社会の生産性を高めるには利害調整のための仕掛け作りが欠かせない。

というのも、技術革新によって既存の利害構造を打ち破る存在は、所謂「ディストラプタ(Distrupter)」と呼ばれ、世の中に摩擦を発生、問題を惹起する事も多数である。

例えば、自動化技術や中抜きなどによって雇用が失われたり、失われる前に既得権益の団体によって、その技術自体の利用が規制されてしまうケースである。

局所的に見れば、そう言った対立関係にあるのだけど、社会全体の生産性からすると、より少ない人的資源、物理的資源で同じ目的が達成されるのであれば、より良い方法を使ってる法人が選ばれた方がよい。

ただ、問題になるのは、より付加価値が小さかった方が全滅してしまう事である。競争社会を建前としているとそもそも競争にならないよう、技術そのものの良し悪しではなく、例えば政治的なやり方で良いやり方を潰してしまう。そうなるとその技術によってもたらされるはずの社会改革がその国家に起こらない。

国家から見て、社会改革を技術によってもたらす方法が「自由競争」の要諦なのかもしれないが、今までよりも良いやり方を社会そのものが試すそのやり方が、「自由競争」でしかないために実現できない社会改革もあるのかもしれない。

自由競争のルールが「勝者総取り」ルールだから抵抗しなければならなくなる。

完全な自由競争ではなく、それに変わるか補完する「利害調整」の仕掛けが、「勝者総取り」に変わる仕掛けが不足している。社会変革を加速するための調整システムが必要とされていて、今はまだ21世紀の我々は獲得(発明)できて居ない。