*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.8
では、いまから最後にこの①から③までをひとつずつ吟味してみますね。
まず①(現実)を見てくれますか。この男性患者さんのように、誰かに責められたあと、他のひとたちにも内心悪く思われているのではないかとしきりに気になってくるようなことって、多かれ少なかれ、誰しもあることではありませんか。そんなに珍しいことではありませんよね? むしろ、そうした感じ方をするこの男性患者さんにいま、みなさんは、「わかる、自分もそういうこと、よくあるよ!」と共感したのではありませんか。
今度は、②(現実と背反している自信)と③(現実修正解釈)を一緒に見てみましょうか。
さっき、こう推測しました。男性患者さんは、「自信」と「現実」とが背反するに至った場面で、その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する手(B)をとったのではないか、って。どうですか、みなさん。そんなふうに現実修正解釈をするひと、みなさんの周りにもたくさん見つかりませんか。
たとえば、仕事で失敗をしたという「現実」を、自分が仕事で失敗をするはずはないとする「自信」に合うよう修正し、「部下に足を引っ張られた」ということにしてしまったりするひと、身近にいませんか。もしくは、ひととうまく接することができている(現実)のに、自分がひととうまく接することができているはずはないとする「自信」に合うよう現実を修正し、「みんなが我慢して私に合わせてくれている」ということにして、申し訳なさに苛まれているようなひと、みなさんの近くに見かけませんか。
またみなさん自身もふだん、現実修正解釈をすること、ありません? 俺はありますよ。ふり返ってみると、知らず知らずのうちに現実修正解釈をよくしていることに気づきます。
現実修正解釈(②+③、つまりB)をするのは、何も、統合失調症と診断されたひとたちだけではありませんね? 日常、誰もがよくしますよね?
①も、②③も、共にみなさんに馴染みのものであることが最後に確認できましたね?
2020年2月14日、同年5月23日、2021年8月3,11日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/5)はこちら。
*前回の短編(短編NO.7)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。