天使のシンフォニー 瑛怜菜(エレナ)です。
前の記事の続きです
青森県にある「キリストの墓」。
「ゴルゴダの丘で処刑されたはずのキリストは、
実は秘かに日本に渡り、
この村に住み106歳の天寿を全うしていた」
茨城県の磯原町(現北茨城市)の皇祖皇太神宮の竹内巨麿氏らが、
「竹内古文書」の説明にこの村を訪れ、
現在のキリストの墓が発見されたのは、
昭和10年のこと。
向かって右側がキリストの墓「十来塚」
日本名を「十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)」と言われたことから「十来塚(とらいづか)」。
左側に弟のイスキリの墓「十代墓(じゅうだいぼ)」
キリストの身代わりになって十字架にかけられた弟のイスキリの耳と、聖母マリアの頭髪が葬られているそうです。
イスラエルから友好のために寄贈された記念石(白い部分)。
隣接している「キリストの里伝承館」では、
キリスト伝説の資料を見ることが出来ます。
「竹内文書」は、
竹内宿禰(すくね)の子孫 竹内巨麿(きよまろ)が公開した古文書。
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「竹内文書」は6世紀頃、
武烈天皇の命により長年秘密裏に保管され、
天津教の教祖・竹内巨麿(1874~1965)によって公開された秘伝の歴史書と言われています。
竹内文書を解読した竹内巨麿が
キリストの墓を発見したのがこの新郷村。
聖書にはキリストの21歳~33歳までの12年間の行動が記されていません。
キリストの遺言書によると、
その間キリストは越中の国にいた尊き人の弟子となり、
33歳で帰郷。
ユダヤ、サマリア、ガリラヤで布教活動をしました。
ゴルゴダの丘で処刑されたのは、
キリストではなく
弟のイスキリ。
キリストは弟子と日本に逃れ、
青森県八戸港に上陸。
「十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)」
と名を改めました。
のちに地元の女性と結婚し、
三女をもうけ、
106歳の天寿を全うしてこの地に葬られました。
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オカルトファンは、
是非行かれてみてくださいね
つづく。