緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

茶かぶきで気晴らし

2024年04月21日 | 茶道
左目の緑内障の手術、結局右目の眼圧がその日の朝に低ければ、予定通り22日に決行することになりました。
ですから、当日までどうなるか分かりません。

つらつら考えるに、2週間も経ってから手術した目の眼圧が爆上がりした原因は、素人考えですが、やはり私の血小板減少症が原因のような気がします。
普通ならば、その種のリバウンドは1週間から10日くらいした時点なんだそうですが、やはり血小板減少症で血液の凝固に時間がかかり、2週間も経ってからになったとしたら納得できます。
血小板減少症の血小板というのは、血液を固める作用のあるものだからです。

てなことを考えていても鬱々するだけなのですが、楽しいこともありました。
茶道の先生宅の教室で、茶かぶきというのを初めてやりました。

“茶かぶき”というのは、千家の茶道で行われる特別な稽古法“七事式”の中の一つです。
“七事式”というくらいで、7つの稽古法があるのですが、一応どれも禅の教えの裏打ちがあるらしいのですが良く分かりません。
先生も理屈や知識については教えません。(それ教えていたら実際にやる時間がなくなる)

茶かぶきの場合、室町時代くらいに流行っていた闘茶の流れを汲むものだそうです。
闘茶も茶かぶきも、要するにお茶を飲んで、茶の銘柄を当てるゲームです。
私は茶道を初めてもう5,6年になりますが、今頃になって、初めてやることになったのはコロナのせいです。
濃茶の場合、1椀を数人で回し飲みしますので、コロナ下では茶かぶきはできなかったのです。

全部で5服いただき、その内3種を当てるのですが、私は1種しか当てられませんでした。
6人でいただいたのですが、結局、3種とも当てられた人はおらず、1種当てた人が私を含め4人で、2人は全部外しました。
かなり盛り上がりました。

先生曰く、今は公民館の教室にだけ顔を出す知的で落ち着いた雰囲気のSさんは、昔、茶かぶきをやって当てられず、「もう1回やらせてください」と何度も言ったとのこと。
よほど悔しかったのでしょうか。
あのSさんがと、ちょっと意外でした。
先生もよほど印象に残った様子。

正直、私は茶かぶきであまり闘争心はわかず、ただひたすら楽しみました。
千家3代目千宗旦は闘茶を禁止したということですから、必死になる人は今も昔もいるのだと思います。

コロナも明け、もうすっかり元に戻りましたので、茶かぶきだけでなく、また茶事などやってほしいなと思っています。



緑内障手術、まだまだ擦った揉んだ。

2024年04月16日 | 健康
私の緑内障手術、やはり、というか、スムーズとはいきません。

術後2週間たち、もう落ち着いたと思っていたところ、急に手術した右目が曇り、瞬きするたびにヒリヒリチクチクとした痛みが走るようになりました。
夜でしたので、朝一番に病院に電話したところ、その日の夕方4時30分にくるようにいわれました。

病院で診てもらったところ、右目眼圧が40と爆上がり状態。
原因は手術した時に出血した血液が、眼球の中の房水と呼ばれる水分と一緒に眼球外に流れる際に出口で引っかかって、それで眼圧が上がったとのこと。

術後、眼圧が一時的に上がることはよくあるらしいのですが、たいていは1週間前後のことらしいのです。
私のように2週間も経ってからは珍しいらしくて、先生も首を傾げていました。
いずれ詰まっている血液がドバッと流れて眼圧も下がるらしいのですが、確定的なことは言えないらしいです。

治療としては、眼圧を下げる点滴を2袋受けました。
よくしたもので、点滴を受けている内に曇りが取れ、眼圧も下がり始めました。
でも、その点滴は1日しか効きません。
事実、翌朝にはまた目が曇って見えなくなっていました。

点滴以外には、今までは点眼液でしたが、内服薬が2つ追加されました。
手が痺れる副作用があるそうですが、今のところは副作用は無し。

点眼薬と内服薬で目の曇りは回復し、今ブログを書いています。
右目は効き目ですので、曇って見えなくなると、とても困るのです。
病院に電話するにも電話番号が読めません。
兄に電話番号を入れてもらいました。

