知りたい宮島

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知りたい宮島 10 弥山登山

2023年12月22日 20時47分51秒 | 貴方の知らない宮島
弥山山頂までの道のり
冒頭にも述べたように、宮島は神の島・植物の正倉院・文化財の宝庫の島 等々呼ばれている世界でも類を見ない島です

山頂の弥山は弘法大師が開基したと伝えられています。

弘法大師の開基哉、「須弥山」しゅみせん、を表して「弥山」と名づくといへり、
弥山は「三鬼神」おはしまして、仮令(かり)にも不敬不浄(悪人・穢れている人)の人
登山なりがたし、かたく酒を禁(いま)しめて、飲むことは更に念にも出す事ならず
。  
須弥山・・・古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山であり
                                                   弥山本堂は大同元年(806年)に弘法大師(空海)が建立、真言密教の道場とする

治承4年(1180年)までは、神様が弥山に滞在される 旧暦の11月から2月までの4ヶ月間は登山禁止であった、
しかし江戸時代になると徐々に緩和された。

ここから弥山山頂までを紹介します。

なお、535mの山と思って、軽装備で登山される方がいますが、弥山は中級クラスの登山コースです。
最低でも「靴」は登山に適したものを履いて行かれる事をお勧めします。(平均傾斜角度は33度位あります)


宮島ロープウエイ
無料バスの乗車時間は約3分(徒歩にて約10分)
紅葉谷駅~榧谷駅(かやだに)~獅子岩駅
獅子岩駅から約20分で山頂下の弥山本堂に着く、ここから更に10分で山頂展望台に着きます。
循環式と交差式の2種類の方式のロープウエイを使用する。全国的にも珍しい形式で運行
循環式・・・・・少人数乗りのゴンドラを所定の間隔で順次出発する。6人乗り
交差式・・・・・15分間隔で、2台の客車が山頂と山麓を交互に往復するシステム。
ロープウエイからは宮島の谷や林、また広島湾に浮かぶ島々をダイナミックに一望できる
瀬戸内の島々は約3000の島からなる

ロープウエイにのる時は、折角宮島に来たのだから、景色を楽しもう。
最初の8人乗りゴンドラ(実際は6人で満タン)は、山側(頂上側)に乗ると、瀬戸内を眼下に見ることが出来ますよ、(降りる時も一緒です)。
このゴンドラは最近新しく替えたばかりです。安心して乗って下さい
榧谷(かやだに)駅で乗り換えですが、28人乗りのゴンドラになります。
このときは進行方向に向って「左側」に座ると、左方は能美島、江田島を見る事が出来、運が良ければ、眼下に海上自衛隊の艦船、潜水艦等を見る事が出来ます。
宮島に来島する時のフエリー航路は水深約9mですが、ロープウエイから見える宮島の裏側の海の水深は60から70mあります。

安芸の国(日本国事跡考(抄))
厳島の神社、市杵島の姫を祭る、是れ素戔鳴神の女(むすめ)なり。潮満る時は
即ち華表・回廊・皆海中にあり、潮引く時は即ち陸地と為る。朝暮の晴天 明月の夜
真に一方の佳景なり、 俗に宮島と号す。
平清盛 安芸の守と為りし時 尤も(もっとも)之(これ)を崇信(すうしん)して身を終うるまで変ぜず。


宮島と言えば「厳島神社」と言う様に、宮島は文化財の島として知られているが、植物の多様性
と言う点でも大変貴重な存在です。
厳島神社は世界遺産として登録されたのも、背後に迫る天然記念物「弥山原始林」の存在無くしては
語れません。宮島は6000千年前に島になった時から、瀬戸内地方の植生を良く残し(二次林なし)
ている、大変貴重な島である。
宮島は30平方キロの小島ですが、その6%にあたる 180ha 程の「弥山」を中心とした
常緑広葉樹(照葉樹)が国の天然記念物「弥山原始林」に指定されている。


紅葉谷
江戸時代末期に好事家の老人が雑木を取り除き紅葉の苗木を植えたのが紅葉谷公園の始まりと言う
庭園式砂防公園(巨木や樹木は傷つけず、新たに置く石材も現地のものだけを使う、画期的な工法)
紅葉谷公園で約700本の紅葉がある、全体では1100本と言われている。紅葉谷橋を渡ると宮島で
最初に色づくと言う「山もみじ」がある。ちなみに桜の木は全体で1900本程度ある
風光明媚な場所である、普段は水の少ない小川であるが、風化した花崗岩地帯を急勾配で
流れ下っている、その為、豪雨時には土石流を起こす原因になる、
200年に一度の割合で大きな土石流が発生している。(天文10年1541年 1739年 昭和20年1945年)
昭和20年9月17日の枕崎台風による土石流発生、この時の土砂は「清盛神社」より沖に埋設する
直近では平成17年(2005年)大聖院登山コースにおいて土石流が発生、約4年かけて復旧する。
紅葉谷の入り口の辺りの紅葉です

