最近介護が始まったばかりのAさんが言っていた。

 

Aさん「(認知症でも)嫌な記憶は残るから、優しくしてあげて、と、介護の人に言われたの」

 

うん、私も介護初心者のころは、介護の人が言うことがとても気になったし、介護本もあれこれ読んだ。

 

でも、今、そんな教科書通りのことを言われたら、心の中で苦笑するだけだろうな。

 

日々の生活って、いいことばかりじゃないし、というか、嫌なことのほうが多い。認知症になった人が何でも気に入るようにし、いつも幸せに暮らしてもらう、なんて無理な話ではないか。

 

 

ある介護サイトで見た質問。

 

「物盗られ妄想で疑われるのに疲れ、家を出た。しばらくして帰ってみると、もう親は、その話(物盗られ話)はしなくなった。こんなことはあるのか?」

 

私も驚いたけど、やっぱり、という気もした。認知症ゆえの困りごとって、ただ「認知症だから」とは、断定できない気がするのだ。だからといって、認知症ではなく、意図的とも断定できなくて、グレーな感じ。

 

ババモンは主に、訪問介護や看護の人に対する、日用品物盗られ妄想が多いのだけれど、それには確実に、「私は介護の人に来てもらわんでも、全然かまへんねん!」という気持ちが、無意識のうちにあると思う。

 

 

私は、2年ほど前に仕事を辞めてから、次の日のことを心配しなくてもよくなり、気持ちがぐんと楽になった。ババモンが夜興奮して、何やかや怒り出しても、それまでのように、ひたすら話を聞いてあげたり、何とかなだめようとするのをやめた。「もうどうなってもいいや」と、すぐに切り上げて、自分の家に帰るようになった。

 

私が強気になってからあとの方が、ババモンは、いくら怒っても無駄だと感じたのか、以前より、しつこく怒らなくなった。。

 

いずれにせよ、1年前よりずいぶん私は楽になったが、これにはもちろん、メマ〇ーの力と、ババモンのエネルギーが衰えてきた、という理由も大きい。しばらくすると、何を怒っていたか忘れる、という記憶力の減退もある。

 

「暴言ジジババも、最後は、穏やかな、いい人になる」という説もあるが、ババモンはまだそこまでには至っていないし、そうなるかどうかもわからない。

 

 

認知症やその他の困りごとに、解決策はほとんどない気がする。結局は、老いの次の段階を待つしかない。一段一段、次の段階を待つのだ。

 

ババモンは、少しづつ、身体も頭も弱っている。冷たい娘は、次の段階を待っている。もちろん、「次はどうなるのか」という恐怖も抱えながら。

 

次の段階では、新しい大変さが生まれるが、それまで大変だったことが、ましになったりもする。

 

天の声「どっちがいいですか?」

 

私「どっちも嫌なんですけど!」

 

 

「親が老いていくのを待つ」って、本当に妙な気分。誰にも言えない、心の中だけの待ち。

 

次は、私自身が、待たれるババになるのだから、悪く思わんといてね、ババモン!

 

 

 


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