まだ手術を受けていない左目は中央部分の視野が欠けているので、時計を見ても文字盤が見えず、お茶を入れようとしても湯がどのくらい入ったか分からず、歯を磨くにも歯ブラシに歯磨きが出ているのかも分からず、道を歩いていて信号機を見ても青か赤かも分かりません。
見えているのは中央部分以外。もちろんブログは読むのも書くのも不可能。

だいたいのことは勘でやるのですが、我ながら大丈夫か状態。
だから右目、ちゃんと治ってほしい。

医師が言うには、手術で入れた人口レンズはきれいな状態らしく、それ以外にも特に問題は無し。
詰まっているらしい血液の塊さえ流れてくれれば、らしい。
このまま流れなければどうなるんだろうと思ってしまいます。

そういうわけで予定されていた来週の左目の手術は保留です。
結果的に今後の色んな予定やら計画がすべて保留となりました。
さて今日も病院行き。
どうなりますことやら。


緑内障術後、安定しません

2024年04月08日 | 健康
緑内障手術のため、しばらくブログをお休みしていました。
まとめてになりますが、前回の記事に暖かいお言葉をくださった皆々様、どうもありがとうございました。
手術は無事に終わりました。

ただ、目の状態はまだ安定していません。
手術した右目に曇りがあり、見づらいです。
朝、調子が悪く、夜に近づくつれ、クリアになるという状態。

いつになったら常時クリアな状態になるのか分かりません。
医師もはっきりとは言えないみたい。
ネットであちこち調べると1週間から1か月かかるらしいです。
本当に曇りがなくなり、よく見えるようになるのか、それはちょっと心配です。

最初の2日くらい、そんなことはなかったので、考えてみると、最初は医師の指示により高枕で寝ていたので、もう一度高枕に戻すと良くなりました。
手術による出血がまだ吸収されておらず、高枕だと目の中の血を含んだ液体が下に下がり、それで見やすくなるのかもしれません。

手術して1週間たち、やっと顔が洗えました。
シャンプーもできました。
それまで濡らしたタオルで拭いてました。
シャンプーは美容室に一度行きました。

片目眼帯は術後1日だけで、翌日にガーゼは外しました。
ガーゼは思いのほか汚れやすく不衛生だからみたいです。
その代わり目を守る保護メガネをかけています。
保護メガネは花粉症対策にも良さそうです。

私が受けた手術は緑内障と白内障の手術です。
つまり元々の水晶体を削り取り、人工の眼内レンズも入れたのです。
白内障は私の場合、ほとんど問題にならないくらい軽微なものでしたが、緑内障の手術とセットになっているのです。
いずれ白内障も悪くなり、また、白内障の手術をすることで眼圧を下げる効果もあるらしいのです。

ただ白内障の症状はもともと無かったので、手術してよく見えるようになったという実感はありません。
緑内障の手術はそもそも緑内障の悪化を防ぐ意味しかないものです。
むしろ、前は近視で、目を近づければたいていの文字は読めたのですが、今は老眼状態で細かい文字は読めなくなり、遠くも裸眼0.5では見づらい状態です。

パソコンもスマホも本も見えなくなって、最初はちょっと焦りました。
医師からは100均の老眼鏡をとりあえず買って対応するように言われました。
見え方が全く異なってしまったので色々と戸惑うことばかりです。

結構大変なのは術後に注さなくてはならない点眼薬の多さです。
5種類の薬を朝・昼・夕・寝る前の4回、種類と順番を間違えずに、5分の間を置いて注します。
毎回全部注すわけではなく、中には濁っていて注す前に振る点眼薬も2種類あり、しかも目の曇りや老眼状態で薬の名前もよく見えず、慣れるまで大変です。(ネットによれば、これが2、3か月続くとか。)
右目とは別に、左目は元からの緑内障の薬を3種類、注します。

2週間後に左目も手術し、その1か月後以降、両目の状態が落ち着いた時点で新しいメガネを買うことになるみたいです。
もちろん、今までのメガネは使用できません。
フレームだけは使いまわすかもしれませんけど。

