MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1506 学校からいじめがなくならない理由

2019年12月08日 | 社会・経済


 神戸市立東須磨小で教諭4人が25歳の男性教諭に激辛カレーを食べさせたり、暴行を加えたりしていた問題で、神戸市教育委員会は現在弁護士3人から構成される第三者委員会を設置し、関係者からの聞き取りなどの具体的な調査を始めています。

 学校での「いじめ」と言えば普通は子ども同士のものを指すのでしょうが、教員間で子供じみた陰湿ないじめが繰りかえされていたというこのニュースに、呆れてものが言えないと感じた人も多かったのではないでしょうか。

 この学校では、例えばビール瓶を口に突っ込まれて飲むことを強要されたり、激辛ラーメンの汁を目に塗られたり、SNSで他人にわいせつなメッセージを強制的に送信させたりと、さらに50以上もの教員間のイジメが申告されたとの報道もあるようです。

 また、今回の事件に関しては、教員間のいじめが頻繁化するのとタイミングを合わせて児童間でもイジメが多発していることが指摘されています。2017年度は、0件だったいじめ事案が、2018年度に13件、2019年9月までで16件にまで増加したということです。

 確かに教員同士の風通しの悪い人間関係は「雰囲気」として微妙に子供たちに伝わり、子どもたちの人間関係にも悪影響を与えるようなことも十分に考えられるでしょう。

 「いい大人」であり、しかも子供を教える立場の教員がなぜ何人も寄り集まって、こうしたくだらない行為に嬉々としてふけるようになっていったのか。

 作家の橘玲(たちばな・あきら)氏は10月28日の『週刊プレイボーイ』誌に、「いじめを根絶したいなら、学校という閉鎖空間をなくすしかない」と題する示唆に富んだ一文を掲載しています。

 神戸市の市立小学校で4人の教師が20代の後輩教師に陰湿ないじめを繰り返していたこの事件では、加害者はリーダー格の40代の女性教諭と30代の男性教諭3人で、一部職員への暴言・暴行などに加え、わいせつな嫌がらせなどを行っていたとされています。

 報道によれば、主犯格の女性教諭は校長から指導力を評価されている校内の中心的な存在で男性教諭たちは生徒から人気があり、いじめに気づいていた他の教員も報復を恐れて言い出すことができなかったようだと、橘氏はこの論考で説明しています。

 勿論、既にあちこちで指摘されているように、これは子どもたちのいじめと同じ構図だというのが今回の事件に対する橘氏の認識です。

 教室でのいじめ加害者の多くは担任から気に入られているリーダー的な存在で、クラスメイトからも人気のある「スクールカースト上位」にいるのが普通です。一方、被害者は「下位カースト」で、生徒ばかりか担任も心のどこかで「いじめられても仕方ない」と思っているということです。

 そして、この構図をそのまま「職員室カースト」に当てはめれば、校長のお気に入りの加害教師と、“いじられキャラ”の被害教師という関係になると氏は指摘しています。

 校長にいじめを相談しても相手にされなかったのは、そもそも校長も被害教師のことが好きではなかったからではないか。加害教員の謝罪のコメントが火に油を注いでいることからもわかるように、彼らが自分の加害行為をほとんど認識していないのも子どものいじめとまったく変わらないということです。

 実際のところ、深刻ないじめは例外なく「閉鎖的な組織」で起こるというのが橘氏の見解です。

 自由に離脱できる環境では、イヤな奴がいればさっさとほかに移ればいい。しかし、閉鎖された組織や社会では、相手が逃げることができずどれほどいじめても無抵抗だから面白がられるということです。

 そして、そういう意味で、「学校」というのは典型的な「閉鎖空間」だと氏は説明しています。そうした空間では、子どもたちだけでなく、教師のあいだでいじめが起きてもなんの不思議もないということです。

 氏によれば、1999年に福岡の小・中学校の教師を対象に研究者が職員室の人間関係を調べたところ、学校での教師間のいじめが「よくある」「ときどきある」とした小学校教師は合わせて15.1%。中学校教師ではこれが20.6%に及び、自分が他の教師からいじめられることが「よくある」「ときどきある」としたのは小学校教師で13.0%、中学校教師では14.8%に及んだということです。

 一方、他の教師から陰口を言われたという小学校教師は46.1%、中学校教師は48.5%、嫌味を言われた小学校教師は58.6%、中学校教師は60.5%にのぼっており、日本の学校では、教師の5~6人に1人が「教師同士のいじめがある」と報告していて、自分が「いじめられたことがある」とする教師も6人に1人程度いるとされています。

 その後、この種のアンケートは全国的にほとんど行なわれていないということですが、 ここからわかるのは、教師が教師をいじめる「学校風土」が子ども同士のいじめの背景にあることだと、氏は学校の現状を厳しく指摘しています。

 自分たちのいじめを解決できない教師が、子どもたちのいじめに対処できるはずはない。文科省がどれほど「いじめ対策」進めても、なんの効果もない理由を今回の不祥事は教えてくれているということです。

 それでもいじめを根絶しようとするのなら、「学校」という閉鎖空間を解体するほかはないと橘氏はこの論考を結んでいます。

 全ての学校がそうだとは言いませんが、(確かに氏の言うように)声の大きなボスを中心とした多様性に欠くヒエラルキー的な人間関係の中で、(「教室」ばかりでなく)「学校」という閉鎖空間の中からある種の狂気が生まれてくる可能性も否定はできないでしょう。

 そうであればこそ、学校を現実社会から過剰に切り離すことなく、一般社会に開かれた「常識的」な空間にしていくことが求められているのではないかと、橘氏の論考から私も改めて強く感じたところです。



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