リノール酸が必須脂肪酸になった歴史

ジョージ・バーは、リノール酸を必須脂肪酸と特定し、「必須脂肪酸」というフレーズを作り出しました。この当時、脂肪は単なるカロリー源でしかないと思われていたのです。しかし、完全に脂肪を抜くと、ラットは鱗屑の皮膚炎を発症しそのまま続けると体重が減少し死んでしまいます。各種ビタミンを与えても欠乏症はよくならなかったのですが、わずか数滴のラードを与えると治ってしまいました。

くるみ

リノール酸は必須脂肪酸の一つとして知られていますが、いつからリノール酸が必須脂肪酸であることがわかったのでしょう?その発見の歴史について調べました。

いつ必須脂肪酸が発見されたのだろう?

リノール酸を念入りに検索していくと、リノール酸の栄養という素晴らしい論文が見つかりました。その冒頭はこのように始まります。

Burrらによって油脂というものは単なるカロリー源ではなく,必須脂肪酸という特殊栄養素を含むものであることが知られてから,油脂の栄養ということが注目されている。

George and Mildred Burrが発見者らしい

どうやらBurrという人が必須脂肪酸を発見したようです。次はBurrで念入りに検索すると、養魚飼料における脂質の役割にかんする研究という論文が出て来ました。

哺乳動物にたいするビタミン F(必須脂肪酸以下単にFと記す)は Burr 1)がシロネズミにおける欠乏症を見出してからリノール酸,リノレン酸およびアラキドン酸がF欠乏症の予防および治療に有効であるとされている.

今度は、Burr 1)と人名に番号がついていたので、文献番号を見ると、1) Burr,G.:J.Biol,Chem ,82,345(1929)とあり、これで検索すると、ようやく文献にたどり着きました。 Journal of Biological Chemistryに記事がありました。

Essential Fatty Acids: The Work of George and Mildred Burr

Essential Fatty Acids: The Work of George and Mildred Burr
A New Deficiency Disease Produced by the Rigid Exclusion of Fat from the Diet (Burr, G. O., and Burr, M. M. (1929) J. Biol. Chem. 82, )On the Nature and Role of...

今はグーグル翻訳がかなりいい線まで翻訳してくれるので助かります。それでだいたい分かりました。

必須脂肪酸は1930年に発見された

この雑誌記事は、ちょっとした物語風になっています。その中から特に重要なところを抜いていきます。英語が得意な方は、直接、Journal of Biological Chemistryの記事を読んだ方がよいでしょう。

1900年代初頭、食物脂肪は単に炭水化物と交換可能なカロリー源とみなされましたが、1929年と1930年には夫と妻のチームがJournal of Biological Chemistryに2つの論文を発表しました。

ジョージとミルドレ・バー(George and Mildred Burr)は、特別な食事を与えたラットを注意深く分析し、脂肪酸が健康にとって重要であることを発見しました。 食事中に脂肪酸が欠けていると、しばしば死に至る欠乏症候群が続きました。 バー夫妻はリノール酸を必須脂肪酸と特定し、「必須脂肪酸」というフレーズを作り出しました。

1930年にリノール酸が必須脂肪酸だと発表されたそうです。この記事では、α-リノレン酸は出てきませんでした。

ビタミンEの研究に加わった

話はGeorge BurrがビタミンEの研究に加わったことから始まります。

1924年、ミネソタ大学からなりたてほやほや生化学の博士として、28歳のバーは、カリフォルニア大学バークレー校のハーバート・エバンスのスタッフになりました。

エバンスは、2年前にキャサリン・スコット・ビショップと共にビタミンEを発見したので、すでに有名になっていました。 バーは研究仲間として研究室に加わり、ビタミンの化学的性質を解明することを任されました。

