MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1433 対立する日韓に必要なこと

2019年08月23日 | 国際・政治


 韓国政府は8月22日、日本が貿易規制上の優遇措置対象である「ホワイト国」リストから韓国を除外し両国の安全保障協力環境に「重大な変化」をもたらしたとして、日韓軍事情報包括保護協定「GSOMIA」を破棄することを発表しました。

 米紙ワシントンポストは今回の韓国政府の決断について、「貿易と歴史問題をめぐる対立を大幅にエスカレートさせた」として「韓国がボールを投げた」と報じています。

 韓国大統領府は、23日開かれた記者会見で「日本政府は従来の主張をくり返しながら、対話に全く真摯に臨もうとせず、韓国側が先に是正措置を取るべきだと言いながら要求し続けていた」として、日本に対話を求めたが応じなかったと主張。

反日感情が高まる国内世論を抱え、(「全て日本のせい」だとして引くに引けない)韓国政府もいよいよ抜き差しならない状況に身を置くことになりました。

 こうした中、8月17日のYahoo newsに寄稿されていたジョージメイソン大学大学院社会学研究科博士課程に在籍する古谷有希子による「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」と題する論考を読みました。

 「韓国はなぜ対日関係を悪化させるようなことばかりをするのか?」こうした問い掛けに応える形で日本人を相手に日本語で書かれたこの論考は、読み手である日本人の知力や胆力に直接訴える挑戦的なものとして大変印象に残りました。

 慰安婦問題や徴用工の問題、ひいてはレーダー照射の問題や輸出規制の厳格化に至るまで、何かといえば歴史問題を持ち出し「植民地支配の被害者」であることを強調する韓国を鬱陶しく思う日本人はきっと多いことでしょう。


 「もう70年以上も前のことじゃないか」「韓国が発展できたのは(戦前から戦後にわたって)日本が様々に投資してきたおかげだ」という声も少なからず聴くところです。

 日本人にとって、昭和20年の「終戦」によって隔てられた「戦前」と言う時代は、既に終わったもの、(ある意味自分とは直接関係ない)既に清算が済んだ時代として捉えられることが多いようです。

 しかし、韓国人にとっての日本による植民地支配は、「歴史」ではなく今も続く忌まわしい記憶であり、いつかまた起こるかもしれない可能性の問題だというのがこの論考における古谷氏の基本的な認識です。

 彼らは、いつかまた同じ屈辱を味わう羽目にならないように、過去を記憶し続け、警戒し続けている。(日本人がいくら「そんな馬鹿なことはあり得ないよ」と気楽に考えていたとしても)少しでも問題があると思えば早めにその芽を潰しておくというのが、大日本帝国による植民地支配への基本的な態度だということです。

 日本で「反日」と考えられている親日清算問題は、80年代以降の軍事独裁の終焉後の民主主義社会の醸成によって、民衆やリベラル知識人たちが真実を求める形で強まったものだと古谷氏は説明しています。

 彼らは、これまでの軍事独裁政権が「親日派」「親日行為」の問題を明らかにせず、日本に対する十分な責任追及もせずに(国民に真実を隠したまま)植民地問題を「金で解決」したことを問題視した。

 そうした中で、一般市民に隠匿されていた歴史の真実を求めるとともに、植民地支配当時は強く認識されることの無かった事象をポストコロニアルな視点から再発見し、「過去清算」する意識が韓国社会に根付いていったということです。

 人権の回復・履行を求めて、国内外の政府、企業、団体を相手取った裁判が頻繁に起こるようになった。植民地支配についても、「日本が悪かった」といった単純な理解から脱却し、植民地支配の実態を様々な側面から分析し、民主社会韓国として新たな時代を迎えようという動きが生まれたのが民主化以降の韓国だったと氏はこの論考で指摘しています。

 そういう意味で言えば、韓国の人々にとって「民主化」の前と後では国家自体が全く異なる別の存在だというのがこの論考における古谷氏の見解です。

 それは多くの日本人が、大日本帝国と戦後の日本を全く異なる存在として認識している感覚とも似ている。このことを理解していれば、なぜ現在の韓国政府が日韓基本条約締結以降、日韓政府の間の共通認識となってきた請求権協定を(今さら)覆すような態度を取るようになったのかも理解しやすいということです。

 国民によって選ばれ、国民を代表する政府が取り交わした条約でないものが、現在の民主国家としての韓国の人々にとって受け入れられないのも、感情としては当然といえるだろう古谷氏は言います。

 民主化によって新たな権利意識を持ち、植民地支配についてもより構造的な問題を扱うようになった韓国社会が、(軍事独裁政権の下で)国民に真実を隠す形で締結された条約に違和感を持つのも自然な成り行きだということです。

 一方、日本では、(韓国における日本の経済的重要性が低下しても)一部の政治家たちを中心に一貫して歴史修正主義的な発言が繰り返えされてきている。侵略と植民地支配を肯定し、戦犯のまつられる靖国神社に参拝し、従軍慰安婦被害者を侮辱するような発言を平然と口にする政府要人が後を絶たないと古谷氏はしています。

 いくら公式談話で謝罪を口にしても、いくら補償・賠償として金銭を提供しても、こうした発言・態度を示す政府要人(首相含め)が罰されることもない日本を信用しろと被害国であり、被害者が生存している韓国に求める方が無理な話だというのが、日韓関係の現状に関して氏の指摘するところです

 繰り返される日本の政治家の歴史修正主義的発言の裏には、結局のところ植民地主義丸出しの韓国・朝鮮(韓国人・朝鮮人)に対する差別意識があると氏はここで説明しています。

 「韓国ごとき」「日本より格下」といった意識があるからこそ、無用に刺激してはならない相手としてではなく「馬鹿にしていい相手」「何してもやり返せない相手」として扱い続けてきたというのが氏の認識です。

 そして、その認識を改めない限り、日本はいつまでも韓国を相手に歴史問題で先に進むことができない。韓国側に何も問題が無いとは言わないが、国民をスカッとさせるのが外交政策としてまかり通るなら、それは民族主義に踊らされたポピュリズムにすぎないと古谷氏はこの論考を結んでいます。

 さて、もちろん感情的に苛立つ国内世論を意識し、民族主義やポピュリズムに訴えることへの政治的誘惑は、日本ばかりでなく韓国でもそのリスクを拡大させていることは言うまでもありません。あわよくば、この機に乗じて韓国に(そして日本に)一泡吹かせたい、一矢報いたいと考えている人は(それぞれの国にも)それなりにいることでしょう。

 さらに、問題の背後にはそれぞれの国の国内政治があり、(理屈はわかっていても)両国政権もそう簡単に引き下がるわけにいかない(歴史的な)シガラミを背負っているのは言うまでもありません。

 この論考における古谷氏の指摘が、(日韓両国の)全ての国民の意識に直接当てはまるとは私も思ってはいません。しかし、(隣国韓国と上手くやっていこうとするならば)「支配を受けた側」が持つ屈辱感や痛み、警戒感などをより感覚としてわかろうとする努力を日本の人々も続けていく必要があるでしょう。

 韓国が抱える複雑な国内事情、日本に対するナイーブな感覚も含め、両国の人々のものの考え方をより深く理解するための様々な形の交流がさらに大切となるのではないかと、現在の日韓の対立構造から私も改めて感じたところです。


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