*「科学」を定義する第3回
目次
・科学の原点
・存在のすり替え
・関係のすり替え
◆科学の原点
「科学的であれ」と他人を鼓舞したり、「××は非科学的だ」と非難したりするとき、ひとは何を指して「科学」と言っているのでしょうね。
イマイチはっきりしないと思いません? 皮肉なことに、そう言っているひとたちが、「科学」と「非科学」の区別を、勘に頼って付けているような気すらしませんか。
みなさんなら科学をどう定義します?
俺はこう定義してみてはどうかと思いますよ。みなさんがいま眼前のテーブル上にあるあんパンを見ているとしますね。みなさんが見ているそのあんパンの姿は、みなさんの眼前数十センチメートルのところにありますね? にもかかわらず、そのあんパンの姿を、みなさんの心のなかにある映像にすぎないことにするものこそが科学である、って。
科学は実際そう説明しますよね? 脳科学の本でも開ければ、当たりまえのようにそう説いているのに出くわしますよね?
「見るとは外界のイメージを脳(心)のなかに形作ることだ」みたいに書いてありますね?
みなさんが現に見ているあんパンの姿をそのように、みなさんの心のなかにある映像にすぎないことにしたあと、科学はその流れにしたがって、存在、関係、身体、健康・病気、医学の使命、といったありとあらゆるものを、実際とは別の何かにすり替えていきます。
みなさんが現に見ているあんパンの姿を、みなさんの心のなかにある映像にすぎないことにしたのをキッキケに、科学はそうして科学独自の世界観を作り上げていきます。
なら、科学独自の世界観が形作られることなるそのキッカケに着目して、先ほどのように、みなさんが現に見ているあんパンの姿を、みなさんの心のなかにある映像にすぎないことにするものこそが科学であると、科学を定義づけるのは極めて有効ということになるのではないでしょうか。
さあでは、いまからちょっと見てみることにしましょうか。科学が、存在、関係、身体、健康・病気、医学の使命、をことごとく、実際とは別のものにすり替えていく、その流れるような顛末を、いま言いましたキッカケから、ね?
まずは、科学が「存在」と「関係」をそれぞれ、実際とは別のものにすり替える次第を確認していきますよ。
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