創始者の視点 | 終わらない愛

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自己表現のブログ

最近、僕が日々実践しているマントラを使う瞑想(名前を書くと弊害があるかもしれないので伏せておく)の組織で色々と問題が起こっているらしい。

その組織では、以前はその瞑想の教師になるのには瞑想を長年実践しており、瞑想のことをしっかりと熟知している必要があるなど、厳しい審査があった。

ところが数年ほど前から瞑想の教師の間口を広げたようで、ティーチャーコースを受講して修了すれば瞑想の教師に誰にでもなれるように、そのマントラ瞑想の創始者がしたそうだ。
お金を払えば誰にでもなれるということ。

その為に、まだ教師としての器になっていない未熟な人が瞑想教師として活動しており問題を起こしていると、古株の瞑想教師がFacebookで投稿していた。

僕はこの投稿を見て疑問が湧いてきた。
何故、創始者は瞑想教師の間口を広げたのかということだ。

瞑想教師の間口を広げてお金を払えば誰にでもなれるというようにすれば、未熟な者、瞑想の看板を利用して儲けようとする者など、色んな人が組織に入ってきてカオスな状態になる。
下手をすれば組織は崩壊する。

創始者であれば、このような事態は予測出来たはずだ。

創始者は高額なセミナーを開催することが多く、金儲けとの批判が出ている。

瞑想教師になるには(聞いた話では)100万円以上のお金が必要らしい。

僕もマントラを伝授してもらうのに相当なお金をかけた訳だが(笑)

だからといって僕は批判する気にはなれない。

この瞑想はしっかりと効果を実感できるし、意識が変化するからだ。

創始者はお金にも女性にもだらしがないと言われている。

だが、そんなことは表面的なものだ。

いい加減な人が、このような効果のある瞑想を創始できるはずがないと思う。

では何を考えて創始者(若しくはこのマントラ瞑想のやり方を教えた存在)は間口を広げたのか?

間口を広げることで起こる問題の先に起こることは何なのだろう?

創始者はその先にあるものを見ているのではないか?

それとも僕の考え過ぎなのか?

創始者はただ単にもっとお金を稼ぐためにやっているだけなのか?

僕はこの事の成り行きを見守っていきたい。