MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1578 コロナパニックと報道姿勢

2020年03月28日 | 社会・経済


 小池百合子東京都知事が3月25日(水)夜の記者会見で、「現在、首都東京は新型コロナウイルスの感染爆発の重大局面にある」として不要不急の外出を控えるようメディアで訴えて以降、不安を感じた都民が日用品の買い貯めを進めたことにより、都内の小売店では保存食品などを中心に一時的な品薄状態が続いているようです。

 私個人としては(習慣として毎週)土曜日の午前中に車で近くのショッピングセンターに赴き一週間の食料品などをまとめ買いすることが多いのですが、特に「外出自粛」を求められた28日土曜日のマーケットの陳列棚からは、マスクやトイレットペーパーは勿論のこと、お米やお餅、カップラーメンや缶詰までが消え、売り切れの張り紙が空しく残るばかりでした。

 聞けば、開店時間には食料品などを求める行列ができており、少ない従業員でやりくりしていたレジでは30分以上も並ぶ必要があったということです。

 週の後半から週末にかけて、テレビのワイドショーやニュース番組は、確かに新型コロナ関係の新たな動きが続き話題に事欠きませんでした。首都圏の都県が足並みをそろえた外出自粛の要請を「すわロックダウン」とばかりに取り上げ、識者を囲むタレントさんなどが「心配です」などとコメントしています。

 そのような報道のされ方を見ていれば、こうしたスーパーの状況も「さもありなん」とは思いますが、高齢者が多く比較的おだやかな土地柄の(我が家の近所の)住民でさえ、メディアが煽るパニック買いから自分たちの日常生活を守ろうと敏感に反応したことにはそれなりの驚きを感じます。

 これまでの何週間か、日本国内の人々は様々なメディアが映し出す(本当に)ロックダウンされた海外の都市の映像をテレビやネットで(これでもかというほど)目に焼き付けてきました。

 ショッピングセンターから食料品が無くなり長い長い行列を作ったり、パニックになった外国人が我先にと商品にとびつく姿を見てきた彼らにとって、いよいよ「日本の番だ」と考えるのは仕方のないことかもしれません。

 そして、そんなことは随分前から想像できたはずなのに、メディアの報道がいつものとおり平板な、通り一遍のものだったのは本当に残念と言うよりほかにありません。

 テレビの画面は、開店前のスーパーに並ぶ行列や空っぽの陳列棚をこれでもかと映し出し、レポーターが「一切ありません」などと判り切ったコメントを付けています。お米の袋を抱えてレジに並ぶ人にインタビューし、「最後のひとつを何とかゲットしました」と嬉しそうに話している姿などを報じているのを目にするのはなんとも悲しいものです。

 私自身、以前とある在京キー局で情報番組を制作していた経験があるので(それなりには)わかるのですが、「これはパニックになりそうだ」と思えば、プロデューサーは「良い画(映像)」や「現場の(それらしい)コメント」を撮るために、そうなりそうな場所を選んでデイレクターやカメラマンなどのチームを走らせます。

 (彼らスタッフはプロの職人なので)プロデューサの要求に応えるため、空っぽの商品棚の映像や(特にお年寄りや子連れの主婦などを中心に)困っている人の「象徴的」なインタビューなどを、番組を組み立てる「素材」としてあちらこちらから集めてくる。

 制作サイドはそれらの素材を継ぎはぎし、効果音やMCを入れ、スタジオでコメンテーターに「皆さん落ち着いて」などとコメントさせれば「いっちょ上がり」という感じでしょう。

 つまり、テレビに映し出される映像は(フィクションとまでは言わないものの)あくまでテレビ局が「伝えたい」ことを伝えるために意図的に編集されたものであり、(例え悪気はなかったとしても)そこには作り手側の意思が色濃く込められているということです。

 その証拠に、例えたくさん商品が揃っているお店や棚があっても、カメラマンはそんなものには見向きもしません。インタビュアーにマイクを向けられて「いや、べつに普段通りだけど」とか、「慌てふためいて買いあさるなんでバカばっかり」「あんたたちもそんなに煽るのやめてよ」などと答えた人の画像は使われることはないでしょう。

 メディアが報じるのは、どうしても(視聴者にとって)インパクトのある映像に偏りがちで、静かに落ち着いて家で過ごしている大半の人々や普段通りに食料品を流通させている企業の姿は(彼らにとって)あまり意味のないものと映ってしまう。

 外出の自粛の要請が出て、今週末、テレビ局のスタッフはまた渋谷や原宿の街に繰り出すことでしょう。遊んでいる若者を見つけてはインタビューを繰り返し、その中でも「俺たちには関係ないじゃん」などと言っている(なるべく脳天気そうな)素材を選んで編集し、進行役のタレントやコメンテーターに「若者たちの危機感が足りない」などとコメントさせるかもしれません。

 さて、「パンデミック」と呼ばれる新型コロナウイルスの感染拡大が迫る現在の日本において、メディアが今、報道すべきことは一体どんなものなのか。視聴者に訴えるべきことは何なのか。

 これ以上、街のあちこちに日用品を求める行列ができれば、それだけ感染の機会が増えることになります。社会がきちんと機能し続け、本当に必要な人に必要な医療を提供できていれば、(多少の時間はかかるとしても)最小限のリスクでこの難局を乗り越える道筋も見えてくることでしょう。

 そのために彼らが切り取らなければならないのは「本当にリアルな現実」であり、それこそがメディアに課せられた「責任」なのではないかと、昨今の報道から改めて感じるところです。

 国民の危機意識の足りなさを報じるメディアが多い中、本当に危機意識が足りないのはメディアの方ではないかと、この際、敢えて指摘しておきたいと思います。



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