MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1509 ワレサ氏の言葉

2019年12月13日 | 社会・経済


 レフ・ワレサ氏と言えば、20世紀の終わりにベルリンの壁の崩壊を目の当たりにした昭和世代にとっては、ポーランドの民主化を率いた旗手として(東欧人らしいタフな要望と鼻の下の立派なひげとともに)なじみの深い名前です。

 ポーランド北部のグダニスクの造船所で電気工として働き、1980年に非共産党系の自主管理労働組合「連帯」を結成すると、推されて議長に就任しました。

 1981年の戒厳令下で連帯が非合法化されると自身も長期間拘留されることとなりましたが、東欧諸国の先頭を切って実現させた1989年の自由選挙においてポーランド統一労働党を破ると翌1990年の大統領選挙に当選し、次々と自由化・民営化政策を進めることでヨーロッパの民主化ドミノの起点となった人物として知られています。

 一方、(ワレサ氏が政治の舞台から離れた)現在のポーランドは、ハンガリーと並んで東欧におけるポピュリズムの双璧として名を馳せています。

 今年10月13日に行われた総選挙では、保守ポピュリストの与党「法と正義」(PiS)が、下院での得票率を4年前の37.6%から約44%に伸ばし安定多数を獲得し大勝しました。

 彼らが掲げるのは「イリベラル・デモクラシー」で、デモクラシーではあってもリベラルでないイリベラル(非自由)なもの。大衆の支持の上に政権はあるが、政権は大衆の支持のもとで国民の自由を制限することができるという考え方です。

 ポーランドにおけるPiS人気を支えているのは、社会的弱者への手厚い保護政策です。特に子育て世代への手厚い支援(子供一人当たり月500ズロティ、約127ドルを支給)や年金支給年齢の引き下げ(67歳から男性65歳女性60歳に引き下げ)、26歳以下の若者への所得税免除などの(ある意味手厚すぎる)福祉政策に力を入れています。

 こうして国民に「アメ」を与える一方で、PiSのカチンスキー政権は矢継ぎ早にメディアを議会の監視下に置き、最高裁判所の人事を刷新して自らの息のかかった者を任命するなど、報道と司法の独立を露骨に制限していることで知られています。

 最高裁判所の定年を65歳に引き下げ1/3ほどの判事を退職させたのち自らの息のかかった判事を任用したり、報道内容に対する政府の検閲を強化したりするなどの対応が、共産主義への先祖帰りではないかとして西側EU諸国から懸念の声が上がっているところです。

 さて、11月10日の日本経済新聞の紙面では、「ベルリンの壁崩壊30年」を記念して、東西冷戦終結後の世界をポーランドから見つめてきたワレサ氏に対しインタビューを行い「壁崩壊30年 民主主義を過信した」と題する記事にまとめています。

 なぜ30年前にポーランドで、ワレサ氏は民主化を実現できたのか。

 氏はこのインタビューにおいて「私たちが民主化運動を進めるうえでの連帯の哲学は非常に簡単なものだった。重すぎて自分で持ち上げられなければ仲間を呼べばいい。」と答えています。

 ポーランド人で足りないなら欧州の力を、それでも足りなかったら米国、カナダ、日本の力を借りればいい。共産主義、ソ連は非常に重かったが周りの力を集めることで何とか成功できたというのが氏の回想するところです。

 また、そのポーランドで、現在、ポピュリズムが広がっていることについて、氏は「私は当時、市民が自由を取り戻すまでのことを考え、そのための準備をしていた。何をすればよいか分かっていたし、実際に勝利できた。ただ、当時の私は残りのことは民主主義がやってくれると信じていた。」としています。

 「そういう意味では、残念ながら民主主義をしっかりと利用して新しい体制をつくる準備ができていなかった。」「私は昔の体制を壊すことは非常に得意だったが、あまりにも民主主義を信じすぎていた」というのが、その後のポーランドの動きに対する氏の認識です。

 民主化運動を進める際に氏が最初に考えていたのは、ポーランド、ハンガリー、チェコの3カ国をまずは西ヨーロッパの政治体制に組み込むことだったと、このインタビューでワレサ氏は説明しています。

 2、3年後にバルト3国も加盟させる。それがしっかりと機能するようになったら、さらに新しい国を加えていく。そして最後に東西ドイツを統合させるというアイデアだったということです。

 ところが1989年に我々が自由選挙で勝利すると、すべての社会主義国が一斉に自由のための運動をスタートさせたと氏は言います。そして、そうした動きに対してワレサ氏らには何の準備もなく、西欧諸国も何のプランも考えてなかったということです。

 ベルリンか壁の崩壊に向けた大きなうねりに直面し、欧州も世界もこの勝利に対して何の準備もしていなかったとワレサ氏は指摘しています。

 欧州と世界は私たちに動く勇気を与えてくれたが、勝利した後は自分たちでやりなさいとなった。その際のコストが高すぎたため、今のような(ポピュリズムの)動きがあるのではないかというのが、現在の状況に対するワレサ氏の見解です。

 最初にソ連と対立し始めた頃、私たちが勝利するとは誰も信じていなかった。当時はまさに「核兵器だけがこの世の中を変えられる」という時代だったと氏は振り返っています。

 同様に、現在、ポピュリズムが世界を崩壊させるとか既に彼らに負けたのだとか言われるが、正面から対決すればポピュリズムに勝利する見込みはないと氏は言います。彼らのやり方は決して将来につながるものではないのだから、長期的な安定や国民の安心にはつながらないということです。

 さらに、米国でもトランプ大統領が誕生したことなど民主主義自体が変質しているのではないかという質問に対し、ワレサ氏は「社会が変化を要求しているのは事実だ」と答えています。

 トランプ氏でもほかのポピュリストにしても、変化が必要だという診断そのものは正しいと氏は言います。

 「だが治療の方法が間違っている。ポピュリストが提起している問題に対し、彼らよりも良い解決方法を人々に示す必要が私たちにはある」というのが、民主主義を守り育てていくことを第一と考える氏の矜持とも言えるでしょう。

 「神様は私たちに様々な大きさの試練を与える。難しい時代だが、神様は大きすぎず、小さすぎず、ちょうどよい試練を与えてくれているのだ」という言葉を、氏はこのインタビューで語っています。

 ポーランドばかりでなく、世界を分断していた東西のイデオローギー対立の歴史を時間をかけて大きく動かしてきたワレサ氏が口にした言葉の重さを、私たちもきちんと受け止めていく必要があるのでしょう。


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