四の宮神社の裏手には、コウヤマキ「高野槙」の樹がある。
岩舟岳の頂上付近、乾燥した岩盤の間には、平成18年9月6日に誕生した「秋篠宮悠仁(ヒサヒト)」
王のお印として有名になった「コウヤマキ」「高野槙」が逞しく育成している
日本特産のスギ科の常緑高木で高さが40mにもなる、木材は腐りにくいことから、桶 船材 橋梁材
として利用。樹皮は「まいはだ」と称して、水槽 船などの隙間に押し込み水漏れ防止の材料に使用

登山コースは大きく分けて6コースある、

紅葉谷コース、大聖院コース、多宝塔コース、四宮コース、博打尾コース、大元コース

最も一般的な「紅葉谷コース」を紹介します。

このコースを登るには、「砂防・堰堤」を確認しながら登ると面白いかと思います。


宮島の砂防・堰堤について

紅葉谷コース
紅葉橋      紅葉谷橋      奥紅葉谷橋   と続いているが
登山道開始の石碑があります。

紅葉谷橋を上側と下側の公園設計者が異なっている
上側 大きな石を使用し、「豪快」なつくりになっている
下側 小さな石を使用し、女性的な造りとなっている

1号堰堤から6号堰堤まで写真を記載しますが、写真をクリックすると「大画面」で見る事が出来ます。

5号堰堤の近くには、宮島で一番美しい木と言われている「久久能智の樹(くくのちのき)」を見る事が出来ます。
久久能智は「久久能智神」のことで、神話神産みにおいて、イザナギとイザナミの間に生まれた「樹の神」
木種の神である、「スサノオ尊」やその御子である「イソタケル命」や「オオヤチヒメ命」とともに
山林業の祖神として信仰されています。
5号堰堤を右手に見て、正面の川の中の小さな堰堤?を渡るととすぐ近くに現れます。
大変大きな樹木で幹回りには、紙垂が巻いてあります、側には小さな説明版があります。是非一度見てみて下さい。

1号堰堤

旅館「岩惣」の前の「赤い橋(紅葉橋)」から上流をよく見ると、1号堰堤を見る事が出来ます

2号堰堤

2号堰堤は、紅葉谷橋を渡ったロープウエイバス停留場の右側の辺りで見る事が出来ます。
3号堰堤

3号堰堤は、奥紅葉谷橋の手前でこの橋の上から見る事が出来ます
4号堰堤

4号堰堤も、奥紅葉谷橋から、なんとか見る事が出来ます。
5号堰堤

5号堰堤は、目の前が広場になっていて、この川を渡った所に、「宮島で一番美しい樹、くくのちの樹」が高くそびえ立って
います。この広場にはトイレ、ベンチ等が供えられていて、ここで少し休憩をしてから、弥山登山になります

1号堰堤から5号堰堤までは、普通の段々になった、段差のある石積に見えます
なお、登山口から500メートルくらいの所に「1号堰堤」と白い看板がありますが、これは正式には6号堰堤になります。

6号堰堤

この6号堰堤からは、一般的に良く見る堰堤です


9号堰堤、ここの堰堤の上流側には、大変大きな石が数個あるが、これは
昭和20年(1945年)の枕崎台風の時、上流から落ちてきた石
堰堤は下流から上流に向かって、1号・・2号・・と続く
1号堰堤から16号堰堤まであり、昭和24年から昭和30年までの10年間に
作られた。通常1つの堰堤を作るには費用として、約1~2億かかる
16基の堰堤のうち
野面積    4基
谷積 11基
昭和 24 7
基 昭和 31 4基
昭和 26 1基 昭和 33 1基
昭和 28 1基 昭和 34 1基
昭和 30 1基 計 16

