人間であるという自覚で行動することは力が制限されてしまうんだ。
神の力と人間の力では比べ物にならない。
神は全てであり根源であるのだから。
「我人間なり」の自覚で動く限り物事はうまくいかないだろう。
だから瞑想の時だけではなく、日常においても常に「我神なり」「我光なり」「我全体なり」の自覚を持つことが大切なんだ。
しかしそれが本当に難しい(笑)
1人でいる時は神としての自覚を持つことができる。
でも人と話している時、誰かに名前を呼ばれた時にはすぐに人間意識に戻されてしまうのだ(笑)
「沢田くん」と呼ばれた時に人間である沢田の意識が呼び起こされて動いてしまう。
親といっしょに居る時には息子としての意識で行動する。
常に神としての意識で行動することは本当に難しい。
しかも身近な人たちが「我人間なり」の意識で動いているからね(笑)
だから日常生活が即修行と言われているんだな。
日常生活においても一瞬一瞬を「我人間なり」の意識で生きるのか、それとも「我神なり」の意識で生きるのか。
神の自覚を持っても世間的な意味での成功が得られるということではないだろう。
でも今は神の自覚を定着させることが必要だと思っている。
自我である沢田は「もっとあれもしたい!これもしたい!」と騒いでいるけれどね(笑)