*科学するほど人間理解から遠ざかる第31回
快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであるといったふうに快さや苦しさを的確に理解することは西洋学問にはできないとのことでした。
では、快さや苦しさを西洋学問ではどういったものと誤解するのか。
いろんな誤解の仕方があるのでしょうけれども、ここではそのうちからふたつ見ることにし、いまそのふたつ目を、理化学研究所脳科学総合研究センター編『脳科学の教科書(こころ編)』岩波ジュニア新書、2013年、のもとに確認しているところです。
つぎの4を見ている途中でした。
- 情動(何度も申しますように、科学は感情を情動とよびます)が、行動まえのウォーミングアップと説明されていること。
- 行動が、好物への接近行動と、敵からの逃避行動に二分されていること。
- 快さ(快情動)が、好物への接近行動まえのウォーミングアップ、苦しさ(不快情動)が、敵からの逃避行動まえのウォーミングアップとそれぞれ説明されていること。
- それら、好物への接近行動まえのウォーミングアップと、敵からの逃避行動まえのウォーミングアップとがそれぞれ、脳のなかの特定の一点によって引き起こされるものと説明されていること。
- 「脳によって身体機械がどのようなウォーミングアップをさせられているかを知らせる情報」が、電気信号のかたちで「身体機械」各所から発したあと、神経をへて脳に行き、そこで「身体の感覚(部分)」に変換され、それが、好物への接近行動まえのウォーミングアップについての情報なら、快さの「感じ」という分類のなかに入れられるいっぽう、敵からの逃避行動まえのウォーミングアップについての情報なら、苦しさの「感じ」という分類のなかに入れられると説明されていること。
前記4のうち、苦しさのほうは見終わりました。つぎに、快さのほうを見ます。現代科学のもとでは、快さ(快情動)は、好物への接近行動まえのウォーミングアップと解される(前記3)とのことでしたけれども、その好物への接近行動まえのウォーミングアップが、脳のなかの特定の一点によって引き起こされるものと説明されているのを確認します。ゴシック体の部分にご注目ください。
基本的な情動神経回路2(接近行動と側坐核)
では、これまでとは反対に、好ましく心地よい「快情動」はどのように生みだされ、どのような神経回路によってコントロールされているのでしょうか? それには、これまでに知られていた扁桃体を中心とするシステムとはべつの、しかしそれと密接な関係をもった、「報酬系」とよばれる脳内神経メカニズムがかかわっていることが、最近になってだいぶくわしくわかってきました。つまり、快い好ましいことに対応する行動に対して、近接行動が引きおこされると、それを強化するようなメカニズムが動員されると同時にポジティブな情動がわきおこって、その行動を維持し増大されるのです。
この報酬系の中心的役割を担うのは、腹側被蓋野とよばれる中脳の部位から、大脳腹側の深部に位置する側坐核にいたる神経経路で(略)この側坐核は、快情動にかんして、さきに説明した不快情動にかかわる神経メカニズムのなかでの扁桃体と対をなす位置に対応し、大脳皮質、海馬の記憶や、視床下部でのいろいろな情動反応の発生メカニズムと協力して、さまざまなポジティブな情動反応を引きおこし、さらにそれを強化するはたらきをしています。
たとえば、動物実験では「自己刺激」といって、脳のこの部位に刺激電極を埋めこんでおいて、動物がみずからレバーやボタンなどのスイッチを押すと、そこに電気刺激が与えられるような装置をつなぎます。そうすると、その動物は(おそらく)気持ちがよくて、エサも食べずにずっと刺激しつづける、という現象が見られます。また、麻薬などの薬物におぼれたような場合には、この部位が異常に活動しているらしいこともわかってきています*1。
快さ(快情動)が、脳のなかの特定の一点によって「身体機械」に引き起こされる、好物への接近行動まえのウォーミングアップと説明されているのをご確認いただきました。
最後に前記5を見て、お別れします。つぎの引用文には、「情動反応」と「感情」というふたつが登場します。前者「情動反応」は、いままで見てきた快情動と不快情動とを合わせたもののことで、脳が「身体機械」にさせる、好物への接近行動まえ、もしくは敵からの逃避行動まえのウォーミングアップのことを指します。いっぽう、後者の「感情」というのは、快さもしくは苦しさの「感じ」を指すものであるとお考えください(快さには、快情動のほかに、快さの「感じ」があり、苦しさには不快情動のほかに、苦しさの「感じ」があるということになります)。ゴシック体の部分にご注目ください。
このような情動反応が引きおこされると、それにともなってわたしたちのこころのうちにはいわゆる「感情」がわきおこります。基本的な感情である喜怒哀楽のうち、大きくは忌避反応にともなっては「努」や「哀」、接近反応に対応しては「喜」や「楽」を感じます。これにはどのようなメカニズムがかかわっているのでしょうか?(略)
では、人間はどのように、自分自身のからだにおこっている情動反応をモニターし、認識しているのでしょうか?
このメカニズムについてはまだ確定的なことはわかっていませんが、「ソマティック・マーカー」という仮説は、これをうまく説明できるとされているものの一つです。「ソマティック」というのは「からだの」という意味で、ここでは情動反応にともなって引きおこされるからだや内臓系の状態やその変化を「ソマティック反応」とよびます。心臓がドキドキする、胸がしめつけられる、口がかわく、はらわたが煮えくりかえる、頭に血がのぼる、顔をまっ赤になる、胸がおどる、腹がすわる、怒髪天をつく、などのことです。(略)
その一方で、さきにも触れたように、情動情報は大脳皮質にも送られて記憶と照合され、分析されます。とくに前頭葉腹内側部は、外的な刺激の客観的性質とされにともなって自己にわきおこる情動を連合する場所と考えられています。この連合によって、大脳皮質は、ソマティックな情動反応に、それが引きおこされた文脈と照合しつつ、「善・快」あるいは「悪・不快」という価値を与えて、マークすることになるわけです*2。
以上、「脳によって身体機械にどのようなウォーミングアップが引き起こされているかを知らせる情報」が、電気信号のかたちで「身体機械」各所から発したあと、神経をへて脳に送られ、そこで、それが、好物への接近行動まえのウォーミングアップについての情報なら、快さの「感じ」という分類のなかに入れられるいっぽう、敵からの逃避行動まえのウォーミングアップについての情報なら、苦しさの「感じ」という分類のなかに入れられるといったふうに、現代科学が説明しているのをご確認いただきました。
理化学研究所、脳科学総合研究センター編『脳科学の教科書(こころ編)』岩波ジュニア新書、2013年、をもちいて見てきましたように、現代科学は、快さや苦しさをまったく訳の分からない奇っ怪なものに変えてしまいます。そんなふうに解したのでは、快さや苦しさはまともには理解できなくなってしまうのではないかと俺が疑義を呈しましても、みなさん納得してくださるのではないでしょうか。
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