ち上げた。人気に乗じた田中は翌1973年、当時としては大胆な小選挙区制を導入しようとした。
善し悪しは別にしてこの時、田中は日本全国の区割りを自ら手がけたという。東京・目白の私邸に籠もって「区割り」に熱中したというのだ。これには驚いた。いくら選挙が好きとはいえ、そこまでする総理大臣はいないだろう。まさに天才的だったのである。結局、小選挙区制導入法案は、野党の猛反対で提出を断念せざるを得なかった。幻の小選挙区制法案を、世間はゲリマンダーになぞらえて“カクマンダー”と呼んだものだ。

田中が天才的だったのは、他にもいろいろな話がある。金の使い方が絶妙だったとか、卑近な例では「歌詞」を一度覚えると忘れなかったとか枚挙にいとまがない。それらをいちいち紹介する時間はないが、得意の“金”が災いして「金脈問題」で退陣に追い込まれたのは、なんとも皮肉だった。
この後、田中は復権を図って政界に隠然たる勢力を維持した。世間は彼を“闇将軍”などと呼んだが、結局、ロッキード事件の有罪判決が災いして、表舞台に返り咲くことはできなかったのである。そういう意味では最後は悲劇の政治家だった。しかし、歴史を見ると、天才や天才型の指導者はおおむね悲劇的な最期をとげている。
織田信長や吉田松陰、坂本龍馬らは天才型だったが、最後は暗殺や刑死で命を落とした。こうして見ると、天才は明らかに世の中を動かす人が多い。しかし、秀才はどうだろうか。秀才は能力では天才に及ばなくても、世の中を管理したり支配する者が多い。高級官僚やエリート官僚は正にその典型だ。専門学校出身だが天才的な田中角栄と、東大出身のエリート大蔵官僚だった福田赳夫を比べると、ますますその感を強くするものだ。「角さんは天才、福田は秀才」は当たっていると思う。(2013年12月某日)


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2 コメント

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Unknown (雨の日は)
2013-12-20 11:10:43
こんにちは

田中氏が総理になった時、とても期待しました!
私も同感な部分もありますし、あの時代、あのような政治家がいなかったら今の日本が違っていたのかも、と想ったりしています。
それにしても、政治とはお金が…今だになのですね!うまくことばがでてきませんが・・・
田中角栄首相 (矢嶋武弘)
2013-12-21 13:08:26
雨の日はさん、角さんが総理になった時は、一種のブームが起きましたね。日中国交正常化と日本列島改造論です。
日中関係は上手くいきましたが、列島改造は大変な狂乱物価を生みました。功罪半ばです。
政治と金の問題も起きました。いろいろな面でその後の政治に大きな影響を与えましたが、ああいう人物はもう二度と現れないと思っています。
そういう意味で、忘れられない政治家でしょう。

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