実際には16基が奥の方にあるので、15基しか見ることが出来ません

丁石についても少し触れておくと(1丁・・・・109メートル)麓から山頂までは
丁石が見られるが、1~24丁まである(頂上展望台)
8と17丁が一番古く、江戸時代のものも30基ほどあると言われている
展望台頂上には「昭和天皇は皇太子殿下の時に登山された記念の石碑24丁石がある」
大正15年5月27日 に登山をされている事が解る。

山頂の建造物については後段で述べるとして、大聖院コースを紹介すると、
登り始めてすぐに「懺悔地蔵」があります。正面から見て、右側の石の土台には「弥山十八丁」とあり。昔は頂上まで18丁(約2000m)
であったことがわかります(伊藤博文が登山道を造った時)。現在は24丁(2600m)です
山頂には「24丁」の丁石(ちょうせき)があります。よく見てみて下さい。
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堰堤
上流から1号堰堤・・・2号 と続く
1号堰堤(平成19年完成)
この堰堤を造る時、大量の土砂を運び出すにしても、大変で、この土砂を利用して「堰堤」を
造ることにした。
ソイルセメント」と言う特殊なセメントを使用して石を混ぜて「堰堤」を造った
2号堰堤(平成20年完成)
2号堰堤もソイルセメントを使用している
この場所の堰堤を造る時は、周りが大きく削り取られており、また大雨が降ると、土石流の発生が
予想され、更には、下流の大聖院・一般民家への被害が予想される為、多くのセンサーが使用された
① ワイヤーによるセンサー(ワイヤーを張り、土砂流出があるとワイヤーが伸びる事により知らせる
② カメラによる「視認」監視
2号堰堤から、下の一般住宅辺りまでは、土石は約「2分~3分」と到達すると予想されていた
この堰堤を造るにあたり、
海からみて、「白糸の滝」が見える高さにしてある
この為、堰堤の高さを低く設計してある、その為、堰堤の底を掘り返し深く掘ってある
上流側に、一本の木がぽつんと残してあるが、この場所は排除できない
理由は「貴重な植物(苔かも)」がこの場所にあるからである。

② 堰堤があるのがよくわかってはいけない(見苦しいから)
川の曲がった所に堰堤を設けて、直接見えない様な位置にある

2号堰堤の少し上流(登山道より反対側)を見ると、古い小さな堰堤を見ることが出来る

紅葉谷川付近の堰堤
紅葉橋付近(紅葉谷公園)の砂防堰堤
昭和20年(1945年)枕崎台風による、甚大な被害の為大掛かりな砂防堰堤工事が行われた
川底は一旦セメントにて固め、その上に石をおいて自然のままの様な感じを出している、
当然川の淵もセメントで固められその上に縁石が置かれている
また、川底にも工夫があり、水流により洗掘されるのを防ぐ為「置石」が置かれている
橋の真下には「堰板(せきいた)」を積み重ねてはめ込み、堰(せき)とし、水位を調整している

大聖院コースを麓から登ってみると、まず最初に

1 入り口の階段の所に「案内石碑」在り
頂上24丁 (石碑の左側に書いてある)

仁王門18丁(石碑の右側に書いてある)。確認して登るとよいと思います

全部で74丁の丁石が確認されている。丁石は大きく分けて3種類り
明治(1906年)頃のもの、伊藤博文が置いたもので、数字のみ(新しい為である)
一番古い丁石(1599年頃)慶長4年・・・・・1箇所あり
江戸時代(1739年頃)元文年間・・・・・・1箇所あり

1丁は109m 1丁は畳60枚分 36丁は1里

2 懺悔地蔵の所に「18丁」の丁石在り、地蔵建物の基礎部分にあるのでよく見ないと解らない。
昔は18丁で現在よりも短かったことが確認できる。
昔は頂上まで18丁でしたが現在は24丁になっています。紅葉谷コースと大聖院コースの丁石は「丁」の字が刻印した在りますが
大元コースの丁石は「町」の字が刻印されてあります。翌見てみて下さい。


3 少し登った大岩の所に「1丁」の丁石があった、伊藤博文の作ったもの数字のみの丁石)

4 2号堰堤のところに「お堂」あり、ここに「③}の江戸時代元文年間の丁石があった
またここには「2丁石」が横たわっている。ここには昔7体の地蔵があったが今は無い(土石流の為)

