*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.17
この世に異常なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。
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そのときの記事を一応挙げておきますよ。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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そしてそれは、この世に「理解不可能」なひとなどただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたね。
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そのことを確認したときの記事も一応載せておきますね。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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だけど、医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。
たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、つぎのように、「永久に解くことのできぬ謎」だとか「了解不能」だとかと言ってきましたよね?
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。
最近はもうずっと いつからはじめたのか忘れてしまいましたけど 統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとに実際に登場してもらい、そのひとがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認しています。
今回もその例外とはしませんよ。
四の五の言わず、今回も早速はじめるとしましょうか。
統合失調症にみられる思考障害を、形式論理の障害として捉えようとする研究も数多くなされてきた。(略)
ある妄想型統合失調症の男性の場合、似ている顔の人を見ると同一人物とみなした。似ている存在が同一の存在になってしまう認知は、統合失調症ではときどき見られるものである。
新聞に父親に似た経団連会長の顔写真が載っていて、それが怒っているように見えた。そのことから、彼は父親が怒っていると受け取ってしまう。テレビの時代劇に、父親に似た俳優が出て、よい役で活躍していた。最近父親の機嫌がいいのは、そのせいだと思う。
この場合も、「父親に似た人の中には、父親本人がいる」という命題と「父親に似た人は、父親本人である」という命題の混乱が起きている。
似ているからといって同一とは限らないのだが、似ているものがいつの間にか、同一と混同される。(略)
妄想的な考えが形成されるプロセスには、こうした形式論理の障害が認められる(前掲書pp.145-148、ただしゴシック化は引用者による)。
2021年9月12日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.16)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。