今時点、やってはいけないこともあり、一つは飲酒。
重い荷物を持ったり、激しい運動も禁止。
ガーデニングや農作業もだめ。
ガーデニングは土を触って、たぶん不衛生になりやすいからだと思います。
草抜きもやってはいけないのですが、そう言われると雑草取りをしたくなります。

ペットの世話も不衛生になりやすいので原則禁止です。
でもラッキーがわざわざ私の前で寝転がって、お腹撫でてアピールをやれば無視はできませんよ。

やりたくても難しいこともあります。
気が付くとアケビの花盛りなのですが、いつもやっているゴヨウアケビとミツバアケビの人工授粉ができません。
老眼状態で細かい作業が難しいのです。
人工授粉するとアケビの実がたくさん生るのですけど。
(今や私はアケビの実を生らせる名人ですが、今年は名人返上?)

いつの間にか桜の花盛りですが、それもよく見えません。
視力の問題もさることながら、注意を桜の花に向ける余裕がないのです。
私の自宅の最寄り駅は、プラットホームと線路沿いに植えられた桜並木が有名で、乗降客が桜を見られるように、他の駅にあるような大きな広告看板がありません。
今は満開の筈ですが、足元が気になって、通院の行き帰りに桜に気づくこともありませんでした。

早く花を愛でる余裕のある日々が戻ってほしいです。


ブログ、しばらくお休みします。

2024年03月31日 | 日記
明日、緑内障の手術をします。
日帰りで入院はしませんが、しばらく片目で過ごすことになります。
それも中心部分が欠けた左目で、文字等が読めません。
それで、しばらくブログはお休みさせていただきます。
皆様のブログを見に行くこともできません。
宜しくご了承ください。


車椅子ユーザー叩き

2024年03月29日 | 話題
最近、X(旧ツイッター)のあちこちで炎上していて、YouTubeのコメント欄にもちょっと延焼していた事柄に車椅子ユーザーのあるクレームがありました。

Xを代表とするsnsの記事って、読んでいて精神衛生に物凄く悪いものが多いので、読まない方が良いのだけれど、くだんの車椅子ユーザーを叩く人達の在り方・考え方は結構普段から目にし耳にしていたので、ちょっと書いてみたいと思います。

私の記憶なので若干の間違いもあるかもしれませんが、そもそもの話は、ある女性の車椅子ユーザーが、いつも利用している映画館で、車椅子専用の席は一番前になっていて、脊椎に障害もあって2時間も見上げて見るのが辛いので、追加料金を払ってリクライニングの席に行くのに、段差があってスタッフが二人がかりで車椅子を持ち上げなければならなかったらしい。

いつものようにそのようにして映画を見終わると、映画館の支配人が彼女の元に訪れ、スタッフの数も限られているし、何か事故があっても責任が取れないので、次回からは車椅子ユーザーに対応できる別の映画館に行ってほしいと言われ、久しぶりに悔しい思いをしたということをXに書き込んだことが発端だったみたいです。

このこと自体は色々と背景の事情もあるのでここでは踏み込みません。問題なのはその後に続いた何百という車椅子ユーザーへの非難の嵐の方でした。
誰かが別の場所で少しでもその車椅子ユーザーを擁護する発言をXですると、そこでもまた同じ炎上が勃発するわけです。
一言でいうと、人に迷惑をかける存在でありながら、権利ばかり主張する、ワガママな障碍者というわけです。

叩く人は徹底的に叩きのめさないと気が済まないみたいです。
その車椅子ユーザーが正しいか正しくないかは関係なく、何百人がかりで寄ってたかって叩くその執拗さに驚くし、日本の社会って荒れてんなと思います。
ネットリンチで、これじゃあ自殺者も出るのもよく分かります。

ただ私の母も、元気で生きていた時はテレビで障碍者が何か言うと「障碍者なのに偉そうに」などと言っていました。
その母も亡くなる8年くらい前から失明し、車椅子を利用する障碍者になってましたけど。