5 滝宮神社の手前には「旧道」に掛かる、橋が掛かっていた

6 御幸石あり。・・・・・・高倉上皇がここに腰をかけて「白糸に滝」を見たといわれる所 滝宮神社の前の階段が「明治時代」に作られた道である

7 右手に登山道を登る入り口付近に「88箇所霊場石碑あり33番札所」在り、解り難いので注意

8 少し登り階段途中の休憩椅子のある所には「うりはだかえで」あり
この先に「6丁石」あり。・・・この丁石は明治時代のものである。

9 もと茶屋のあった、休憩場所(里見茶屋)
江戸時代唯一の地蔵あり、デザイン、角度、長さ、など美術的にはすばらしいものである
と言われて居る。歴史的な「いわれ」などもいろいろ言われているが、信憑性は疑わしい
この茶屋跡の休憩所からは「幻の滝」を見ることが出来る
落差70m、2段の滝で、降雨が続いた後にしか見ることが出来ないのでその様に呼ばれている。
この広場の上に7丁石がある。標高150m付近

10 次の「広場」は「なかん堂跡」と呼ばれており、標高180m付近で、休憩椅子の前には
「うりはだかえで」の樹がある
この少し先に7丁石ありこの辺りが200m付近と為る

11 「8丁石」ここには、地蔵と丁石が一緒に置いてある。
8丁石は「元文年間の物である、地蔵の姿がある


12 「9丁石」・・・・寄進者は、満足屋で地蔵姿あり。
「10丁石」・・・数字だけで、明治時代のもの(伊藤博文)・・・・・地蔵姿あり

13 11丁を過ぎ12丁あたりが「350m限界」となる、ここを堺に樹木が大きく変化する。
「みみづばい」は350mの温暖な地域に育つ樹木である

14 幕岩 14丁石辺りであるが、この幕岩は一説によると、厳島神社までつながっている
と言われて居る大きな石壁である

15 かなり長い階段を上がる(188段ある)。ちなみに大聖院住職が下から上まで登った階段数は
2615段と言われている。
「一号堰堤」に着く

16 満願地蔵 白髯大明神がある・・・・・堰堤の中

17 1号堰堤からすぐ上には「15丁石」があり、ここには「遊女石畳」ある

2本の石柱あり、右の石柱には寄進者名は「置屋の名前あり
地蔵姿の丁石で、「元文の丁石」である

18 右に大きな石を見て横の細い登り道を右に回りながら登ると、石に約10cm位の穴がある
この穴に向けて石を投げ、穴に入ると願いがかなうと言われている、「石」

19 「18丁石」が仁王門手前にあり、ここには「23丁石」もある(駒が林のカンバンの後ろにある)
この丁石は、丁は町(ちょう)になっている。埋まっているので良く見ないと判らない

20 「16丁石」あり、この丁石にも地蔵姿あり、平成3年の台風19号の影響で、約10m下に転落
していたがボランテイアの人達(佐藤・横山・岩崎氏他により引き上げられる)

21 「19丁石」付近には、環境省が設置した、登山人員カウント装置が設置してある。
紅葉谷コースに方にも設置してあり、登山客の人員をカウントしている。

22 くじら岩の裏には「お堂」があった

23 「20丁石」があるが、よく見ると半分に折れたものを接着して立ててある

24 御山神社の分岐点より、5m位の所の左手に「3基の丁石」がある、更に左手には弁財天の石碑あり

25 一段登った広場(大日堂と弥山本堂の分岐点)には「18丁石」がある
この丁石は2基ある、江戸時代初期のものと中期のものである。前の大木(サルの腰掛あり)の前には
分岐を示す「石柱」がある。この大木の上部にはピンク色の「せっこくの花」が咲く

26 左の登り大日堂に向うと、「21丁石」が右手にあるが、樹木の覆われてよく見えないので注意が必要
大日堂の前には「17丁石」がありこれは「慶長時代の丁石」で貴重な丁石である。

27 上に登ると「カクバン道(空海の弟子)と言われている人
更に上に登り右手にいくと「疥癬岩」に行き着く

28 疥癬岩の前を登ったところにも「丁石」があり。右側の丁石は慶長時代のものである

29 干満岩の上には、日輪・月輪があり、「岩倉」と言われている

30 陰陽石があり、上が陰・下が陽であるが、台風の影響か崩れていて判別は困難である

31 「弁慶のかかと」と言われている所を過ぎると頂上広場に到着

32 三角点の石柱あり、上部には「GPS」により高さを観測する「印」が埋め込まれている(過去は529,7m)

33 弁財天のところには「21丁石」がある、ここのは21と丁は分かれている。

34 「24丁石」があるが、側面には「大正15年8月29日に昭和天皇が皇太子殿下の時に登山した」と言う事が書いてある。










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