彼らは、ビタミンEが不足している餌での試験のための対照として不妊の雌ラットを作製しようとしていたが、何らかの理由でラットが常に不妊になるとは限らなかった。

この最後の一文が分かりにくかったです。多分こういうことだと思います。

それまでの実験からビタミンEが不足すると、雌ラットは不妊になることが分かっていました。

それで、何か別(この内容は分かりません)の餌を与えたラットのグループが不妊になるかどうか調べる実験をしようとしました。こちらは実験群と呼ばれます。

そして、もう一つ、明らかに不妊になることが分かっているビタミンEが不足しているラットのグループを対照群として設定したのです。

実験群には、対照群に与えた餌+αで構成された餌を与えたのだと思います。

しかし、本来、ビタミンEが不足している餌を与えるとラットが不妊になる結果を期待されている対照群が、いつも不妊になるわけでないことが判明しました。

ビタミンEは脂溶性で油(脂肪)に溶けます。ビタミンEを欠乏させても、どうやら餌の中にある脂質にビタミンEが溶けこんでいるようでした。

高度に精製された餌を与える

余分なものを混入させないためには、精製され不純物を除去した単純なものを組み合わせた餌を与えればよいのです。

ビタミンEを含む脂質成分が、餌の中に潜んでいるようでした。

細部を明らかにするために、ジョージ・バーは、高度に精製された単純な餌をラットのグループに与えました。

餌は、スクロースとカゼインで構成されています。どちらも製造者から受け取った後、彼と彼の同僚は何らかの形で結果に影響を与える可能性のある微量成分がないことを確認しました。

スクロースはショ糖(砂糖)。カゼインは、牛乳やチーズなどにふくまれるリンタンパクの一種です。

彼らは、高度に精製した塩やビタミンなどの成分をスクロースとカゼインに加え、ラットに混餌を与えました。

「しばらくの間、私たちはこれらの若い動物に極端に欠乏したものを与えていました」とBurrは1980年の演説で述べました。 「私たちは最初の脂肪欠乏実験を行い、それに気づいていませんでした」

研究者は文献を検索して、どこが間違っていたのか把握しました。

彼らはすべての既知のビタミンサプリメントをシンプルな餌に加えましたが、ラットはまだ欠乏症状を示していました。

バーは、1980年のスピーチで、当時の栄養の専門家は、脂肪は完全な餌に必要ではないと主張したと語りました。

この当時、脂肪は単なるカロリー源でしかないと思われていたので、ショ糖(砂糖)で十分だと思われていたのです。脂肪は抜かれていました。

脂肪を欠乏させるとどんな欠乏症状がでてくるか、ここには書かれていませんでしたが、後で出てきます。

ところが、ここでジョージ・バーはカリフォルニア大学バークレー校からミネソタ大学に移ることになります。また、この時、結婚します。

ミネソタ大学に移るが研究は続行

彼は病気のラットで何が起こっていたのか理解しようとしたが、ミネソタ大学の新しい植物学科に参加するという提案を受け入れた。

この時点で、彼はエバンス研究所のストックラットコロニーを担当していたMildred(ローソンの姓)という技術者と結婚しました。

妻となるミルドレッドはストックラットコロニーを担当すると書かれていましたが、実験に使うラットの管理者という意味だと思います。

二人はミネソタにもラットを持ち込み、ラットを使った実験は以後も継続します。

脂肪を餌から数か月除去すると鱗屑の皮膚炎を発症する

餌から厳密に脂肪を除去すると、欠乏症状が現れるようになります。ラインマーカーを引いておきました。

バーは、この栄養に関係した症候群を解明するために進歩があるとしたら、単純な餌から脂肪をより厳密に除外しなければならないと考え、可能な限り欠乏の症状を定量化しなければならないと感じました。

このようにして、彼らは単純な餌に入れた添加物の相対的な治療特性を後で測定することができます。

1929年のJBCの論文では、バー夫妻は新しい栄養不足を詳細に記述しました。数ヶ月間脂肪を餌から除去したが、餌の量は変化しなかったが、ラットは鱗屑の皮膚炎を発症した。

彼らの尾は炎症を起こし、すぐに鱗で隆起した後足が赤くなり、時折腫脹した。背中の毛皮はフケだらけになった。動物は顔や喉の周りの毛皮を失い、傷口が現れました。

無脂肪食を続けると、動物は体重が減り始め、体重が減ってから3〜4カ月以内に死亡した。彼らが剖検されたとき、腎臓と尿路には重大な傷害の徴候があったことがわかった。

バー夫妻は、追加されたビタミンは、動物が症候群から回復するのを助けなかったが、少量のラードを加えることで、わずか3滴で動物が回復するのに十分であることを示した。

脂肪をまったくとらないと皮膚はポロポロと鱗屑が出て炎症を起こす。そして、それを続けていると体重が減って死んでしまう・・・。

ビタミンは役に立たなかったけど、少量のラードで回復したというのが印象に残りますね。

この段階で、バー夫妻は、数ヶ月にわたる脂肪飢餓だけが、ラットの病気を引き起こし、最終的に死に至ったと結論づけることができた。彼らは、ラットが脂肪を内部的に合成しなければならないことや餌から脂肪がなくなったために死んだかどうかは分かりませんでした。

