鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

「本と標」(2)〜史上初ということ〜

2020-05-30 19:51:00 | リハビリ室閉鎖中の日記
 古代中国のおいて、病を「本と標」として捉えられたことの意義は、何よりも、病には眼に見える姿(一重の)だけでは無しに、二重性があるという、目に見えない世界の構造を史上初に捉えられた、ということなのだ、と思える。

 これは、そのことでそれまでは治らなかったり、治ったと思っても直ぐに再発したりであった病をしっかりと治せるようになっていった、ということのみならず、病の持つ他の二重性が分かっていく道を拓いたのだ、と思う。

 これは例えば、史上初の鍼や灸の治療にも匹敵する、すべて鍼灸治療は、最初に、鍼を打ったり灸を据えたりという治療を発明した人があったからという意味での大発見であったのだ、と思える。

 そしてそれが、目に見える世界の鍼や灸の施術と違って、目に見えない世界の出来事であるだけに、それを史上初めてということは、大変なこと、凄いことなのだ、ということが(自身も含めて)分かっていないのだ、と思う。

 繰り返しになるが、古代中国という人類としては幼い時代に、「本と標」ということを発見するということは、誰もが視ることの出来ないことを史上初めて視てとったのだ、ということであり、人類としても大人である現代の我々が、「本と標」というのは、要するに病気が先と後との二重性を持っている場合には、先にある病から治療すべきということか!?と簡単に思うのとは訳が違う、そう簡単に理解して、低く見て良いものでは無いということである。

 しかしながら、一方で、古代中国という人類としては子供の時代の認識の表現である言葉を、現代の大人である我々の認識の表現であるが如くに深読みしてもならない、ということである。

 そのような見方では、東洋医学の歴史性というものは見えては来ない、なんのための古典に還るか分からなくなってしまう、と思う。

 


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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「本と標」(2)〜史上初ということ〜 (自由びと)
2020-06-01 09:50:58

>…要するに病気が先と後と…

を弁証法言語で表現するなら、

「…先」とは、生々・生成、
「…後」とは、発展・衰退…

ですか?
Unknown (伏龍)
2020-06-01 10:27:27
「本と標」は、弁証法的に言えば、本と標との矛盾が標の病の生成、発展の原動力であるから、その矛盾の解消が標の病の衰退、消滅につながっていく、でしょうか。
Unknown (自由びと)
2020-06-01 18:16:46

コメントをありがとうございます。
己の「本と標」に対する理解不足を痛感しました。
再度「本と標」について勉強します。


ところで…ここで書いている

「病気の先と後」とは、
具体的にはどんな事ですか?

Unknown (自由びと)
2020-06-01 18:21:15


調べました。


病気の新旧で言うと
原発的・先病
後発的・新病

この「先」と新(後)、ですか?

Unknown (harikyu)
2020-06-05 12:32:01
はじめ自由びとさんは東洋医学を全く知らない方だとばかり思われました。私のような東洋医学の初学者でも「東洋医学」それ自体を学んでいるなら、伏龍さんの書いてることの大筋・志向性は明らかなことだと思われたからです。
ですが、自由びとさんのコメントを詳しく辿ってみたならば、実は医療の業界に非常に詳しい方ではなかろうか?それも、一つの企ての起こりから終焉までを知ってのコメントであるようにも思われ興味深く拝見させていただいております。
「本と標」(2)〜史上初ということ〜 (自由びと)
2020-06-05 20:16:48
harikyu さん

「一つの企ての起こりから終焉まで…」

これが、どのような事なのか、
私には、イメージできません。
具体的に書いて頂けたら、有難いのですが…
Unknown (harikyu)
2020-06-06 11:24:01
>自由びとさん

いえ、何もご存知ないのでしたら結構です。
「本と標」(2)〜史上初ということ〜 (自由びと)
2020-06-06 16:05:03

harikyu)さん


それって無責任なのでは?

書きたい放題、書きっぱなし、
「分からな」と質問しても、
「でしたら結構」とは…



Unknown (伏龍)
2020-06-06 19:46:36
古典でいうのは、そういうことだと思います
Unknown (伏龍)
2020-06-06 19:51:38
ただ、その構造として、単なる前後では無くて、両者の相互浸透、量質転化があって、結果としての標=後の病の治り難さがある、と捉えるべきと思います。

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