日本人って、子供のしつけのいの一番は「人様に迷惑をかけるな」で、障碍者はそのルールから外れた存在なので、当然のように小さくなって生きていなくてはならないと思いこんでいたのだと思います。
かくいう私も、自覚せず同じような思い込みを持っていたみたいです。

そういう思い込みが無くなったのは、私自身が車椅子ユーザーになる経験をしたからです。
私は今まで2度車椅子ユーザーになってます。

ちょっと前にも触れたのですが、30代の半ばくらいの頃、胃にポリープができて、取った方が良いということになりました。
医師は最初は日帰りでできる処置だと言ってました。

ところが私は、血小板減少症という、一度出血すると止まりにくい血液の病気を持っています。
それを慮ってか、医師は念のために一泊入院してもらうと言いました。
そして処置の時、ポリーブを取るや否や「出血が止まらん」と医師は言い、看護師に安静の指示を出し、トイレに行くにも車椅子で行くことになったのです。
入院は1週間続きました。

私は4人部屋に連れていかれたのですが、看護師さんは私がトイレに行かなくてもよいようにベッドの脇にポータブルトイレを置き、そこで用を足すように言いました。
もちろん用を足すときはカーテンを閉めます。
ところが、カーテンを閉めて用を足そうとしても出来ないのです。
用を足せない、平たく言うとおしっこが出ない・・・。

原因は場所による心理的緊張だったみたいです。
私のベッドの位置は部屋の扉のすぐ横で、人の出入りが一番響く所。
そして人はしょっちゅう出入りします。
看護師さんや医師だけでなく、お見舞いの人達やら入院患者自身も歩き回っていて、そんな場所で薄いカーテンをしただけで用など足せない。
カーテンを閉めるから用を足してるって分かるし。

でも用を足さないわけにはいかない。
特に胃を養生しているので、栄養輸液を24時間点滴で体内に入れており、普段は行かない夜中でも用を足したいのでした。
仕方なく看護師さんを呼んでトイレまで車椅子で連れて行ってもらってました。

もちろん私はポータブルトイレが使用出来ないことを謝罪し、「申し訳ないです」とか「すみません」とか、終わってからは「ありがとうございました」とか、言えるだけのことは繰り返し言って連れて行ってもらっていたのです。
看護師さんも「みどりさんの年齢ならできないでしょうね」と言ってくれてました。

部屋のポータブルトイレが使用できるかどうか、年齢が関係あるのかと思われそうですが、高齢になるとそんなことが平気になってしまうみたいです。
事実、別の病気での入院時、同じ部屋の高齢女性はカーテンも閉めずに用を足していて、最中に目が合って気まずい思いをしたこともありました。
齢を取った今、私が大部屋でベッドのわきのポータブルトイレを使用できるかどうか分かりません。

ただ真夜中で、人の出入りがなく、誰もが寝静まっている時は、私もベッドわきのポータブルトイレを使用することができました。
別の病気で入院時、一人部屋だった時は昼間でも部屋に置いてあったポータブルトイレを使用できていました。
やはり人の耳や目が気になっていたのだと思います。

とにかく、そうやって毎日、昼間にトイレに連れて行ってもらっていたのですが、さすがに「申し訳ありません」とか「ありがとうございました」と言い続けることに疲労感を覚えてきました。
そこまで言わなあかんのかと。
私にそれを言わせているのは何かとか。

それは、それこそ人に迷惑をかける存在は小さくなって生きていなければならないという考えだったのでした。
とりわけその時の私は、せっかく病院が用意したベッドわきのポータブルトイレを心理的抵抗感から使用できないという負い目が大きかったのでした。
でも、それって私のワガママ?

私はすぐに良くなって退院しましたが、自分の意識はかなり変わりました。
それが必要なら、車椅子ユーザーは少々のワガママを言っていいと私は思っています。
車椅子を介助する場合も、相手からお礼を言われたら「お気遣いはいりませんよ。当然のことですから」と言おうと思ってます。

誰もなりたくって車椅子ユーザーになるわけではないし、高齢になれば誰だって障碍者になる確率が高くなりますからね。