翌年に登場した2番目の論文は、疑問を解決しました。バー夫妻はリノール酸が健康を支えるのにほんの少量で必要とされる必須脂肪酸であることを示しました。アナーバーにあるミシガン大学のウィリアム・スミスは、彼らの研究は不可欠な栄養素として「多価不飽和脂肪酸の同定を導いた」と説明しています。

バー夫妻は、脂肪を奪われたラットは、ステアリン酸、パルミチン酸、ラウリン酸などの飽和脂肪酸では治癒できないことを立証しました。しかし、ラットがオリーブ油、ラード、またはアマニ油のような供給源からリノール酸を与えられた場合、ラットは治癒しました。

バー夫妻は、トウモロコシやタラ肝油のような複雑な不飽和油が単一の脂肪酸やリン脂質よりも動物の治癒に優れていることを示しました。薄層クロマトグラフィー、分光法、自動分画法などの一般的な分析技術の時代に先立って、脂肪の成分を分析するために物理的および化学的分離手段を使用しなければなりませんでした。

2番目の論文で、脂肪の中のリノール酸が必須脂肪酸であることが明らかにされました。

今ではよく知られているように、必須脂肪酸はリノール酸だけではありません。また、リノール酸もオメガ3のα-リノレン酸も、体内で炭素を2個ずつ加えながら二重結合の数も増やして、アラキドン酸やDHAなどよく知られた脂肪酸に変化していきます。

しかし、リノール酸こそが唯一の必須脂肪酸だと考える極端な人もいたようです。

栄養士はリノール酸が唯一の必須脂肪酸であると信じていました。 「リノール酸は、1990年代に入っても、長い間、必須の脂肪酸であるという考え方がありました」とセーラムはいいます。

彼は、その考えがとても広く蔓延していたので、リノール酸が幼児用調合乳に添加する必要がある唯一の脂肪酸である考えられたと付け加えている。

1990年代半ばには、世界保健機関(WHO)は、乳児用調合乳は、他の長鎖多価不飽和脂肪酸を含むヒト乳のような脂肪酸分布をより持つべきであると述べた。例えばオメガ3やオメガ6脂肪酸であるDHAやアラキドン酸などとセーラムが話しています。

きっと、リノール酸を加えただけで欠乏症が消えてしまうことに相当なインパクトがあったのでしょう。

最後に、ジョージ・バーは長寿な人だったようです。

ミルドレッド バーは1962年に亡くなりました。その後、ジョージ・バーの経歴が彼をハワイと台湾に連れて行き、そこで農作物の光合成に取り組みました。 バーは、サトウキビがC4炭素固定を使用したことを最初に発見しました。彼は1990年に亡くなりました。

NOTE

リノール酸が必須脂肪酸であると分かったのは、1930年のことです。

ビタミンEを欠乏させて不妊の雌ラットをつくろうとしたら、餌に含まれていた脂質にビタミンEが溶けこみ、思うように不妊のラットをつくれなかったのがきっかけです。

ジョージ・バーは、餌を高度に精製して単純な組み合わせにしましたが、脂肪を抜いていたため欠乏症が起きました。

完全に脂肪を抜くと、鱗屑の皮膚炎を発症しそのまま続けると体重が減少し死んでしまいます。各種ビタミンを与えても欠乏症はよくならなかったのですが、わずか数滴のラードを与えると治ってしまいました。

その後、飽和脂肪酸ではなく多価不飽和脂肪酸のリノール酸がこの症状を治すことが分かり、必須脂肪酸であることが分かりました。

それにしても、リノール酸が必須脂肪酸であると発見されたことは相当インパクトがある出来事だったように感じます。

また、この他のリノール酸についての記事は、リノール酸についてをお読み下さい。

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