MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯1579 人はなぜ買い溜めに走るのか

2020年03月30日 | 社会・経済


 小池百合子東京都知事が週末の外出自粛などを都民に求めた3月25日夜の記者会見以降、都内のスーパーではあわてて日用品など買い込む人たちの姿が見られるようになり、翌26日から週末にかけてマスクやトイレットペーパーは元より米類やカップラーメンなどが品薄状態となりました。

 25日から26日にかけて、テレビ各局が空になった商品の陳列棚の映像を繰り返し流したことで(こうした)一部の消費者の動きが多くの人の目に触れることになり、都内の広い範囲に買いだめの動きが都内全域に広がった印象は拭えません。

 もちろん、メディアも報道に合わせ「冷静な対応を」と呼び掛けているのですが、こうした注意喚起をしたところで、映像などを流せば結果として煽ってしまうことにも繋がります。

 多くの人は、食料品などの流通が一気に捉えてしまわないことはわかっていても、「デマが出回っているから、念のため買っておこう」と(ある意味「冷静に」)判断してしまう。そこでいくら「買いだめはやめましょう」と言っても、はっきり言って逆効果になってしまうのは明らかです。

 なぜ、人々は「わかっている」のに、それでも不安に駆られ買だめに走ってしまうのか。

 こうした消費者の心理に関し3月26日の東洋経済ONLINEでは、評論家の真鍋厚氏による「買い占め」に走る人々を突き動かす強烈な不安」と題する論考を掲載しています。

 今回の「パニック買い」の動きに関し真鍋氏は、小池知事が会見で現状を「感染爆発の重大局面」と述べたこと、「事態の推移によってはロックダウンなど強力な措置を取らざるをえない可能性がある」と強調したことなどが、都民の衝動的な動きに繋がったことは否めないと説明しています。

 (話題となった「排除します」発言からも判るように)インパクトの強い印象的な言葉を選んで使う傾向の強い小池知事の政治家としての個性が、こうした形で都民の琴線に触れたということでしょう。

 今回の小池知事の会見はあくまで26・27日の自宅勤務と週末の外出自粛を呼びかけたものに過ぎなかったが、彼女の使った「ロックダウン」などの耳慣れない言葉が「首都封鎖」「都市封鎖」などを印象付け、人々の目に外国のパンデミックの映像を浮かび上がらせた。

 さらに、トイレットペーパーの騒動と同様、買いだめ報道→(を見た視聴者による)買いだめ増加→買いだめ報道という不毛のサイクルが再び生まれたというのが真鍋氏の指摘するところです。

 真鍋氏も言うように、状況はロックダウンには遠く及ばず、また仮にロックダウンになったとしてもスーパーやドラッグストアなどが閉まる可能性は相当低いので、衝動的な買いだめを進んで行うことに意味はありません。

 また、こうした行動が、店舗のスタッフや流通を支える運送業者などに不要な負担を強いるばかりか、身体などにハンディを抱えた高齢者や障害者などの「買い物弱者」に必要なものが届かなくなるなど「百害あって一利なし」であることは子供でも分かりそうです。

 氏は、例え「不合理」だと判っていても、私たちが我先にとパニック買いに走ってしまう深層には、トイレットペーパー騒動でも露わになった不安と消費の切り離せない関係性があるとこの論考で説明しています。

 わかりやすく言えば、私たちがスーパーに走るのは、私たちに付きまとう様々な不安が買い物によって「一時的に癒される」から。信頼できる証拠やもっともらしい注釈などはもはやどうでもよく、いわば真っ白に光り輝くトイレットペーパーに象徴される商品だけが、私たちの内部から発せられる悪臭のような不安を拭ってくれるからだということです。

 まさに「溺れる者は藁をもつかむ」であり、その奥底には「消費による救済」を求める心境があるというのが、こうした心理に関する真鍋氏の分析です。

 不安や不信というかたちで心の中に出没する悪霊を対峙するには「悪霊祓い」が有効で、それは実際に妖怪を退治できるものでなくてもかまわない。

 現代のような消費社会に生きる私たちにとっては、(買い物自体に意味はなくても)それを競争して行うことで、少しでも不安や不確実性を遠ざけるという「消費による悪霊払い」ができるということです。

 さて、確かに現在私たちが生きている社会は「商品の供給が途切れないこと」に決定的に依存しているのは事実です。特に、普段、家の中にいて家事や子育てに専念している真面目な主婦やお年寄りほど、そうした傾向は強いかもしれません。

 明日も明後日もその次の日も、スーパーの棚から商品が無くならないことこそが、私たち、そして彼ら彼女らの日常性を支え、それに基づく平常心を担保していると言っても過言ではないでしょう。

 そうした中、例えばウイルスの蔓延や都市封鎖などの危機が迫っていると印象付けられれば、そうした社会の変化に「無力」な人ほど、「自分の生活を守る事」「家族や子供たちに対する責任を全うすること」などに執着するようになる気持ちはよくわかります。

 であればこそ、危機管理の責任を担う人たちや影響力を持つメディアには、一般社会に生きる様々な人々のデリケートな感覚を是非慮っていてほしいと、今回の「食料品買いだめ」の報道から改めて感じるところです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