さて続きだ。
とは言え、読書感想文では無いことをここに改めて書いておく。

ここ最近(二年くらい)俺の頭を悩ませているのは、なぜ親中派や親韓派がいるのだろうかという疑問だ。
どんな理不尽なことをされても、なぜか媚びへつらい同調しようとする。
俺からすればそれは全く理解できない。(日中友好や日韓友好以外の選択肢が存在していないように見える)
最低限、嫌な連中がいれば出来るだけ距離を開けて、関わらないようにする。
それが普通の人間の選択と行動だと思うのだが、なぜか親中派や親韓派はべったりと張り付いてゆこうとする。
家庭内暴力に合いながら、現実を変える努力をしない人間と同じ様な心理状況なのかもしれないが、俺には全く理解できない。

と、書いてみた物の、多分俺の認識は間違っているのだろう。
彼らは親しいのでは無く、愛しているのだろうと言う仮説を立ててみた。
理屈も無く過程も切っ掛けも無く、そこに愛だけが存在している。
現実さえ無く、もしかしたら自分が惨殺される時でさえ悦楽に浸ってしまうかもしれない。(想像しただけで恐ろしい精神状態だ)
だからこそ、何が有っても中人国や韓国の方が日本よりも大事なのだろう。

実は同じ事が官僚にも言えるのでは無いだろうかとも考えている。
彼らの頭の中には、自分が所属する官庁は有っても日本は存在していないのでは無いだろうか?
いや、俺を含めた日本人の中に、日本という国は存在しているのだろうか?
海という防壁に守られて、大東亜戦争の敗戦の際に占領されただけの、安全が過ぎたこの国は、あまりにも自然にありすぎたのかもしれないとも考えた。
ありえす気がする。

さて最後に。

この本を読んでいて多くのことで同意できた。
ただ一つ気になることがあった。
それは、著者が歴史の転換点には傑出した人物が現れるのが日本だと書いているところだ。
今までの歴史を振り返れば、確かにそれは正しいと思う。(ある意味神風的な思考なのでは無いかと危惧しているところだ)
とは言え、大東亜戦争の前あたりから、傑出した人物が主導権を握ることがなくなったように思う。
今の世の中、あるいは社会、もしくは世界は、構造的に機能的に傑出した人物が主導権を握ることが難しくなっているのでは無いだろうか?
だからこそ、世界中の政治が混乱気味なのでは無いだろうかと考えてみている。
この俺の認識、あるいは見識は正しいのだろうか?
とても疑問だ。

さて蛇足だ。

親中派や親韓派、あるいは官僚の中には日本が無いと俺は考えている。
では、彼らの中に日本という国を据え付けるためにはどうしたら良いだろうか?
いや、今の彼ら自身の中に据え付けることはもはや不可能だろう。
では、彼らの後継者には?
それならば、教育をなんとかすれば可能では無いだろうかと考える。
しかもこの教育は、学校で行うものでは無い。
民間、あるいは家庭、もしくは自分で行う教育だ。
具体的に書こう。
何よりも、携帯端末の通信速度を第一世代あたりまで戻すことが有効では無いだろうか?
これにより、多機能携帯電話で遊んでいる連中が新聞や本を読むようになるのでは無いかと考えている。(漫画でもかまわない)
だがしかし、これはもう時代に逆行する政策であり、誰からの支持も得られないだろう。
ではほかに何か方法があるのだろうか?
誰か教えて欲しい。


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