もう、いやでいやでたまらなくなるときがある。

 

ババモンも、忘れるから、同じことを聞き、言うのは仕方がないけど、問題はその内容だ。1年前より、ババモンの興奮はましになったが、垂れ流される毒が毎日だから、私のどんよりとした精神的なしんどさは続く。

 

昔からの「ババモンの娘にべったり問題」は、介護の問題の根底にどっしりと居座っている。

 

 

子供のころから、「親に逆らうなんてとんでもない」と思っているババモンに、正面から反抗するのは無理だった。何でも話せる、という関係ではないから、ババモンに反対されそうなことは、黙ってするか、事後報告で、まあ何とかがんばった。

 

私が20代のとき、父が亡くなり、ババモンは、「娘と二人の生活が、うれくてたまらない。いつまでもこれが続いてほしい」という風だった。仕事に行く私を、ベランダからいつまでも見送っているババモンを見て、私は「早く家を出なくては!」と思った。今と違って、そのためには、結婚しか考えられなかった。

 

私の結婚の知らせを聞いて、友達の一人に、「お母さんを一人残すのが心配だからと、結婚をあきらめないあなたはえらい」と、変なほめられ方をした。それぐらい、親を一人にして結婚する一人娘というのは、罪悪感を感じるものだった。

 

結婚してからも、数年間を除いて、ババモンとは近居したり、同居したりしてきた。ババモンにとっては、結婚後も、私はババモンのものだった。私の子供のときから、ババモンは、精神的に、娘の私だけに依存してきたのだけれど、それは、娘を支配、という形をとった。

 

夫は最初、私があまりにもババモンに従順なのに驚いた。私は、驚かれて驚いた。こういうのは、母と息子の関係には、昔からあったものかもしれない。嫁が、夫のマザコンぶりにあきれる、という形で。

 

ババモン「あんたも、結婚して変わったなあ」

 

と言ったことがある。まるで、息子が奥さんの言うことを聞くのが気に入らない姑のようだ。

 

 

結婚後も、ババモンは、自分の地位を守るために、気に入らないことがあると激怒し、私を延々と説教した。一人っ子の私は、私しか頼れるものがないババモンに逆らうと、完全に孤独になってしまうババモンがかわいそうだと思い、ババモンの延々と続く説教を、黙って聞いてあげる(!)しかなかった。

 

ババモン「あんたはどう思てるん? 言ってみ!」

 

と言われても、本当の気持ちを言えるわけないやん、と心の中で叫び、だんまりを通した。

 

私もたまに、ついつい、ババモンに要望なんてことをしてみたが、ババモンは、「娘がこんな事を言った!」と周囲に触れ回ったり、より悪い結果になるだけだった。だから、私は、自分が我慢し、家族にも我慢してもらって、穏便にすませる、のが常だった。

 

 

そういう母娘関係は、どちらかが死ぬまで続くのだ、と今思い知らされている。

 

そして今はもっと、私が子供だったときにババモンの思考は戻っているのか、ババモンは、「なぜ私が暇なときも、ババモンのそばにずっといないのか?」が理解できない。

 

今、娘を常時、自分のそばにはべらせておけないのが、情けなくてたまらない。ババモンは、自分がかわいそうでかわいそうで、落ち込むのだ。

 

 

もともと「あんたのおかげで、私は病気になる」と言う人だった。今も、ババモンのそういう気持ちが、言葉を変えてだが、続いている。自分の心身が衰えて、私への支配力も衰えてしまったことを、ババモン自身も感じている。娘に説教しようとしても、もう娘は逃げるだけだ。

 

ババモンはまだ、いつも同じ嫌味を言うことはできる。そうすることで、私の(孝行娘ではないという)罪悪感を呼び起こし、自分が上位の態勢のまま、自分の世話をさせようとする。

 

「親が年をとると、重くてたまらなくなる」とよく聞くが、ババモンは、もともと重い。

 

いつまで続くんだろう。やっぱり、どちらかが死ぬまで終わらない。

 

 


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